257.〇三〇六二〇偵察作戦 血が滾る
二二〇三年六月二十一日 〇九三七 OSK下層部 エレベーターホール隔壁
兎女を取り押さえていた三人は、拘束を解くと、アサルトライフルを構え、周囲の警戒を即座に始めた。
ここは敵地。油断することは有り得ない。油断は死傷確率を上げる下策である。
小和泉は、骸となった兎女から足を引き抜き、周囲を見渡しつつ命令を発した。
「状況報告。」
「南、異常無し。」
「西の山。生存者有り。止めの必要を認む。」
「北、異常無し。」
小和泉達は東側から入ってきた。西の山は、ホール中央に固まっていた月人達だ。下半身を撃ち砕かれ、反撃する力は無いだろう。だが、放置はできない。脅威は完全に排除しなければならない。
「鹿賀山、橋頭堡を確保したよ。中央の小山は、始末していいかな。」
「待て。そのまま警戒してくれ。合流後、小隊全隊による一斉射撃にて始末する。敵を撃ち漏らしたくない。」
「りょ~かい。」
小和泉と鹿賀山が小隊無線で話している内に、オウジャの8313分隊が隔壁をすり抜けて合流した。次いで鹿賀山の8311分隊、最後に蛇喰の8314分隊が合流した。
月人の山に十字砲火が可能な陣形へと特に命令されることなく、831小隊は自然に組んでいた。
「山へ斉射する。射撃自由。死にぞこないや隠れている奴を屠れ。死んだふりに警戒せよ。撃ち方用意。」
鹿賀山は、隊員がアサルトライフルを月人の死体の山に向けているのを確認する。
「撃て。」
射撃命令を下した。
無数の光弾がエレベーターホールを眩く染め上げる。シールドが自動的に黒く着色され、眩しさを低減させた。
月人の体は、光弾に次々と焼かれていった。毛皮を溶かし、肉を焼き、骨を砕いていく。その場で暴れる者やみじろく者が多少は居た。
死んだふりをし、反撃や逃走を試みるものもいたが、完遂できたものはいない。
立ち上がろうとしたり、身を起こした瞬間に銃撃が集中し、光弾に身体を焼かれ死体と化すのだ。
さらに銃撃は原形を留めていた月人にも向かい、細かく砕け、溶け、他の死体と混ざり合っていくのであった。
「撃ち方止め。」
命令と同時に射撃はピタリと止まった。
その場に残されたのは、大量の肉塊と靴底が沈む程のどす黒い血と体液が混ざり合った池だった。
―井守が居れば、月人の死体の損壊状態に吐いていたかもしれんな。―
ふと、鹿賀山の脳裏に井守のことが浮かんだ。しかし、それは一瞬でしかなかった。
小和泉の問いにより、思考の海の中へと掻き消えた。今は、重要度が低いのだ。
「ねえねえ。鹿賀山。隔壁に死体を詰め込んで封鎖したら、時間稼ぎできないかな。」
鹿賀山は、腕を組んで利点と欠点を考える。
―また、変なことを考える奴だ。それはさておき、利点は侵入に時間がかかること。欠点は遠くから見ても隙間に死体が挟まっていれば、異常だと分かることか。あと、血が外の道路へ流れるとさらに目立つか。つまり、兵法三十六計 走為上しか選択肢は無い。
それにあの肉塊を触るのは生理的に断りたい。必要ならば躊躇い無く触るが、今は必要性を感じないか。―
鹿賀山の中で小和泉の提案は却下され、即時撤退が決定された。この場に留まる理由が無い。
「撤退を最優先する。分隊長は装甲車の施錠状態を確認。施錠されていれば、車内に月人は居ない筈だ。速やかに通信機能を使用して確認せよ。問題が無ければ、速やかに乗車。次の目的地へ向かう。」
敵の侵入を阻むより、居場所を教えることが悪手に思えたのだ。
それに鹿賀山達の気化爆発や地雷原を使用した音響による陽動により、エレベーターホールから移動した敵が戻ってくる可能性は高い。
『了解。』
小隊員全員が返事をする。地下都市OSKから脱出できる可能性を得たのだ。ならば、この地を早く去りたいのは仕方がないことだろう。
小和泉は、大型エレベーターの扉を抑えている自分の装甲車と通信を試みた。
ヘルメットのシールドに施錠中の文字が表示される。念の為、車内カメラと接続し車内映像も表示させた。
内部に動くものは見当たらない。異常は無い様だ。
「8311施錠中。異常無し。開錠。」
「8312同じ。」
「8313同じ。」
「8314同じ。」
全ての装甲車に月人が侵入した形跡は無い様だ。やはり、電子錠を開ける技術を月人は持っていなかった。アサルトライフルを鹵獲し、使いこなす個体が登場したが、それ以上の技術変革は起きていない様だ。
「各分隊、周囲を警戒しつつ乗車。」
小和泉は中腰の姿勢で壁沿いに装甲車へと近づき、影に潜んだ。その後を桔梗達が追う。
装甲車は、エレベーターホールへ先頭を向け、助手席側をエレベーターの扉に押し付けてある。
扉は挟み込み防止装置が働いており、閉まることはない。
「運転席側から乗車するよ。足元、天井に注意しようね。」
小和泉がそう言うと鈴蘭とカゴが動いた。桔梗は周囲を警戒している。
「天井に敵影なし。」
と、装甲車の上部をガンカメラで索敵した鈴蘭が報告した。
「車体下部、敵影なし。」
続いて、装甲車の下部を覗き込んでいたカゴが報告する。
「桔梗、鈴蘭、カゴの順に乗車。僕は警戒しているよ。」
「宗家、私が殿を務めます。」
「カゴは機銃を頼むよ。それだけで戦力が大きく上がるからね。」
「御意。」
「はい、乗車。」
小和泉の命令に従い、扉を開け、速やかに三人は装甲車へと搭乗する。
装甲車の屋根に装備された機銃が旋回を始め、付近の警戒を始めた。
―カゴが機銃を起動させたか。―
「カゴ、機銃のガンカメラはどうだい。」
「異常無し。何も発見できません。」
「了解。僕は後部扉から乗り込むよ。」
「では、装甲車後部へ機銃を旋回させます。」
小和泉は装甲車の後部扉へと回ろうとした。運転席側の後扉からではカゴが座っている為、助手席後ろの分隊長席に行けないからだ。
装甲車の角を曲がる瞬間、小和泉の野生的な勘が危険信号を発する。
反射的に右足を引き、半身となった。
直後、丸太の様な物が、先程まで小和泉が立っていた場所に振り下ろされた。
小和泉の目の前を複合装甲を掠めるように丸太が凄まじい勢いで通り過ぎた。
「あらら。ここで会いますか。困るなあ。すぐに撤退できないじゃないか。ねっ。」
そこには、通常の狼男より二回り大きく、全身が灰色の毛で覆われている屈強な筋肉を誇る狼男が立っていた。
日本軍が設定した固有名称、鉄狼。月人の猛者中の猛者だった。
カゴが装甲車の下部を確認した時に発見できなかったのは、巨大なタイヤに隠れてしまっていたのだろう。
装甲車のタイヤは人の胸辺りまでの大きさがあり、幅も肩幅と同等だ。それが片側に三輪も並んでいれば、巨大な死角ができて当然だ。
カゴの見落としを責めることはできない。ここでミスをしたのは小和泉だ。
装甲車による温度探査や聴音探査を行えば、車載カメラの死角に潜む鉄狼を発見できたはずだ。それを命令せず、カゴの視認探査のみに頼ったことがこの状況を生み出していた。
だが、危機的状況に関わらず、小和泉の口元は笑っている。先程の奇襲してきた兎女とは違い複合装甲を突き抜けてくるのは凶悪な殺意の視線。それを浴び、これから起こるであろう戦闘に熱い血潮が全身を駆け巡る。筋肉を温め、最高の能力を発揮すべく、自然と血流が良くなったのだ。
血が滾る。
小和泉はエレベーターの籠の中央へ立ち、鉄狼と距離を取った。いつまでも敵の間合いに居たくない。
鉄狼は初撃を外したことに不思議そうな表情を浮かべていたが、すぐに自信にあふれた表情に戻る。毛むくじゃらの顔であっても、何故かそれだけは読み取れた。
「はいはい。人間なんてひ弱な生き物で敵じゃないと思っているんでしょう。その態度は見飽きましたよ。もう少し違う態度を見せてくれないかな。」
小和泉は軽口を叩きつつ、銃剣が装着されているアサルトライフルを構える。
「小和泉、状況を知らせろ。」
小和泉の軽口に異常を感じた鹿賀山からの問い合わせだった。
「鉄狼一匹様、ご案内~。」
「くそ、なぜ今なのだ。後は撤退するだけだというのに。」
鹿賀山は突如現れた大きな障壁を恨み、小和泉はこれから始まる格闘戦に心を躍らせていた。




