262.〇三〇六二〇偵察作戦 約束のコーヒー
二二〇三年六月二十一日 一二四四 OSK下層部 旧大阪駅 ホーム階段口
小和泉率いる8312分隊は、闇の中静かに慎重に、そして素早くホームへの階段降り口へと展開していた。数十年掃除されていない埃が溜まった床に這いつくばり階段へと匍匐前進を進める。
特に小和泉は、複合装甲が床と干渉せぬ様に気を使う。
硬い物が床にぶつかるだけで静寂が占める世界に小和泉の存在を誇示することになるだろう。
刻々と収集された情報が、戦術ネットワークを介し、小和泉のヘルメットシールドに表示される。
敵も灯火管制と無音管制を行っている様で、階段下のホームは闇の中だ。
小和泉達は匍匐前進で慎重に階段へと近づき、アサルトライフルの先端だけを突き出す。先端に取り付けられたガンカメラの映像を網膜モニターへ表示させる。
闇が映し出された。
カメラが光量調整を開始し、朧気に像を結び始め、ピントが合った。
ホームには、上陸時に無かった高さ一メートル程の壁が並べられている。まるで盾の様だ。
その背後に蠢く人影が見えた。見慣れた人影だった。
それは、荒野迷彩の複合装甲と野戦服の集団だった。
「錬太郎様、援軍ではないでしょうか。」
桔梗は小和泉達が思っていたことを言葉にする。
「だろうね。まだ、こちらには気付いていない様だね。」
ホームに居る兵士達は、防御陣地の構築に忙しそうだった。
「はい。到着して左程時間は経過していないかと思われます。呼びかけますか。それとも姿を晒しますか。」
「晒すのは最後にしよう。まずは連隊無線で呼びかけるよ。」
「では、私達は周囲の警戒に努めます。」
桔梗がそう言うと鈴蘭とカゴは背後や天井を警戒すべく、身体の位置を変えた。
小和泉は、日本軍の連隊通信に無線を合わせた。
日本軍には大隊までしかない。ゆえに大隊間および日本軍全軍と通信を行う場合、連隊用に用意された周波数で通信を行っていた。この連隊通信を行なえば、受信可能範囲に居る日本軍全員に無線が通じることとなる。つまり、鹿賀山達もこの通信を聞くことになる。
「こちらは、日本軍8312分隊分隊長、大尉の小和泉だ。そちらの所属と目的を明らかにされたし。」
小和泉が無線を発した事で、ホームの兵士達の動きが変わる。陣地構築を中断し、防衛体勢へ移行した。
「日本軍第一大隊第二中隊の角花少佐である。目的は、破砕小隊の救援だ。お前達を救いに来た。姿を見せよ。」
「少佐殿でしたか。失礼致しました。階段の上に居ります。今から姿を現しますので撃たないで下さいね。」
「味方を撃つことは無い。安心されよ。」
小和泉は連隊無線から小隊無線へ切り替えた。
「僕だけ姿を現すから援護よろしくね。」
「錬太郎様だけですか。味方ですよね。」
「念の為だよ。僕は疑り深いんだよ。」
「小和泉、いざとなれば射殺してもかまわん。己の身を最優先せよ。」
「ほら鹿賀山もそう言っているよ。では、では。結果をお楽しみに。」
小和泉は再び無線を連隊無線に戻し立ち上がり、アサルトライフルの先端に装備されている懐中電灯を点灯させた。
小和泉が装備している複合装甲「九久多知」は黒体塗装されており、光を反射しない。恐らくこの闇の中では、肉眼もカメラも認識できないだろう。ゆえに存在をはっきりされる為に懐中電灯を点灯したのだ。これで向こうから小和泉の位置が分かる筈だ。
「こちらの複合装甲は、特殊塗装により認識しづらい。詳細は軍機にて説明できない。照明を基点に確認を求む。」
小和泉は、一歩二歩と階段口に近づき、いったん止まった。
「了解した。光点を確認。たしかに貴様の姿が見えんな。その場で待機せよ。音波を当てる。」
「了解。待機する。」
しばし、階段の上で仁王立ちするが何も起きない。人間の耳にも月人にも聞こえない周波数だ。
「たしかに複合装甲一体を確認した。ゆっくりと階段を降りられたし。」
「今から降りる。撃たないでくれよ。」
「貴様が何もしなければ、何の問題も無い。」
小和泉は階段を一段一段降りる。12中隊も動きは無い。
小和泉はホームに置かれた盾の前で立ち止まった。周囲からライトを浴びせられ、九久多知の輪郭だけが浮かぶ。黒体塗装が光を吸収し、人型の闇が形成された。
「これは見たことが無いな。確かに日本軍の複合装甲の様だが、形状が異なるな。それにこの塗装も珍しい。破砕小隊が実験部隊にされているという噂は本当だったか。」
兵士の中から一人の複合装甲を纏った士官が盾を越えて小和泉の前に立った。階級章は少佐を表していた。
「認識票を見せよ。」
「どうぞ。」
小和泉はヘルメットのシールドをタッチ操作し、認識票をシールドに表示させた。
少佐が表示された認識票を見つめ、右手を差し出してきた。小和泉も同じ様に右手を差し出し、握手を交わす。角花少佐が小和泉を友軍と認め、警戒を解いたのだ。
小和泉は疑っていないのだが、九久多知を装備している事により敵性判定されたくなかったのだ。
「名前を聞いてもしかたらと思ったが、狂犬か。さすがだな。生き残っていたとはな。831小隊と確認した。責任を持って12中隊が831小隊を保護する。他の者も収容する。この場に来い。
来れぬ者は申告せよ。救助に向かおう。」
小和泉は握手を解き、鹿賀山に状況を改めて伝えた。
こうして、831小隊の作戦は唐突に終了した。
小和泉達は、先に長蛇水路を浮航式装甲車で帰還の途についている。
12中隊は、ホームまで筏に乗り、水流に流されて到着した。帰還は、筏に結ばれたワイヤーを長蛇砦から巻き上げる単純な方法だった。これならば、短時間で準備ができたことも理解できた。
全く無かった敵の追撃など、月人の動きに不可解な点もあった。
831小隊は井守一人の行方不明兵を出しただけで済んだ。全滅する可能性もあった。
そして、期待していない援軍の登場。日本軍の冷たい算数は、末端の兵士まで浸透している。
たった十六名の為に二個中隊百八十名が動くことは無い、筈だった。
援軍要請をしたところで、近くまでは友軍が接近することはあっても、敵の領域に好戦的意思をもって侵入することは無い。あくまでも安全圏での保護が最優先される。
しかし、今回の援軍は敵の前線に橋頭保を確保し、内部進攻を行なおうとしていた。
小和泉達が知らない情報を日本軍総司令部は掴んでいるのだろうか。
それほどの情報を831小隊は、収集したのだろうか。
最上層で送った情報は、データ容量を少なくするためにかなり情報を要約した物だった。
それゆえに詳細な情報を必要だと判断したのだろうか。
残念ながら、井守の回収は見送られた。つまり、井守には情報の価値は無いということだ。
価値が有るのは、装甲車に蓄積されたOSKの情報と新たな敵である機甲蟲との戦闘情報なのだろう。
これらの情報がOSK攻略戦を立てる上で重要な情報になるのだろう。
簡単な内部構造と敵兵器が判明したことは、都市攻略戦では大きな成果には間違いない。
近々、OSK攻略戦が開始されるのだろう。
情報解析と作戦立案までは時間がかかるだろう。しばし、小和泉達に休息を与えられるだろう。
日本軍総司令部の戦略ネットワークとの通信も回復している。
本隊である地上の第八大隊の状況は、すでに撤退を開始していた。
どうやら、831小隊の無線を受信後、陽動攻撃をしかけ敵の目を引き付けていたらしい。
敵が地下都市から攻め出れば素早く引き、都市に引き返せば追撃を行う。徹底した陽動戦術を行なったらしい。その為、敵の目が831小隊に向かなかったのかもしれない。
おやっさんこと、菱村中佐に感謝すべきだろう。単純に愛娘を救いたいという親心があったのかもしれない。それは本人に直接聞くしかないだろう。
「錬太郎様、どうぞ。」
助手席に座る桔梗からマグカップが小和泉へ差し出された。
マグカップには琥珀色の液体が満たされ、ほのかに湯気が上がっていた。
「桔梗、ありがとう。」
小和泉はそれを笑顔で受け取った。




