267.四者四様
二二〇三年六月二十八日 〇九三一 KYT 第八大隊 大隊長室
小和泉は大隊長室の中心で菱村と白河に前後を挟まれ、身動きが取れなくなっていた。
怒りを露わにする菱村中佐。
殺気を周囲に漏らす白河少佐。
二人の上官を殴り倒す訳にもいかず、小和泉は進退窮まっていた。
「さあ、ハッキリとしてもらおうじゃねえか。」
菱村が事務机を両手で叩く。叩いた弾みで情報端末が机の上で跳ねた。
ここまで感情的な菱村を小和泉は見たことが無かった。
「まあまあ、落ち着いて下さい。私から諭してみましょう。」
背後から優しげな声で白河が菱村へと声をかけた。だが、殺気は消えていない。ますます濃厚になっている。
その優しさが不気味だ。鬼の憲兵がここまで優しくなる理由を小和泉は知らない。
「さて、大尉。今の状況を把握しているかね。」
白河は小和泉を背後から腕を回し、肩を組んだ。肩を掴んだ掌の握力がドンドン高まり、痛いくらいだ。しかし、小和泉は瞼すらピクリともさせず、涼しい顔でいた。
「全く理解していません。」
ここは正直に答えるしかなかった。小和泉は、腹芸を使うような器用さを持ち合わせていない。
「では、お兄さんが説明してあげよう。」
「よろしくお願い致します。」
「大尉は東條寺少尉と婚約をしたと記憶しているが間違いないね。」
「はい、その通りです。」
「では、いつ結婚式を行い、入籍をし、どこに住むのかね。」
「全くの未定です。」
「二人で話し合ったり、少尉から話を持ちかけられたりはしたかい。」
「記憶にありません。」
握られている肩の握力がさらに強まる。関節が外れそうだ。
「では、いつ話し合うつもりかい。」
「予定はありません。」
肩に当てられた掌が爪を立てる。そして指先が肩へと喰い込んでいく。
白河の殺気がさらに膨れ上がった。
「それが菱村中佐は気に入らないと仰っているのだよ。」
「と、言われましても。あたた。」
白河は小和泉の反論を許さなかった。鞘に入ったサバイバルナイフを脇腹に強く強く差し入れた。
さすがの小和泉も急所を尖った物で刺されると痛いのだ。
「お兄さんはね、いつ入籍するか、今決めろと言っているのだよ。」
「入籍ですか。そのうちに、いたたた。」
鞘がついているとはいえ、肋骨の隙間をナイフでこじ開けられると痛みを感じない訳がない。
「失礼致しました。自分一人で決める訳に参りません。早急に東條寺少尉と相談し、日程を詰めます。」
小和泉の額に痛みで脂汗が浮き始める。
「ふむ、第一段階の答えとしては良いでしょう。ですが、早急では許可しません。本日中に相談しなさい。」
程良い返事をもらえた為か、白河の攻め手が弛んだ。
「本日中でありますか。了解しました。」
―相談するふりで、今晩呼び出して楽しんだらいいよね。―
この時点では、小和泉は逃げ切れるつもりであった。
「私も同席します。」
「えっ。何故ですか。」
「大尉は、とりあえず今晩会って逢引で済ませよう、と考えているのでしょう。」
「嫌だなあ。自分がそんな人間に見えますか。」
「そうとしか見えないのですよ。私がどれだけの悪人と接してきたと思うかね。そういう考え方は、悪人の共通点なのだろうかね。」
「わかりました。では、今晩、一九〇〇に自分の寮に集合でよろしいでしょうか。少佐。」
「よろしい。では、今晩を楽しみにしているよ。」
そう言うと白河は、小和泉から手を離し解放した。ようやく背後から感じていた殺気が霧散した。
脇腹にめり込んだナイフの痕がまだシクシクと痛む。
「おい、狂犬のう。良い報告だけを期待しているからな。」
菱村の小和泉を睨みつける目が鋭く昏く点り、目が据わっていた。
―どうやら、返事次第では殺されるかも。これは本気だね。―
「もう下がっていいぞ。というか、とっと打合せして来いや。」
菱村の声で退路を塞ぐ白河が道を開いた。
「了解。小和泉大尉、部署に戻ります。」
小和泉は敬礼を行い、速やかに大隊長室を出た。大隊長室に留まり続け、状況を悪化すべきではないのだ。撤退できる機会を逃してはならない。
「やれやれ。僕も妻帯者の仲間入りか。家庭を持つって、何だろうね。今と何が変わるのだろうか。
僕には、想像も予想もできないや。はあ。
ところで、白河少佐が居たのは何故だろうね。まあ、どうでもいいか。」
小和泉は、ため息を一つつくと控室へと廊下を歩き出した。
二二〇三年六月二十八日 一九〇三 KYT 士官寮 小和泉自室
小和泉が住む士官寮のリビングは、多種多様な空気が混ざり合っていた。
リビングの中央に置かれた普段食事を摂っている長方形のテーブルには、四人の男女が座っていた。
これから行われる話し合いに参加する四名の感情は、バラバラであり、同じ方向に向いていなかった。
この部屋の主である小和泉は、結婚に対しては後ろ向きであり、自由を奪われることを気にしていた。
―今からでも、婚約破棄できないかな。できないよね。おやっさんが良い報告だけを聞くと言っていたよね。逃げたら、殺されるよね。どうしたものかな。―
今になっても結婚から逃れる方法を考えていた。もっともその思考は、無駄であり、徒労となるとなることは理解していた。ゆえに気も重くなる。最初から答えは決まっている。あとは、期日を決めるだけなのだ。
その隣には、同居人である桔梗が座っている。皆にコーヒーを配った後、黙り込み、静かに俯いている。
―促成種である私の寿命は、短く設定されています。あと十年生きることができれば良い方でしょう。それに錬太郎様との間に絶対に子供はできません。鈴蘭も同じです。
奏さんは戦友でありますが、大切な親友でもあります。
ならば、後を託す人物として奏さんの存在は、有用ではないでしょうか。
ですが、それは女として認めたくはないのです。
しかし、錬太郎様の子供をこの手に抱き、慈しみ、育てたい。その感情が私の平静を大きく揺るがします。私の代わりに奏さんに産んで頂くのが良いのでしょうか。
一体、何が正解なのでしょう。―
この状況を喜ぶべきか、悲しむべきか、複雑な心境であった。
小和泉の対面には、東條寺が座っていた。菱村と白河からの話を聞いた東條寺は一日中浮かれており、鹿賀山に嗜まれる程であった。今も浮かれている。
―ああ、ついに錬太郎と結婚できるのね。二人とも士官だし、一軒家を借りることも出来るわよね。
でも、この部屋に私が転がり込むこともありかも。だって、この部屋には思い出がいっぱいあるし。
桔梗と鈴蘭も一緒に住むのは決定事項よね。だとしたら、この部屋は狭いわ。
後ろ髪を引かれるけれども、一軒家を借りるべきよね。でもワンフロア借りるのもありよね。
その方がお互いの顔が良く見えるものね。
それに子供が生まれたら、この部屋じゃ手狭だわ。やだ、私。もうそんな先のことまで考えて。
まずは、式の準備に新居の準備。式は、私と錬太郎の二人だけとはいかないわよね。桔梗と鈴蘭も花嫁として一緒に並びたいわよね、ふふふ、新郎一人に対して、新婦が三人って錬太郎らしいな。
父様と兄様は許してくるだろうけど、母様はどうなのかしら。父様も似たような人だし、きっと許してくるわよね。やだ、顔がにやけて真顔が保てないわ。もう、どうしたらいいのよ。―
余程、小和泉との結婚が実現することが嬉しいのだろう。終始、ニコニコと笑顔を浮かべていた。
そして東條寺の隣には、白河が座っていた。菱村の代わりに参加する目付け役である。
朝に見せた殺気は消え去り、沈着冷静をモットーとする憲兵らしい態度で姿勢正しく座っていた。
何も発言せず、ただ沈黙を守る。表情は能面の様であり、感情は表に一切出ていなかった。
落ち込む小和泉。
葛藤する桔梗。
浮かれる東條寺。
沈黙を保つ白河。
この四人がこの場に集った者達である。
ちなみに小和泉は、東條寺、桔梗、鈴蘭へ朝の話を伝えていた。
誰かにまたは皆に刺される位は、覚悟していた。
その程度で済まされないことをしてきたことと、しようとしている自覚は持っている。
ゆえに避けず、逃げず、己の身体で受け止めるつもりであった。
意外にも話は、あさっりとついたのであった。小和泉にしては、修羅場となり、一刺し位は覚悟していた為、拍子抜けしてしまった。
鈴蘭はあっさりしたもので、桔梗に全権を委任し、話し合いの場には参加しなかった。
そして、小和泉は重要人物の存在を完全に忘れていた。
それが己の身に惨劇を招く事態になるのであった。




