250.〇三〇六二〇偵察作戦 過去の日本政府
二二〇三年六月二十一日 〇五二五 OSK下層部 第三特殊武器防護隊司令部 記録庫
小和泉の8312分隊はオウジャの8313分隊と当直を交替し、つつがなく当直任務を終えようとしていた。大休止も8311分隊の当直で終了する。
「お、は、よ、う。交替の時間だよ。」
小和泉は、読書台の下でアサルトライフルを抱え込んで眠る鹿賀山の耳元に息を吹き掛けるように囁く。
鹿賀山は身体を震わせ、目を覚ます。予想外の刺激と朝の生理現象により、血流が下半身へと集中した。
周囲を見渡し、小和泉のいたずらっ子の笑みを確認し、状況を把握した。
「時間か。ありがとう。だが、普通に起こしてくれ。寝覚めが悪い。」
鹿賀山は立ち上がると大きく伸びをした。体を反らせることで一層、荒野迷彩の野戦服の上からでも朝の充血点が目立つ。
「きついのかい。楽にしてあげようかい。」
小和泉が上唇を舐める。
「作戦中だ。今は断る。」
「ふ~ん。作戦中じゃなきゃいいんだ。今じゃなきゃいいのかあ。どうしようかな。」
「作戦中だぞ。言葉遊びをするな。東條寺少尉を起こしてくれ。装備に時間がかかるからな。」
「はいはい。」
小和泉は、次のオモチャを東條寺に定めた。
同じ様に眠りこける東條寺に近づき、頬を優しく両手で包み込む。複合装甲「九久多知」を装備している為、東條寺の柔らかな頬を感じることはできない。過剰に手の力が増幅されない様に慎重な力加減が求められるが、自然種は徹底的な複合装甲の習熟訓練を受けており、この程度は造作も無いことだった。
小和泉による外刺激に東條寺が反応し、体をくねらせる。何とも艶めかしい。野戦服の上からでも胸の膨らみと腰のくびれを際立させる姿態に小和泉の悪戯心が目覚める。
―変顔をさせて、録画しておこうと思ったけど。だめだ。今ので欲情しちゃった。―
小和泉はヘルメットの前面を大きく開け、東條寺に荒々しく口づけをする。唇を割り、歯の隙間に捻じ込み、絡ませる。
突然の予期せぬ刺激に東條寺は目を見開き、逃げようとするが複合装甲を装備した小和泉に頬を両側から押さえられており、動くことができない。
小和泉の卓越した舌の動きに翻弄され、東條寺の抵抗が薄れていく。頬も上気し、東條寺から積極的に絡ませてきた。
―こうなると面白くないね。抵抗されるのが楽しいのに。この辺りでいいかな。―
小和泉は唇を離し、東條寺を解放する。東條寺は肩で息をし、小和泉を睨みつける。
「錬太郎。な、何て起こし方するのよ。ふ、普通に起こしなさいよ。」
「だって、面白そうだったからね。それに可愛かったからね。」
「この変態。」
「そうだよ。僕は変態だよ。でもさ、そんな変態が好きで、その変態と婚約するのって、それは奏が変態である証だよね。」
「うるさい、黙れ。錬太郎、あっち行け。」
東條寺は、照れ隠しに乱暴な言葉遣いをし、そっぽを向いた。耳は真っ赤に染まっていた。
「どっちで赤くなったのかな。口づけかな。それとも言葉攻めかな。」
「今度、噛み千切ってあげる。」
「何を。上かな。下かな。」
「馬鹿、馬鹿、馬鹿。両方よ。」
「怖い怖い。じゃ、当直の交替準備よろしくね。」
「分かっているわよ。馬鹿。」
東條寺は興奮し、語彙が無くなったのだろう。「馬鹿」ばかりを連呼していた。
小和泉は記録庫の入口に戻った。今の所、敵の気配は感じない。
しかし、油断はしない。月人は分かりやすいが、機甲蟲は気配や殺気が無いに等しいからだ。
読書台を積み上げた応急防壁に身を隠しながら、鹿賀山達との交代を待った。
「錬太郎様。ひどいです。」
そこへ桔梗が小和泉の元に寄り、耳元に囁く。温かい吐息が頬を刺激し、桔梗の甘い良い香りを嗅覚が嗅ぎつける。香水の類は、誰もつけない。月人に察知されるからだ。これは小和泉を蕩けさせる桔梗の嗅ぎ慣れた体臭だ。
「何がひどいのかな。」
「奏様に熱烈な口づけをされました。私には御情けを頂けないのでしょうか。」
「隊長。私も必要。」
背後から鈴蘭が小和泉の首に手を回す。残念なことに複合装甲とプロテクターがぶつかり合い硬い音がするだけだ。温もりも柔らかさも感じない。距離の詰め方は桔梗の方が上手かった。
「はいはい。仕事中ですよ。持ち場に戻ろうね。交替したら、してあげるから。」
「では、後ほどに。楽しみにしております。」
「約束。」
二人から解放されると背後に8311分隊が完全装備で揃っていた。
小和泉は直立不動の姿勢をとる。その正面に鹿賀山が立つ。8312の綱紀の弛みに苦虫を噛み潰していた。東條寺は小和泉を睨みつけている。
だが、小和泉は一向に気にしない。援軍も期待できず、脱出の目途が無い戦場だ。最後になるかもしれない戯れは許されても良いと考えていた。ゆえに鹿賀山も見逃してくれているのだろう。
「現時点まで異常無し。8312より8311へ当直任務を引き継ぎます。」
「8311は8312より当直任務を受領。配置につく。休んで良し。」
互いに敬礼を交わし、当直任務の引き継ぎを行った。
東條寺、愛、舞が応急防壁に取り付き、記録庫の外部の警戒を始める。
桔梗、鈴蘭、カゴは読書台の下へと戻り、再度仮眠の姿勢を取った。今度はプロテクターを外さない。一時間半程度の休止なら外さなくても問題無い。
小和泉はその場を動かず、鹿賀山に小さな声で話しかけた。
「ここの記録に目を通した方がいいよ。」
「それは当直任務より重要なのか。」
鹿賀山も他の者に聞こえぬ様に声量を抑える。
「僕はそう感じたかな。」
鹿賀山は腕を組み、書庫を見つめる。少しの時間、その姿勢を保った。
「わかった。書庫を確認しておこう。で、小和泉は何か読んだのか。」
「そこの本を一冊だけ。僕は読むの遅いからね。」
「ふむ。一冊だけでそう思うか。」
「じゃ、よろしく。」
そう言うと小和泉は壁に空気椅子の要領で寄りかかり、複合装甲の関節を固定した。これで簡易椅子の完成だ。どうせ残り一時間半。装備を解くのも面倒だ。このまま複合装甲の中で休息をとることにした。
早速、鹿賀山は書庫へと行き、数冊の本を読書台に乗せ、本を読み始めた。
その速さは、尋常ではなかった。次々とページをめくり、二センチ程ある厚みの本を数分で読み終わる。いわゆる速読術だ。鹿賀山がしているのが拾い読みか、飛ばし読みか、斜め読みか、何をしているのかは小和泉は知らないし、興味が無い。
ただ、あの速さで読んでも、大まかな内容を把握しているのは間違いない。この調子であれば、十冊以上は簡単に当直時間に読んでしまうのだろう。
―これで、もっと詳しいことが分かるといいな。鹿賀山、あとの面倒事はよろしく。―
と思いつつ、小和泉は目を閉じた。
鹿賀山は、報告書を次々と読み進めていく。
そこに書かれていることは、全く知らないことばかりであった。
これは現在まで、成し遂げていないとされている人工知能の完全実用化。
そして、政府組織の無人化と人工知能による統治。
これだけでも政府の政策決定の速度は早まり、無駄な支出や贈収賄や天下りが消えたと書かれている。
一方で人工知能には感情が無い。救済できないと判断した瞬間、その弱者は切り捨てられた。
不治の病や植物人間には、医療実験の被験体に。
凶悪犯及び性犯罪者には、悪環境での無期限強制労働。
政府に歯向かう者には、国外退去処分。
一切の容赦も情状酌量も無かった。0か1か。人工知能らしい二進法の世界。
それは日本国民が選んだ選択だった。それしか選択肢が当時は無かった。
それだけ、日本の発展は滞り、世界から取り残されていた。先進国とは呼ばれなくなっていた。
ゆえに過去の栄光と発展を得るために人工知能による統治という荒療治を受け入れた。
人工知能の政府による施策は完璧に見えた。
公共事業は滞ることなく予定通り進み、日本国民に平等に恩恵をもたらした。
進学先も就職先も受験勉強や就職活動をする必要は無い。人工知能が進学先や就職先の候補を上げ、その中から選択するだけで良い。それで本人の適性に合った学校や仕事に就くことができる。
給与や休日も人工知能が管理し、平等に与えられ、貧富の差は縮まり、不自由のない生活が保障された。
日本国に貢献する人材である限りは、暮らしやすい国であった。
しかし、一歩でも一般人からの道を踏み外すと人間扱いはされない。そして戻ることは出来ない。
完全な管理社会だ。それを人工知能は悟らせない。管理社会であることを人は知覚するとストレスを感じるからだ。監視カメラとマイクや各種センサーは巧妙に擬態して街中や自然に溶け込み、どこに設置されているかも分からせない。
犯罪者予備軍が集い、悪巧みするだけでそこに睡眠ガスが流され、気が付いた時には刑務所に収監されている。無論、周囲の人間には転勤や転職などの理由により引越したことになっている。
拉致の痕跡すら見せない。誰もそれを不自然だと思わせない。
転職することは当たり前の権利であり、気に入らない職場であれば、職を変えることは日常茶飯事となっていた。毎年仕事を変える者も少数派だが、一定数いたことも疑問に思わせない原因となった。
生産業は、完全機械化により、人間は労働をせずとも生きていくことは物理的に可能だった。
しかし、人工知能はそれを選択しなかった。人間の精神を良好な状態に保つ為には、労働が必須だった。適度な運動と疲労。そして達成感。これらが無ければ、人間の精神は負の感情に覆われていく。凶悪犯を使用した人体実験で実証されていた。
表裏の差が激しい統治体制ではあったが、日本国は計画通りに発展し、先進国へと返り咲いた。




