270.鈴蘭の計略
二二〇三年七月二十六日 一〇三一 KYT 中層部 軍人会館 新郎控室
軍人会館は、日本軍の関係者が集会や冠婚葬祭等を執り行うのに使われている施設だった。
小和泉は五メートル四方の薄いクリーム色を基調とした柔らかい雰囲気の小部屋に居た。
木目調の衣装ハンガー、机、椅子等が並べられ、壁には大きな姿見が貼り付けられていた。
ここは、新郎の控室として用意されたものだ。
部屋の面積がもっと広く似たような部屋は、新婦たちの控室となり準備をしている筈だ。
この時間だと準備を終えているはずだ。
小和泉は、白を基調とした華麗な軍服を身に付けていた。肩や袖は黒い布地により飾られ、そこには幾何学模様が金糸で縫い込まれていた。
左胸には、今まで受勲した勲章が幾つもぶら下げられていた。
足元の黒い革靴もしっかりと磨きこまれ、天井の照明を反射していた。
制帽を被り、鏡の前に直立不動の姿勢を取ってみた
日本軍の第一種礼装を着こなした理想的な軍人の姿がそこにはあった。
戦闘には全く向かない服装だが、威厳と荘厳さに満ちた気配を感じさせた。
「ま、こんなものかな。」
小和泉は、自分自身の姿を上から下まで目を凝らして確認をする。
自分の為ではなく、恋人、いや婚約者三人の為であった。
「今日は晴れの日になるから、恥をかかせるわけにはいかないよね。どうかな、カゴ。」
気配を消し、隅に控えていたカゴへ話しかけた。
カゴも今日は礼装を着用していた。だが、小和泉の礼装よりは簡略化され、飾り物が無い白い礼装だった。
こちらは日本軍第二種礼装だった。この礼装に肩や袖に飾り等を付ければ、第一種礼装になる。
今日の主役は小和泉とその婚約者三名だ。目立つ必要は無いため、第二種礼装に留めていた。
「よくお似合いであります。宗家。こちらの儀礼剣をどうぞ。」
カゴは小和泉の腰に黒い人工皮革製の剣帯をつけ、白い鞘に収まった儀礼剣を帯剣させた。
刀身は強度も無く、刃引きされた戦闘には使えない装飾品だ。
勲章以外は全て日本軍からの支給品だ。礼装など日常で使うことなどない為、個人で所有することは無い。事前に申請し、借り受けるのだ。
資源不足の影響がこの様なところにも出ていた。
今日は、婚礼とその宴を行う日だった。つまり、小和泉にとって独身最後の日である。
東條寺達三人が企画立案し、小和泉が全面協力をした集大成の日でもある。
式典としては地味なものである。挨拶と婚姻の宣言。立食による宴会。以上だ。
記録映画では、派手な衣装を何度も着替えたり、豪華な食事を提供したりしていた。
また、良く分からぬ余興も行われ、お祭り感があったが、現代ではその様な無駄な行為は廃れている。
親族だけを招き、交流関係を深くすることが主となっている。
友人や仕事関係者を招く様なことは、食糧事情が許さない。親族だけが集まるのであれば、必然的に余興も廃れ、結婚式は簡略化されていった。
唯一、残された風習は花嫁が一着だけだが、着飾ることだった。と言っても昔と比較すれば、控えめになったことは仕方がないことだろう。それでも、普段と違う装いができるという特別感は、花嫁たちの心を大きく踊らせた。
「宗家、お時間です。お迎えに参りましょう。」
カゴは、開宴の時間が迫ったことを小和泉に告げた。
「じゃあ、いこうか。花嫁姿だけは三人に秘密にされたのだよね。はてさて、どんな格好だろうかね。楽しみだよ。」
小和泉は新婦控室へと足を運んだ。
二二〇三年七月二十六日 一〇四〇 KYT 中層部 軍人会館 新婦控室
小和泉は新婦控室の扉の前に立った。この扉の向こうには、小和泉の為に着飾った花嫁三人が居るのだ。
「なあ、カゴ。ここで敵前逃亡ってありかな。」
小さな声で脇に控えるカゴへ話しかける。
「宗家がお望みならば、全力を持って協力致します。ですが、菱村の方々を敵に回すと、この地下都市では生きていけないと思われます。」
「うん、そうだよね。分かっていたよ。真面目な解答ありがとう。」
深呼吸を一つした。
―覚悟はずっと前に決めた。今日は、状況に流されよう。僕の能力を発揮する機会は無いからね。さらば、独身生活。こんにちは、新婚生活。―
小和泉は心を落ち着かせ、扉をハッキリとノックした。
「どうぞ。」
上気した返事は、東條寺の声だった。
小和泉は意を決し、扉を開けた。部屋に入ると三枚の白いカーテンが小和泉の視界を遮っていた。
薄らとカーテンに人影が映っていた。どうやら、何かの趣向らしい。
「ねえ、錬太郎。誰から見たいかな。」
カーテンの向こうから東條寺が尋ねた。
「一人ずつ披露して感想を求める趣向なのかな。じゃあ、階級順でお願いするよ。奏、桔梗、鈴蘭の順番だね。」
-ここで順番を聞かれるとは、思わなかったな。無難に階級順と言っておこうね。変に名指しすると危険な香りがするよ。-
小和泉の危険予知がそう告げた。
「じゃあ、私ね。」
その声と同時に一番左のカーテンが下に落とされ、東條寺の姿が露わになった。
肩と二の腕を大胆に出した白のパーティドレスは、東條寺の膨らみとくびれを目立たせた。その姿態を隠すように全身を淡い水色の大きく長い帯が、その身体に纏わりついていた。その帯には小さなガラス細工が散りばめられ、細かな光を反射し東條寺を輝かせていた。
髪型はいつものショートカットではなく、付け毛をしたのだろうか。腰まである真っ直ぐの黒髪が白いドレスのアクセントとして光り輝いていた。
東條寺はその場でゆっくりと一回転をした。遠心力で黒髪がふわりと広がった。
「美しいね。記録映画に出てくるお姫様の様だよ。少し宴の開始時間を遅らせて、じっくり二人きりで見せてくれないかな。」
「だ~め。時間変更は不可です。はい、桔梗、どうぞ。」
東條寺の合図で中央のカーテンが下へ落とされた。
桔梗は、着物だった。白い着物の上に薄い透明感のある桃色のレースを羽織っていた。桃色のレースには花柄の刺繍が施されていた。丈は長く、床には花弁の様に広がっていた。
桔梗の髪の右側面を飾る小さな三つ編みには、レースに合わせた桃色の花飾りが大輪を咲かせていた。
「いかがですか。錬太郎様。」
桔梗が頬を染め、上目遣いで恥ずかしそうに尋ねてきた。
「まるで一輪挿しの美しい花の様だね。これは他の者に見せるのが惜しいよ。このまま部屋に飾っておきたいね。」
「錬太郎様がお望みでしたら、私は構いません。」
軽く握った拳を口元に添え、照れ隠しを行う。その姿が和装に映え、色気が増す。
「よし、桔梗はお持ち帰りの準備を。」
「はいはい。時間が無いのよ。次は鈴蘭ね。」
東條寺が小和泉の悪癖を止めた。
最後のカーテンが下へと落とされた。
「えっ、これは。」
鈴蘭も二人と同じく白い姿だったが、小和泉は予想外の服に驚かされた。
その服は、日本軍第一種礼装だった。女性の場合は、男性のスラックスと違いタイトスカートになる。そして、儀礼剣の代わりに白い短い儀礼仗を左手に持っていた。
制帽を被り、派手な金糸による装飾を施された礼装を着用し、見本となれる敬礼を行う鈴蘭の姿があった。左胸には受勲した勲章が一つぶら下がっていた。
凹凸が少なく、背が低い鈴蘭には、礼装はよく似合っていた。
美しさと強さを併せ持つ、愛らしい女性の姿がそこにあった。
「これはこれでそそるね。良く似合っているけど、どうして礼装何だい。ドレスは着なくても良かったのかい。」
「これならば、隊長とお揃い。並んでも違和感無い。ペアコーデが至高。」
敬礼を解いた鈴蘭は胸を張り、自信満々に答えた。こんな時でも、相変わらず管制官の様な話し方だ。
「鈴蘭、ずるいわ。そんな思惑があるなんて。それも今明かすなんて策士過ぎるわ。」
東條寺が両手を腰に当てて、呆れていた。
「なるほど、よく考えられています。第一種礼装は、軍の許可が無ければ着用できない特別な制服。
これでは、日本軍公認の夫婦ではないですか。
盲点でした。錬太郎様と同時に着ることは今後皆無でしょう。そこまで考えが見抜けませんでした。不覚です。」
鈴蘭が小和泉と一緒に並ぶと第一種礼装の荘厳さが引き立った。
お互いが寄り添う姿に違和感は無く、華美にまとまっていた。
東條寺と桔梗は、鈴蘭の礼装を羨ましく思いつつも、その機転と知恵を持つ新しい家族を誇らしく見つめていた。




