264.混ぜるな危険
二二〇三年六月二十七日 一〇一五 KYT 深層部 日本軍開発部
別の場所では、小和泉が組み合わせてはいけないと考えている三人が顔を突き合わせていた。
体育館の広さに白い壁で囲まれた研究室の中央には、強固な骨組みに支えられ、黒体塗装を施された複合装甲が鎮座していた。
小和泉の専用複合装甲である『九久多知』だった。
複合装甲からは、様々な色、太さのケーブルが伸び、複数の情報端末へと接続されていた。
情報端末の前には、白衣を着た研究員と思しき数人がモニターに表示される文字と数字に一喜一憂していた。
その背後に大型の書斎机が置かれ、机上に鎮座する大型モニターには統合された情報が更新表示されていた。それを見ながら、三人の男女が熱のこもった議論を交わしていた。
一人は、ポニーテールを丸く固めたシニヨンの二十代の白衣を着た女性。小和泉の主治医であり、鹿賀山の婚約者でもある多智薫子。
もう一人は、腰まで伸びた艶やかな黒髪をなびかせる狐顔の二十代の美女。黒を基調としたフリルやレース、リボンをふんだんに使用したドレスに似た洋装を身に付け、編み上げの人工皮革の黒いブーツを履いている。小和泉の姉弟子であり、親代わりでもある二社谷亜沙美。
最後の一人は、低い身長に張り出した腹。細い手足に頭部の毛髪が一切無い五十代の白衣を着た男だった。この九久多知開発室室長の別木志朗だった。
混ぜるな危険と小和泉が心から思っている人物達であった。
この三人には共通点が一つだけあった。三人の倫理観には、一般人とは違い嫌悪と禁忌が無い。
己の研究や結果に益をもたらすものであれば、手段や材料などを一切問わない人種だった。
「うんうん。この結果は良いね。概ね規定通りの能力を発揮しているね。うんうん。」
うんうんが口癖となっている別木は、試験運用の結果に満足をしていた。
「室長、ここの反応値が0.2秒遅れています。神経接続は問題ありません。処理速度を早くできませんか。」
多智がモニターに表示されている反応速度を指差す。
「確かに予定より処理が遅れているが、問題無いだろう。現に大尉は使いこなしている。うんうん。」
「錬ちゃんに負担をかけちゃだ~め。些細な遅れや自信の思考と動きの乖離は、身に危険を招くわ。武術家にとっては致命的な齟齬よ。認められないわね。」
二社谷が頬を膨らませながら指摘する。
「ふむ、素人の意見は人を殺すな。うんうん。格闘の達人である二社谷君がそう言うなら必要なのだろう。
しかし、処理装置の性能は変えられない。では、機械構文の行数を減らしてみようか。
つまり、更なる最適化を行ってみよう。機械構文の行数が減れば、読み込み時間の短縮になり、反応値の向上が期待できるだろう。うんうん。」
「あと、博士。複合装甲の動作が一ミリもずれているの。これもだめ。急所の血管や神経は、細いのよ。ナイフがずれて神経を切断できないと怖いわ。動かなくした筈の手で殴られたくないわ。」
「確かに警備官殿の指摘通りです。照準構文も見直しが必要です。」
「やだやだ、薫子ちゃん。硬い。亜沙美お姉ちゃんと呼んで。」
「仕事中です。公私の区別はつけます。」
多智は、この人は突然何を言っているのだと冷ややかな目で見つめる。
だが、二社谷は涼しい顔で受け流す。
その様な視線は散々小和泉から発せられ、その都度、小和泉の態度を暴力で修正してきた。
さすがに多智にそれを行うことは無い。その程度の常識は持っていた。殺してしまうからだ。
「なら、帰る。亜沙美お姉ちゃんと呼んでくれないと帰る。もう二度と来ない。」
―この人は、何をしに研究室に来ているのでしょうか。理解に苦しみますね。
たかが呼称。こちらが折れましょう。―
多智はため息を一つついた。
「分かりました。亜沙美お姉ちゃん。話を続けても。」
「分かってくれればいいのよ。さぁ、検討を続けましょう。」
「うんうん。では、続けよう。このブレは関節の摩擦係数の高さではないかな。亜沙美お姉ちゃん。」
「別木室長は駄目。不許可。鳥肌が立つわ。」
「差別は良くないよ。うんうん」
「区別ですぅ。ねえ、ここの駆動力の制限を解除しましょうよ。」
「医者としてはお勧めしません。小和泉の肩が脱臼する確率が跳ね上がります。」
「なら大丈夫よ。錬ちゃんなら自分で治せるもん。」
「確かに小和泉ならば可能でしょうが、脱臼をはめるのは相当痛いですが。」
「私は痛くないもん。痛いのは錬ちゃん。だから、大丈夫。」
「うんうん。二社谷君が言うなら解除しよう。僕も解除して九久多知の性能を完全に発揮させたいと思っていたのだ。」
「お二人がそう言うなら外しましょう。小和泉の身体が壊れても治せば良いだけですから。」
「こことここの装甲板要らないと思うの。関節の可動範囲が狭くなるし。」
「そこは人体の急所ですよ。」
「避ければ当たらないわ。」
「しかし、避け損なった場合、致命傷に繋がりかねませんが。」
「可動範囲が狭くて避けられませんでした、の方が私は怖いわ。」
「うんうん、自分のイメージと実際の行為の齟齬か。なるほど、一理ある。
よし、装甲板を外そう。軽量化にも繋がるね。うんうん。」
和気藹々の雰囲気で九久多知の検討会は続く。その内容は、小和泉の安全性という担保を除外し、九久多知の性能を高めるだけのものであった。
この三人にかかれば、小和泉の命は安い。四肢を失くそうが、臓器を壊されようが頭に収まる脳さえ無事であれば良いのだ。生体移植や機械移植にて身体は取り戻せると考えていた。
検討している九久多知の本体は、和気藹々できる様な代物ではない。
実際に組み立て時に、強烈な背徳感から数人の研究員が腹の中身をぶちまけてしまった程に邪悪な物だ。
それを楽しそうに話している三人に研究員達の背筋に冷たい汗が流れる。
「おいおい、あれを見ながら笑っているぞ。」
「馬鹿、目を合わすな。もっと深みに巻き込まれる。俺、メンテしたくないぞ。」
「俺、配置転換の嘆願書を出そうかな。」
「止めとけ、軍機に触れた人間を軍が手放す訳ないだろう。再利用されるぞ。」
「そうだ。ここで大人しく飼われるしかない。あきらめろ。」
「だが、手を抜くなよ。使えない人間も再利用だからな。」
「そうだった。最近、あいつの姿を見ないな。」
「ええっと、斉藤。」
「名前を出すな。俺達を巻き込むな。」
「すみません。僕、大丈夫ですよね。」
「口が軽い奴から姿が消える。気を付けろよ。」
「わ、わかりました。注意します。」
正気を保つ研究員達が小声で話す。
だが、検討中の三人は聞こえていてもそれを気にすることは無い。
そこまで人を縛る気は無い。多少、外に情報が漏れても困ることは無い。
総司令部がもみ消してくれるからだ。
ちなみに姿を消した斉藤は、鬱病を発症し軍立病院に収容されただけなのだが、その事を知っているのは多智だけだった。
松木は個々としての部下には興味が無い。
二社谷はそもそも斉藤の存在を認知していない。
そもそも、その様な些事で頭は悩ませない。今は、脳の処理は全て九久多知の開発に振っているのだ。
検討しているのは、機械工学博士、医学博士、暗殺者の三人だ。
それも、いかに効率良く月人を殺せるかの検討だ。
集まった人間も話している内容も和やかな雰囲気とかけ離れた狂気の世界であった。
日本軍で個人専用の機体を用意されることはなかった。
兵士は消耗品であり、いつ消耗するか分からぬ者に専用機を与えるということは今までに無かった。
専用機は、開発や整備に関して補給や整備に負担をかけるからだ。共通規格であれば、部品も整備員も何も悩む事なく、積み重ねてきた経験で故障修理や不具合の原因を特定できる。
しかし、専用機となれば、部品や設計が独自の物となり、整備員たちは新たに一から知識を習得し、経験を積まなければならない。
資材と人材が不足している日本軍にはその余裕はない。ゆえに専用機は今まで誰にも与えられなかった。
だが、今回の九久多知に限り日本軍は専用機の開発を認めた。
認めざる得ない理由として鉄狼の出現だった。
今までの月人であれば、量産型の複合装甲や促成種の強化身体で対抗できていた。
だが、促成種の強化された身体能力でも、自然種が装備する複合装甲でも鉄狼に対抗するには心もとなかった。数を揃え、時間をかけ、戦力の集中運用を行なえば処理もできよう。しかし、鉄狼に専念している間に他の月人により防衛線を突破されるだろう。
そこで現有戦力にて鉄狼と対等に戦う小和泉の格闘戦能力の高さに日本軍は目を付けた。
小和泉大尉であれば、格闘特化型複合装甲を与えれば、充分に勝てるのではないか。
鉄狼相手に一個小隊から一個中隊をつぎ込むのは、戦力の浪費ではないか。
小和泉大尉だけで鉄狼を排除できれば、日本軍の損害を限りなくゼロに近づけることができるのではないか。
それに量産型複合装甲も制式採用されて長い年月が経過している。
年次改良は行われ、初期型より性能が強化されているとはいえ、ここらで新型量産機を採用したいという思惑もあった。
この九久多知の開発が成功すれば、量産型の開発へと進むことができる。
そんな考えが日本総司令部より発案され、現在の九久多知開発へと至った。
小和泉が実験動物となることにより、問題行動が総司令部に黙認されることになっていた。
実験には、様々な状況や行動がたくさんある程良いのだ。想定外の行動が多い程、不具合のあぶり出しが可能となるからだ。
だが、それは小和泉には知らされていない。総司令部から自由行動の許可が下りていることを知れば、欲望に忠実な獣となることは明白であった。




