265.菱村からの呼び出し
二二〇三年六月二十八日 〇八五〇 KYT 第八大隊 控室
一週間の休暇が終わり、小和泉は軍務に復帰した。といっても、しばらくは事務仕事と訓練の予定のはずだ。小和泉達が持ち帰った情報の解読が終わらない限り、大がかりな作戦が実行されることは無いだろう。
ただ、開発室から九久多知の改良の確認を依頼される可能性は十分あった。
―いや、確実に改良後に依頼されるだろうね。あの別木室長が九久多知を整備するだけで終わる訳がないよね。絶対にいじってくるよね。嫌な予感しかしないよ。ま、成るように成るかな。―
小和泉は、今日は略式の制服を着用していた。
しばらく緊急出動は無く、野戦服を着る必要は無いだろうと小和泉の勘が告げていた。
根拠は無い。本当に勘だけである。
だが、その勘を信じることで生き延びてきたことは事実であり、今後も己の勘に従うだろう。
野戦服は、通気性が悪いというか、空気を遮断している為、着心地が悪い。蒸れるのだ。
ヘルメットを被るか複合装甲を纏えば、空調機能が使用できるのだが、内勤時には両方とも必要が無い為、空調機能を使用することはできない。
それに野戦服はツナギの形をしている為、用を足すだけでも面倒だった。かといって、し尿処理パックは、作戦時以外の使用を認められていない。資源不足の為、備品の節約である。
ゆえに今日は略服を着用していた。
略服は濃い灰色を基調とし、屋外用ジャンパーから中の断熱材を抜いたようなデザインだった。
ポケットの数だけは無駄に大きく多く、ハンドガンや手榴弾ですらそのまま仕舞えた。
襟元には、濃緑色のネッカチーフを巻いていた。ネッカチーフには、複合型高密度フィルターを挟んでおり、鼻と口を覆うことで簡易ガスマスクとして使用できた。
足元は、底が平たい黒い革靴を履いていた。見た目はただの革靴であるが、爪先には複合セラミックス製の安全芯が組み込まれた安全靴になっていた。
略服で男女に違いがあるのは、下半身に着用する軍服だった。
男性にはスラックスが、女性にはタイトスカートが支給されていた。
だが、女性兵士の多くは男性用のスラックスを穿いていた。やはり、タイトスカートよりスラックスの方が動きやすく、人気があった。
これを日本軍は咎めることは無かった。実力を発揮できるのであれば、多少の軍規違反には目を瞑る傾向があった。
桔梗は少数派のタイトスカートを着用していた。
時折、小和泉から感じる視線が多いのがスラックスではなく、タイトスカートだったからだ。
「錬太郎様には、たくさん愛でて頂きたいです。」
小和泉が喜ぶのであれば、桔梗の選択肢は自ずと決まる。選択というよりも義務に等しい。
桔梗にとって小和泉が喜ぶことが最優先である。
そこが、他の恋人達と違うところだった。
東條寺は、
「嫌よ。錬太郎以外に見せたくないわ。」
と切り捨て、下衆な男の視線を忌避してスラックスを選んでいた。
といっても東條寺の羞恥心は、士官学校に置いてきた。恥ずかしいのではない。
戦場では男女の区別は無く、トイレや風呂も全て男女共同であり、更衣室は存在しない。
お互いが全裸を見せている。入浴時間は限られ、羞恥心で隠したりしていれば、すぐに時間切れとなるのだ。
ゆえに兵士だけでなく、士官も裸を見ることも見られることは当たり前であり、日本軍の常識であった。
もっとも戦場で裸に慣れているのと、日常生活で下衆な視線で見られるのが不快であることは、別の話である。
そして鈴蘭は、
「機能性重視。スラックス、一択。」
単純に動きやすさからスラックスを着用していた。
衛生兵として動く場合、スカートは確かに不都合が多いのだろう。
地面に膝をついた時、スカートでは膝頭がむき出しとなり、痛みや小さな擦り傷がつく。だが、スラックスであれば、ある程度それは緩和されるのだ。
下着が露わになる事には無頓着であった。別に秘部を直接見られる訳では無いので、問題は無い。
効率を重視する鈴蘭らしい選択だった。
小和泉は就業時間十分前に大隊控室へと出勤した。
時間前に出勤できるのは桔梗のお陰である。同居している桔梗が起こし、司令部へ腕を組み、無理やり連れて来るのだ。今も小和泉の左手に桔梗は腕を絡ませている。
ゆえに小和泉は逃げることも寄り道をする事も許されなかった。
その為、遅刻や無断欠勤も無く、出退勤に関しては品行方正な成績を収めていた。
小和泉の出勤に気づいた東條寺は小さく手を振る。本人は誰にも気付かれていないつもりだろうが、
歴戦の兵士達が集うこの大隊控室で気付かない者はいない。
「なぜ、大尉だけがもてる。理解不能だ。」
「エロ魔人のどこがいいんだよ。」
「畜生、東條寺少尉を狙っていたのに。いつの間に関係を結びやがった。くそったれ。」
「あいつ、女全員を寝取るつもりか。闇討ちしてえ。」
「俺なら、一途に一人の女性を愛するのに、なぜだ。死ねばいいのに。」
と、似た様な怨嗟の声が小和泉の耳に殺気とともに届く。皆、想いや殺気を隠すつもりはない。
これが第八大隊の朝の始まりだった。今日も平常運転だ。
小和泉が、殺気や妬みを風の様に受け流し、自分の席に着くと桔梗から解放された。桔梗は自動調理機へ向かい、小和泉の為のコーヒーを用意しに行き、自分自身の物も同時に用意し、小和泉の隣席についた。
ただ、いつもと違うのは大隊全隊に暗鬱な空気が部屋全体に圧し掛かっていた。
約二百名が詰めるはずの第八大隊の控室に空席が目立った。空席の率は、およそ二割程だった。
小和泉は状況を即座に察した。
「桔梗、状況報告。」
小和泉は、隣席に座る桔梗へ状況説明を求めた。
「はい、戦死者二十一名。重傷による入院、二十二名です。死傷率、約20%でした。ちなみに井守少尉は戦死扱いです。」
桔梗は情報端末を操作し、必要な情報を取捨選択していく。
空席は戦死者か重傷者の存在を表していたのだ。その戦友を悼む気持ちが暗鬱な空気を生みだしていたのだった。
「831小隊が都市内に籠っている間、地上の第八大隊は陽動作戦を展開。831小隊へ意識が向かぬ様に攻城戦を三日間にわたり展開。その戦闘による損害です。」
「なるほどね。道理で敵の圧力が少なかったわけだ。
でも、おやっさんらしくないね。831小隊十六名を護るために損害を出し過ぎだよ。」
「はい、錬太郎様のおっしゃる通りです。冷たい算数を実施すれば、被害無しで撤退も可能でした。やはり。」
桔梗がそこで言い淀んだ。
「娘、可愛し、捨てられず。かな。」
「かもしれませんが、我々の救援無線が原因かもしれません。」
「あの一か八かの無線が届いていたのかい。」
「はい、受信されています。これが陽動作戦を展開する切っ掛け、もしくは決断の原因となったと思われます。命令自体は総司令部より下されていますが、作戦立案は菱村大隊長の名前になっています。」
「娘可愛しか。おやっさんも人の親だね。」
「錬太郎様、御覚悟を。」
桔梗が鋭い目つきで小和泉を見つめる。
「え、何を。」
「すぐにわかります。」
桔梗はそれだけを言うと机の正面に向かい、事務仕事を始めた。その横顔は憂いを帯びていた。
小和泉も机の正面に向かい、仕事を始めようとした。
事務机の情報端末には、文書受信と表示されていた。
―早速、お仕事が来ている様だね。―
小和泉は文書受信の表示を押した。
小和泉の指紋を直ちに認証すると、文書送受信画面が動作し、重要の目印がついた文書が開いた。
それは、大隊司令部への出頭命令書であった。
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二二〇三年六月二十八日 〇八四五
発 日本軍第八大隊司令部 大隊長 菱村 剛中佐
宛 第八大隊第三中隊第一小隊第二分隊隊長 小和泉錬太郎大尉
題 命令書
小和泉大尉は、第八大隊司令部大隊長室へ〇九一五に出頭せよ。
以上。
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―ついさっき、届いたのか。差出人は、第八大隊大隊長の菱村中佐かあ。おやっさんは、僕に何の用があるのだろうねえ。
今回の作戦の報告書は検疫検査中に提出したし、最近は軍規違反をした心当たりも無いんだよね。
一体、何だろう。―
桔梗が入れてくれたコーヒーを飲みながら、最低限の事務処理だけを済ませると、小和泉は控室隣の大隊長室へ向かった。




