279.〇三〇七二一OSK攻略戦 月人の殺意
二二〇三年七月二十八日 〇八四七 OSK 下層部 イワクラム発電所 除染室
除染室の出入口を中心に831小隊は、半円型の陣形をとっていた。
831小隊と月人の間には障害物は一切無い。
その小さな陣を蹂躙せしめるため、部屋の面積の半分を占める大量の月人が肉薄してくる。
月人の群れは、餓鬼の様に飢えと渇きを831小隊の血肉で癒そうとするかのようだった。
月人は、目を血走らせ、涎を垂れ流し、小隊の銃撃を掻い潜ろうとする。
それは、死を纏う毛皮の大波だった。
この波にのまれることは小隊の全滅を意味していた。
ゆえに前衛の8311、8312、8314分隊は、アサルトライフルの銃身が熱を持ち始めても引き金を絞ることを止めなかった。
光弾が尽きる心配は無い。一センチメートル四方の小さなイワクラムから大量の電力を引き出せる。このイワクラムが無ければ、人間は既に滅亡していただろう。
後衛を司る蛇喰の8313分隊は、閉まっていく観音扉の隙間から外へ銃撃を加えていた。
接近する月人の増援を怯ませ、観音扉が閉塞する時間を稼ごうとしていた。
小和泉達は、頭を光弾で吹き飛ばし、腹部に大穴を開ける濃密な弾幕で、月人を寄せ付けなかった。
次々に月人の死体の山を目の前に築いていく。それは土塁の様であった。
「月人の死体を乗り越える者を優先だ。」
『了解。』
鹿賀山の命令の意図を小和泉はすぐに理解した。
月人は死体の山を越える瞬間、意識が不安定な足元に向く。いわゆる隙を敵前に曝したのだ。ほんの一瞬の静止。古参兵の集まりである831小隊の兵士達が、その瞬間を捉え、照準を外す訳がなかった。
一気に831小隊の命中率が跳ね上がる。
それは死体の山に新たな死体が重なり、益々高さを積み上げていくということだった。
山を越えようと速度が落ちる先頭集団。
後部からは人間を殲滅しようとする血気にはやる後部集団。
必然的に先頭集団は、後部集団により死体の山へと押し潰されようとしていた。敵の攻勢が弱まる。
「挟まった敵は放置。接近する敵から潰せ。」
『了解。』
芋洗いの様に混みあった集団から抜け出した月人を屠る。
そこに死体の山が新たに築かれ、押し出された月人が躓く。そこへ銃撃が集中し屠る。
新たな防壁の誕生だった。月人の攻める勢いは殺せていた。
「閉塞まで十五秒。」
愛が報告を上げた。小和泉はヘルメットの後部カメラの画像を確認した。
ヘルメットのシールドに表示されている後部映像には、門扉は完全に閉じていた。
「あれ。ねえ、桔梗。もう閉じていないかい。」
小和泉は、疑問に感じ桔梗へ問うた。
「錬太郎様。作戦要綱には必ず目をお通し下さい。扉を閉じた後、新暗証番号で施錠完了して閉塞とする。と、されています。」
「あらら。あぁ、蛇喰の分隊も背後の備えから前面への攻勢に切り替えているね。」
「もしかしますと、後方から襲われると危惧されておられましたか。」
「まあ、少しだけね。」
「残念ですが、心配していたのは錬太郎様だけでしょう。扉を閉めるだけならば力づくで押せば良いのですから。」
「そうだよね。はあ、僕のお楽しみが始まるかと思っていたのに。」
小和泉の横着が露呈し会話している時も、二人は淡々と月人を屠り続けていた。
「門、施錠。閉塞完了。」
「よし、後顧の憂いは無い。目前の敵に集中。近寄らせるな。」
と言っても831小隊の銃撃が更に激しくなるわけではない。すでに全員がアサルトライフルを最大限に駆使しているからだ。これ以上の火力の増強はできないのだ。
「こんなことなら、装甲車の機銃を降ろして来たら良かったね。」
「機銃は重いですし、装甲車からの電源供給が無ければ、すぐに弾切れを起こします。」
「だよね。でも機銃があれば、一掃するのも楽なのだけどね。」
「兎女肉薄。注意。」
「はいよ。」
小和泉は桔梗の警告に対し、アサルトライフルに着剣していた銃剣で兎女の長剣による袈裟斬りを受け止めた。
動きが止まったところを桔梗が兎女の目を狙い、そこから脳みそを光弾で吹き飛ばす。兎女は後ろ向きに斃れ、床と肉がぶつかり鈍い音を生み出す。
小和泉は、即座にアサルトライフルを構え、三点射で別の月人を撃ち倒していく。
「錬太郎様。気を抜かないで下さいませ。まだ、三分の二は残っております。」
「はいはい。集中しますよ。僕は、あまり射撃戦は好きじゃないのだけどなあ。」
「戦争に好き嫌いは存在致しません。我慢下さいませ。」
「何か、僕への当たりが今日は強くないかい。」
「当然です。錬太郎様の第二夫人になったのですから、夫の至らぬところを治すのは妻の役目です。」
「さいですか。僕、悲しい。甘えたいなあ。」
「非番の時に御存分にどうぞ。全力で受け止めて差し上げます。」
などと不真面目な二人の戦果は、小隊の中で突出していた。
背後の観音扉からは何か硬い物を力任せに打ちつける音が何度も何度も響いた。
扉が動く気配も、ひびが入る様な気配も何も感じない。ただ、そこに扉は存在している。
増援の月人が、除染室への侵入を試みているのだろう。
無駄な行為だ。発電所が爆発しても壊れぬ様にこの区画は造られているからだ。
月人の筋力や日本軍の手榴弾程度では、耐爆扉が開くはずが無かった。
月人にどの程度の知能があるか分からないが、扉を開く暗証番号は日本軍が用意したものに変更されている。ゆえに月人が今までの暗証番号を入力し開錠することもできない。
831小隊は、前面の敵に戦力を集中させることができた。
それに伴い、アサルトライフルの先台が、銃身の熱を伝え始める。
「銃が温かくなってきたねえ。野戦手袋をしていても熱気を感じるよ。
アサルトライフルも光弾を吐き終える前に銃身の交換が必要かな。
皆は大丈夫かい。」
複合装甲は、手を握る動作を妨げないことと、促成種と武器の互換性を保つ為、掌には装甲が無かった。野戦手袋のままだ。手袋の手の甲や指の外側には、複合装甲と人工筋肉が装着されていた。
「確かに温かくなっていますが、火傷するほどではありません。問題無しです。」
桔梗は火傷の心配をした。
「銃身の高温を確認。亀裂は見当たらず。射撃続行可能。」
鈴蘭は管制官の様に銃の状況を伝えた。
「宗家と奥方様を守る為、この手が燃え上がろうと射撃を止めることはございませぬ。」
カゴは状況ではなく、自分の意志を表した。
一つの質問に対し、三者三様の答えがある。同じ現実を経験しているにも関わらずにだ。
促成種の多様性には、いつものことながら小和泉は感心した。だが、今は戦闘中だ。現実に目を向けねばならない。
月人の死体で構成された肉壁は、着々と積み上がり、三つめの肉壁ができようとしていた。
この頃には、肉壁が射線を切り、壁の向こうの月人へ有効打を放つことができなくなっていた。
「831小隊、三時方向へ移動する。移動準備。」
鹿賀山が有利射線を得るために陣替を要求した。
―確かに扉を閉塞したのなら、ここを守備する意味無いよね。部屋の角に行って二方向に戦線を縮小するわけだね。悪くは無いけど、良くも無いよなあ。
月人目線からだと角に追い詰めた訳だしね。逃げ道が無いのだよね。
ま、鹿賀山も分かって命令を出しているよね。―
「三、二、一、今。」
鹿賀山の秒読みに従い、831小隊が一斉に右側へ移動を開始する。現在組んでいる半円形の陣はそのままに部屋の右隅を目指す。必然的に小和泉の8312分隊が殿となった。
月人に回り込まれぬ様に進行方向への銃撃が厚くなり、追尾してくる月人への銃撃は薄くなった。
その薄くなった火線を潜り抜け、一匹の狼男が迫る。鉄狼ではないが、成長すれば鉄狼になる素質はありそうだ。だが、ここまでだ。奴に未来は無い。
小和泉はその動きを読んでいた。
血気にはやる者は人間だけでなく、月人の世界にもいる。
小和泉が三点射を放つが、狼男は四つ足で走り、姿勢を下げて避けた。
「ほう。その程度の知恵はあるのだね。でも甘いよ。」
常に別の可能性を考える癖がある小和泉の予測内だった。
狼男は勢いをつけ、小和泉の腿を食い千切ろうと咆哮と同時に大きく口を開けた。
と、同時に小和泉の右前蹴りが狼男の口の中に放たれていた。
狼男自身の突進力と複合装甲に増幅された前蹴りの威力が相乗効果を生み出した。
狼男の下顎がもげた。四方に茶色く濁った歯と濁った血が舞い散る。
小和泉は前蹴りを止めず、そのまま床へと足を叩きつけた。狼男は勢いに呑まれ、背中へと回転させられ、頭部を踏み潰され脳髄を撒き散らした。
小和泉は、月人を挑発する様に足先に残っていた頭蓋を蹴り上げた。
月人の群れの中に頭蓋が落ちていく。刹那、月人の動きが止まった。光弾の光だけが明滅し静寂が広がる。
次の瞬間、月人の殺意が小和泉へと殺到した。どうやら、今の行為が月人の逆鱗に触れた様だ。
「肉弾戦が希望かな。皆様、受付はこちらですよ。」
小和泉は月人を煽る様に左手をヒラヒラさせた。さらに月人の殺気が高まった。
その殺気を浴び、小和泉はヘルメットの下で笑顔を浮かべ、下半身は充血していった。




