272.結婚の宣誓
二二〇三年七月二十六日 一二二八 KYT 中層部 軍人会館 小会議室
宴も終盤に差し掛かり、結婚の宣誓を行う段となった。
これが婚礼の儀式を締めくくるものとなり、四人が夫婦としての人生を始めることになる。
宣誓とは、新郎新婦が向かい合い、お互いの愛を確かめ合うことを行う。
その方法は、人によって様々だった。
誓いの言葉を交わす者。指輪の交換をする者。誓いの口づけを交わす者。
様々な宣誓が、人の数だけあった。
小和泉達四人は、どの様に宣誓をするか、それぞれ事前に決めていた。
皆が正面の檀上を注視する中、結婚の宣誓が始まる。
檀上には小和泉一人が立ち、傍には東條寺、桔梗、鈴蘭が控えていた。
小和泉は日頃の行動から周囲から注目されるのに慣れていた為、落ち着いていた。
促成種である桔梗と鈴蘭は、脳が強制的に興奮物資を抑制する為、同じ様に落ち着いていた。
東條寺だけが、俯き、身体をゆっくりとくねらせ、一人、落ち着きが無かった。
東條寺の耳や首筋は朱色に染まっていた。これから行う宣誓を父母兄弟に見られることが恥ずかしいのであろう。
最初に動いたのは鈴蘭であった。
一歩前に進み、小和泉の待つ壇上へと軍人らしくキビキビとした動作で上がった。
お互いが向かい合う。どちらも口は開かず、直立の不動の姿勢をとる。しばしの沈黙。
鈴蘭が完璧な敬礼を行い静止する。その視線は小和泉だけを見つめる。
それに答えるように小和泉も完璧な敬礼を返す。普段の小和泉からは想像できない程、美しい敬礼であった。
小和泉には、型通りの敬礼しかしない、もしくは出来ないと思われていた。
だが、そうではなかった。小和泉と鈴蘭が交わす敬礼は、荘厳さと畏怖を纏っていた。
お互いが身に纏う第一種礼装が、さらにその雰囲気を引き立てていく。
参列者からは、「ほう。」「おお。」「見事。」「素敵。」という感嘆の声が上がり、無意識に皆の背筋が伸びる。
日頃から誰もが見慣れている敬礼なのだが、心から敬い礼を尽くせば、芸術的な美しさへ昇華されるという士官学校の教官の言葉が現実となった。
誰もが戯言だと思っていた。教官の見本からその様な気持ちを一度たりとも抱いたことは無い。しかし、今、敬礼に対しての価値観が、覆された瞬間であった。
小和泉と鈴蘭は、敬礼を解いた。二人は凛々しい表情を緩め、お互いに笑顔を浮かべた。
鈴蘭は胸が熱くなる中、壇上から素早く降り、列に戻り心から湧き上がる熱い心を堪能していた。
次に前に出たのは桔梗であった。桔梗は着物の着付けが崩れぬ様に清楚な所作にて壇上に上がり小和泉の正面へと立った。
桔梗の眼には、うっすらと光るものが浮かんでいた。冷静に見えても心は、この時、この空間、この状況に大きく感動していた。
―奏さんと結婚する可能性は考慮しておりました。でも、私が結婚式に参加できるなんて夢みたいです。必ず錬太郎様と奏さんを鈴蘭と一緒にお守り致します。―
桔梗は、恐る恐る小和泉の心臓に右手を重ねた。小和泉のドクン、ドクンとゆっくりとした規則正しい鼓動が一秒毎に伝わり、体温が掌に広がっていく。脈が一般人より遅い除脈であった。
体を鍛えぬいている小和泉の心臓は、鍛え上げられた筋肉により肥大化しており、一回の拍動で送る血流と酸素が一般人よりも非常に多い。
心拍数が低いのが正常であり、桔梗が普段からベッドの上で耳に当てて、直接聞いている鼓動と一致していた。
この良く知る鼓動が、桔梗の心を刺激していく。
小和泉も桔梗の心臓に右手を重ねた。桔梗の鼓動は、普段よりも早くトクトクと波打っていた。感触からブラジャーはしていない様だ。
小和泉は、心臓に当てている掌をずらして着物の襟もとから腕を突っ込み、豊かな胸を鷲掴みしたくなる欲望を精神力で何とか押さえつけた。
小和泉が触れている間、鼓動は少しずつ早くなっていく。それに合わせ、桔梗の頬が桃色に染まっていった。
二人は触れ合った掌から顔を上げると、お互いの視線が絡まりあった。さらに桔梗の鼓動が高鳴る。
「僕は、君達を心より愛する。」
小和泉はゆっくりと優しく口を開いた。
「私は、錬太郎様達を愛します。」
桔梗も慈しむように答える。
二人の宣誓。四人への宣誓。短い言葉だが、虚は無い。実のみで構成された言葉だった。
桔梗の潤む瞳から涙が次々に零れ落ちる。小和泉は桔梗を抱き寄せ、赤子をあやす様に背中を優しくトントンと叩いた。小和泉の中で、桔梗の感泣が大きくなり、四肢から力が抜けていく。
これでは、自身の力で壇上からは降りられないだろう。
小和泉は、列に並ぶ鈴蘭へと視線を飛ばした。
鈴蘭は何も言わず、桔梗の元へと寄り添い、そっと身体を支える。
小和泉の鼓動を感じなくなったことにより、桔梗は我に返り、状況を把握した。
鈴蘭の介添えの元、壇上から降り列へとゆっくり戻っていく。小和泉の体温と鼓動が感じられなくなったのが心惜しかった。
東條寺は自分の番となり、深呼吸を何度か行う。新鮮な酸素を身体に取り込み、暴れる心臓を大人しくさせようとするが、あまり効果は無い。早い鼓動は治まらない。
三人と違い格闘戦の経験はほぼ無い。
格闘戦慣れし、いかなる状況でも平常心を保つ小和泉、桔梗、鈴蘭の三人が異常なのだ。
婚姻の儀で緊張せず、平常心でいる方がおかしいのだ。
東條寺は震える足をゆっくりとゆっくりと動かす。こけない様に。躓かない様に。小和泉の前に立つ為に。
小和泉は、ゆっくりと足を震えさせながらも近づく東條寺を温かい目で見守っていた。
自ら迎えに行くこともできる。しかし、東條寺は己の力で壇上に上がりたいのだ。そして、上がるべきなのだ。
守られるだけの存在では無い。
桔梗と鈴蘭と同じ立場であると小和泉に知って欲しいのだ。
ゆえに小和泉は壇上で静かに東條寺を待ち続ける。
東條寺はゆっくりと壇上に上がり、小和泉の前に立った。今まで足元ばかりを見ていた顔を上げた。
「ちゃんと、私、来たよ。」
小和泉は足を震わす東條寺を強く抱きしめる。それに応える様に東條寺も小和泉を抱きしめ返す。あが、手足に力は入らない。未だに緊張で震えている。
「よく来たね。」
小和泉は東條寺の耳元で囁いた。
その声が切っ掛けとなり、東條寺は小和泉の胸からゆっくりと顔を上げ、小和泉を見つめた。小和泉の黒い瞳には東條寺の姿が反射し、東條寺しか見ていない。
この瞬間だけは、間違いなく小和泉は他の女性のことを考えていない。
東條寺 奏、ただ一人を見つめている。不意に身体から緊張が消え失せた。震えも消えた。
代りに温かな感情が胸いっぱいに広がり、東條寺の瞼をゆっくりと閉じさせた。
小和泉は、東條寺の前髪を優しく解き、淡い桃色の口紅が塗られた唇へ優しく口づけをする。
自制心を全力稼動させ、舌を入れたくなる欲求を抑える。
今は、それを行う状況では無い。東條寺の夢を叶えることが最優先だ。
しばし、二人は接吻を交わしたまま動かない。お互いの体温を全身と唇から感じていた。
ベッドの上とは全く違う体温の伝わり方。ベッドではお互いを遮る物が無いため、すぐに温かくそして熱くなるが、服を着ている分、体温の伝わり方はゆったりしたものだった。だが、直接肌が接する唇は違った。熱い。蕩けそうな程、熱い。いつもの口づけよりも火傷しそうな程に熱い。
その時、予定に無かった行動を東條寺が起こした。
小和泉の唇をやや強く噛み、血を滲ませる。小和泉はその程度の痛みで表情を変えることはしない。
―このいたずらっ子め。―
と思うだけだ。
そして、東條寺はその血を桃色の柔らかい舌で綺麗に舐めとり、見せつける様にゴクリと飲み込んだ。
「二人だけの血の契り。これで逃げられないし、逃がさない。絶対に離れない。ね、旦那様。」
小和泉に囁き、妖艶に笑う。普段と違う東條寺の表情に小和泉の劣情が高まるが、平常心を総動員し、表情は笑顔を貼り付けたままでいることに成功した。
東條寺は名残惜しそうに小和泉から離れた。血の契りを交わしたことで落ち着いたのだろうか、登壇時の震えは完全に治まっていた。しっかりとした足取りで列に戻った。
―あらら。危ない性格の持ち主と結婚したかもしれないね。―
と小和泉の本能が危険信号を送る。
だが、後悔は無い。それはそれで人生退屈し無さそうだ。面白ければ良いのだ。
「婚姻の儀はつつがなく執り行われました。菱村家と小和泉家は、一族と相成りました。より深い関係を紡ぐことを願います。」
鹿賀山が締めの言葉を述べた。
これにて婚姻の儀は終了し、解散となる筈だった。
「傾注。」
突如、菱村の低い声が部屋中に響き渡った。祝賀の雰囲気は一瞬で消え去った。
軍属の人間は反射的に気を付けの姿勢をとり、一般人は何の反応も出来ず、何事かときょとんとしていた。
「告げる。第八大隊は、この部屋の向かいの第二小会議室へ集合せよ。直ちにだ。行動開始。」
菱村は冗談で言っている様では無かった。
いつの間にか白河が会議室の扉を開き固定していた。
また、向かいの第二会議室の部屋の扉は菱村鉄之丞が開いていた。
「831小隊、急げ。即応だ。」
鹿賀山の催促に皆が冗談では無いことを実感した。
『了解。』
第八大隊所属の菱村、鹿賀山、小和泉、東條寺、桔梗、鈴蘭、カゴの七名が着飾ったまま、第二会議室へと素早く移動する。他の参列者は呆気にとられ、見送るだけであった。
七名が入ると同時に鉄之丞により扉は閉められた。
中に入ると第八大隊副長が待ち構えていた。こちらは略式の制服を着用していた。
副長が菱村に敬礼し、即座に情報端末の操作を行った。
正面のホワイトボードに戦略図が表示された。
「では、これより作戦を説明する。」
それが、小和泉達の結婚式の終了の合図となった。




