259.〇三〇六二〇偵察作戦 小和泉隠れる
二二〇三年六月二十一日 〇九五五 OSK下層部 大型エレベーター籠内
エレベーターの籠の中央には、黒く焦げた鉄狼が幽鬼の様に立っていた。
一時的な失明から回復していないのか、瞼は閉じたままであった。
「これって、なぁにかな。蛇喰の言葉を信じていたら、小隊が全滅していたかもね。」
小和泉は、蛇喰の失態をわざわざ指摘した。
鉄狼共々、轢き殺そうとしたことに対する抗議でもあった。
「ええい、今からでも遅くありません。機銃掃射、始め。失点回復です。」
蛇喰の命令により、8314分隊の装甲車から鉄狼へと向けて機銃が発射される。
だが、二発だけ発射され、機銃の射撃が止まった。放たれた光弾は、鉄狼を掠め、床に穴を開けるに留まった。
「どうしたのです。撃ちなさい。これは命令ですよ。」
「私の権限で機銃を封印した。蛇喰少尉、状況を分かっているのか。」
頭に血が上る蛇喰へ鹿賀山の冷徹な声が割って入った。
「狭い空間で機銃を使うな。機銃は装甲車の装甲すら破壊するのだぞ。エレベーターの破壊だけでなく、我々も殺す気か。蛇喰、冷静になれ。」
「く、確かに。私としたことが頭に血が上ってしまった様ですね。失礼をいたしました。もう、落ち着きました。」
「では、機銃の封印を解くが、使いどころを間違えるな。」
「了解、しま、した。」
蛇喰の最後の言葉は、微かに震えていた。己が冷静さを失い、暴走したことを恥じているのだろう。
「全員、呆けるな。作戦中だ。他の車も早急に所定の位置へ。小和泉大尉、続きを頼む。」
戦術ネットワークの地図に8313分隊の装甲車が動き出したことが表示される。
その通り道に小和泉と鉄狼は立っていた。
「え、また。鹿賀山、僕を殺したいの。」
文句を言いつつ、小和泉は装甲車の通り道から即座に退避する。今まで小和泉が立っていた場所を装甲車は猛スピードで走り抜け、鉄狼を撥ねた。
再び、肉を鉄板に叩きつけたような轟音が籠内に響いた。装甲車は急ブレーキを踏み、壁に当たる前に急停車した。
撥ねられた鉄狼は、空中を駒の様に回転しながら床に叩きつけられた。
全身を痙攣させている。全身打撲によるショック症状か、脳震盪かは分からない。
―嫌だなあ。近づくの。こういう時って、危ないんだよね。―
何となく、小和泉は近づく気になれない。実戦の積み重ねによる経験とでも言えば良いのだろうか。
その間に鹿賀山の装甲車が籠の入口の右側に停車し、小和泉の装甲車は後方へ下がった。これで四隅に装甲車が配置された。小和泉の装甲車が扉から離れたことにより、扉が閉まり始める。その向こうでは隔壁の隙間から入り込んでくる月人の集団が視認できた。
―月人がエレベーターに辿り着く前に扉は完全に閉まるね。―
今は、階層移動の操作はしない。まずは、鉄狼の排除が最優先だった。
月人が扉の開け方を理解しているとは考えにくい。扉を開く可能性は限りなく低いだろう。
扉を外から叩く音が無数に聞こえるが、開くような気配は無い。
増援を断つことに成功したようだ。各個撃破の状況をつくることに成功したのだ。
「アサルトライフル用意。」
鹿賀山の命令により、四台の装甲車の狭間からアサルトライフルの銃身が突き出される。
小和泉は、急いで自分の装甲車へと駆け寄り、車体下部へと潜り込み、射線から逃れた。
「撃ち方始め。」
鹿賀山の命令に一斉にアサルトライフルから光弾が吐かれ、鉄狼へと次々と吸い込まれていき、籠内を真っ白な光で染め上げた。
無数の光弾による着弾の衝撃に鉄狼は身をよじり、無理やり死の舞踊を踊らされる。
四方からの十字火線は、相対している装甲車にも流れ弾が飛ぶ。だが、アサルトライフルの威力では、装甲車の装甲を抜くことはできない。多少、表面に凹凸や焦げ目がつくだけだ。
ゆえに誰も遠慮せず、鉄狼へ全力射撃を行う。そのとばっちりを受けたのが小和泉だった。
装甲車の影に身を潜めたとはいえ、至近距離に流れ弾が飛んでくる。
理論上、九久多知の複合装甲を抜くことはできないが、それは計算上であり、あくまでも装甲板が有る箇所に限る。関節部には装甲で覆われていない箇所がある。
そこに着弾すれば、九久多知の装甲板も意味をなさない。小和泉の四肢が吹き飛ばされる可能性があった。
「おいおい。みんな張り切り過ぎだよ。もう手を失うのは面倒だよ。多智に人体実験されるじゃないか。
それとも、別木室長がチャンスだとか言って、武器内蔵義手とか着けられるかもしれないよね。
ああ、今一番嫌な考えが浮かんじゃったよ。二人が協力して生体型の特殊な義手を開発して人体実験される未来が見えちゃったよ。
光弾の嵐が収まるまで、ここに隠れているから流れ弾に注意だよ。」
小和泉は、装甲車の下部に潜り込み、水掻きがついた巨大なタイヤの裏で縮こまるしかなかった。
「それはそれで、強くなれるのじゃないか。強さを得られるのならば本望だろう。」
小和泉の苦情に対し、鹿賀山が当てこする。
「そんな強さは、僕自身が強くなったのじゃないよ。ちょいと強力な武器を装備しただけで、意味が無いよ。」
「大人しくそこでじっとしていろ。極力、流れ弾が行かぬように注意する。」
「ええ、極力なのかぁ。はぁ。」
鹿賀山は、小隊指揮に専念し始める。鉄狼のここを狙え、あそこを狙えと状況に応じて細やかに指示を出す。小和泉の相手をする時間は、終わった様だ。
―それにしてもつまらないな。格闘ができると思ったのに囮だけで出番が無いや。誰だろう、こんな面白くない作戦考えたのは。鹿賀山ぽくないから、奏かな。
この作戦は、僕の安全第一って感じだよね。まあ、蛇喰が殺しにかかって来た様な気がするけど、誤差の範囲かな。やれやれ。―
小和泉は、大人しく攻撃が止まるのを待つしかなかった。
鉄狼は撃たれながらも籠内を彷徨う。身体に当たる衝撃と痛みから逃げようとするが身体が上手く動かないようだった。
強烈な電撃により筋肉が痙攣し、強打された両目の視力が戻らないのだ。
鉄狼は銃撃を避けようと右へ左へと移動するが、831小隊のアサルトライフルは逃さない。
それは執念深さを感じさせた。移動と同時に銃口が動き、連射を外さない。
常に鉄狼を四方から打ち据えていた。
鉄壁の毛皮も焦げ、皮膚が露出し始める。だが、鉄狼の戦闘能力は奪えていないと鹿賀山は判断していた。
―電撃による一時的な筋組織の痙攣もまもなく治る。小和泉が与えた失明もいつ治ってもおかしくない。ここで少しでも有利になる様に鉄狼の鎧を剥す。そして、小和泉の戦闘力に賭ける。
何とも拙い作戦だ。重要なことは、いつも小和泉頼りか。
軍組織としては失格だな。個人の力に頼るのは軍隊では無い。
数と組織力で戦うべきなのだ。私の能力はこの程度なのか。ならば、情けない限りだ。もっと研鑚を積まねば。
生きて帰れたらな。―
鹿賀山は自虐をしない。後ろ向きな考えは意味がないことを知っている。失敗も無力も成長への伸びしろだと考えれば良い。己の糧にすれば良いのだ。
鹿賀山は反省を終えると、作戦は次の段階へ切り替えだと判断した。
「まもなく射撃終了する。小和泉大尉とカゴ二等兵は格闘戦用意。」
「了解。カゴ、準備よろしく。」
「かしこまりました。」
小和泉は装備を再確認する。手持ち武器は、十手とコンバットナイフのみだった。銃器の類は無い。自ずと格闘戦を選択するしかない。ちなみに、小和泉自身も火器の必要性は感じていない。
そして、一番頼りにするのは九久多知だ。増幅機構が無ければ、自然種である小和泉が鉄狼と対等に戦う術は無い。
念の為、イワクラムと潤滑液を補充する。
イワクラムは、電装系の動力源の燃料である。
潤滑液は、血管の様に全体に張り巡らされた信号伝達線の内部に充填されており、冷却液も兼ねている。
九久多知は、ここまで数十時間の連続稼働を続けている。その間、調整も整備も何もできていない。
試験運用中の為、どの様な問題が発生してもおかしくない。信頼性は量産品よりかなり低い筈だ。
今のところ警告表示は出ていないが、格闘戦中に燃料切れや冷却不良の警告がでることは避けたい。少しでも対応できることは先にしておくべきであった。
カゴは、鹿賀山に指名されたことにより、装甲車より降車した。
こちらは銃剣とコンバットナイフのみの装備だ。アサルトライフルは小和泉の援護の邪魔になると判断し車内に置いてきた。
小和泉はカゴの足が視界に入った為、装甲車の下からカゴの横へ転がり出た。
「カゴ、姉弟子との仕合いはどこまで進んだのかな。」
小和泉は、カゴの横に立つと十手を身体に馴染ませるように振り回し始めた。
「はい、師範代より奧伝を頂いております。」
奧伝とは、一人前と認められた証である。
伝位は五段階に分かれていた。初伝は、見習い卒業。中伝は、基礎完成。奧伝は、奥義の伝授を開始。皆伝は、奥義を全て習得。極伝は、秘儀を習得としている。極伝を得ているのは、小和泉と二社谷だけだった。
「それは金芳流空手道かい。それとも錺流武術かい。」
「錺流です。」
つまり、表の精神修養の武道ではなく、本来の殺人術を学んでいるということだった。
「そっか、第一段階の奥義を修めたのかい。よし、だいたいの実力は分かったよ。ならば、あの敵には対して連携しようね。」
「はい、援護させて頂きます。」
「援護じゃないよ。連携だよ。カゴが仕留められると思えば、仕留めればいいよ。それが連携だよ。」
「かしこまりました。隙あらば、仕留めて参ります。」
「もうすぐ、射撃が終わるね。行こうか。」
「はっ。宗家の仰せのままに。」
小和泉は激しい射撃が行なわれている中へ一歩踏み出した。その後をカゴが続く。
二人には緊張も恐怖も無い。まるでふらりと散歩に出かける様な軽やかな足取りであった。




