25.同門対決
二二〇一年十月二十日 一八五一 KYT 中層部 金芳流空手道道場
二人とも一言も発しない。完全に気配を消している。
金芳流空手道は、錺流武術の隠れ蓑にすぎない。つまり、表の顔が金芳流空手道であり、裏の顔が錺流武術であった。
錺流武術は、暗器を主体にした暗殺術である。室町時代か戦国時代に誕生したらしい。
暗殺術の為、記録は一切残さない。暗器としてかんざしを多用したところから錺流の名前を付けたらしい。全て口伝である為、真偽は判らなかった。
暗殺を行う為には手段は選ばない。また、目立つ様な行動はとらない。
気合いや発声は、暗殺の阻害になる為、一切しない。静寂をもって行動する。
現在、暗殺術に使い道は無く、暗器や秘伝を除いた部分を金芳流空手道として再構築し、道場で教えている。その為、門人は、気合を発する事無く静かに修練をしていたのだ。
錺流武術を会得し、存在を知っているのは小和泉と二社谷の二人だけだった。小和泉の母親はすでに他界している。
二社谷は小和泉が戦死した時の為の予備として、有望な師範代の一人に裏技と言う形で錺流を伝授している最中ではあった。
二社谷が背を低くし、素早く迫る。
何をしでかすは、現状ではわからない。小和泉は意識を道場全体に広げる。少しでも異常を捉える為だ。
小和泉の足元から刀の切り上げの様な蹴りが繰り出される。蹴りの軸線から身体をずらし、さらに一歩踏み込む。
二社谷が踵落としに切り替えるが、すでに小和泉は中に入り込み膝裏が小和泉の肩に乗り不発だ。
同時に小和泉の右正拳突きが鳩尾に正確に突き刺さる。二社谷は打撃力により二メートル程背後に吹き飛ばされるが、二本の足で立ち構えをとる。殴られたにもかかわらず、悪童の笑顔だった。
小和泉は、右手の拳を無表情に見つめていた。拳には華道で使う剣山が根元まで喰い込んでいた。
血が無数に零れ落ち床に血だまりを作っていく。針のせいで拳を開くことができない。
二社谷は、小和泉が鳩尾を正確に突く事を予期し、剣山を身に着けていた。そのままでは衝撃が身体にくるため、身体と剣山の間には衝撃吸収ジェルを挟み込み準備をしていた。
衝撃吸収ジェルは、普段はゼリーの様に柔らかい。衝撃を加えると衝撃エネルギーがジェルを硬化させるエネルギーへ変換して衝撃を吸収させる。その為、二社谷に正拳突きのダメージは通らなかった。背後に飛ばされたのは、二社谷自身が間合いを取る為に下がっただけに過ぎない。
小和泉は一瞬剣山を抜こうとするが、すぐに止めた。抜く事により血管の穴が開き、出血が増えそうだったからだ。逆にナックルダスターに使うことにした。もちろん、殴る度に小和泉自身の拳を傷めることは分かっていたが、指が千切れたところで再生医療によりどうにでもなると割り切った。
逆にこの鉄の塊で二社谷を殴る事の方がメリットが大きいだろう。
一方、二社谷は、小和泉が剣山を抜く事を想定していた。その為、剣山を抜く瞬間の隙を窺っていた。
二社谷の意識が剣山に集中した瞬間に小和泉は左回し蹴りを放ち、二社谷の脇腹をつま先が抉る。軍用の堅いブーツだ。肋骨の脆い浮遊肋が折れる感触を靴越しに感じた。
だが、二社谷は骨折の痛みに顔を歪ませることも無く、涼しい顔で足首を掴み全体重を使い、小和泉の左膝を曲がらぬ方向に力をかけ、梃子の原理で折りにかかる。
麻痺させられた右足のせいで小和泉は上手く捌くことができない。あえて、左足を二社谷に支えさせて力の方向に身体を流し、関節技を外す。筋を若干伸ばされたが、戦闘に影響はない。
小和泉は両手を床につき、不自由な右足を振り回し二社谷の足を刈る。だが、足は振れなかった。
右足の針から細い糸が地面と繋がり、二社谷へ届く前に足を止められた。
容赦なく二社谷は、目の前にある小和泉の顔面を踏み抜く。鼻がひしゃげ、赤い血がほとばしる。
小和泉は二撃目を避ける為転がり、糸を引っ張って足に刺さった釘を抜く。しかし、掴んだはずの糸は赤く濡れるだけで釘は足に刺さったままだった。小和泉の左手の指が鋭利な刃物で切断されたかの様に肉と骨を見せ、鮮血が傷口から噴き出す。
糸は余りにも鋭利だった為、刃物を握ることと変わらなかった。その為、小和泉は、自分の指を斬り落とすことになってしまった。
意識的に痛覚を感じる感覚を下げていても、今までで最大の激痛が走る。
澄ましていた表情に苦痛が浮かび、額に脂汗が浮かび始める。
しかし、その場にいれば追撃が来るのは必至だ。小和泉は針が足を抉るのを無視し大きく転がり、二社谷から離れる、今ので右足が完全に死んだ。
左手は指を失い、右手は剣山に塞がれた。健在なのは左足だけだった。傷口が床に当たる事も気にせず、何とか立ち上がり構え直す。左手の出血が酷いが止血点を押さえることができる指は無い。少しずつ血の気が引いていくことを実感する。
脳の回転が落ち、背中に寒気が走る。四肢は無自覚に痙攣を始めていた。
二社谷の右手の親指が動く。五ミリ程のガラス玉が弾丸の様に小和泉の腹部を襲う。チャイナドレスに縫い付けられていた飾りだ。引き千切って指弾で飛ばしてきたのだ。
小和泉は腹筋を強く絞め、ガラス玉を弾く。多少の痛みはあるが影響はない。
二社谷は、その作った隙を利用し左貫手を小和泉の眼に対し水平に薙ぐ。指弾により反応が遅れた小和泉は、目に直撃しない様に顎を引くのが精一杯だった。
小和泉は、貫手を躱したと実感した直後に瞼に熱さを感じ、視界が見る見る赤く染まっていく。
小和泉の両瞼が切り裂かれたのだ。浅い傷の為、後遺症は残らないだろうが、出血が多く視界を完全に奪われた。
小和泉は計算を間違えたのだ。二社谷は、爪を長く伸ばしていた。それも刃物の様に研ぎ澄ましていた。ほんの一センチ程の長さを見切れなかった小和泉の失策だった。
小和泉は己の迂闊さに呆れ、冷静に分析するだけだった。
視界が奪われた今、聴覚と嗅覚に頼るしかなかった。触覚は、完全に気配を断つ二人にはあまり有効ではない。
二社谷は動いていないのだろうか。小和泉には、足音や衣擦れの音が耳に入って来ない。どうやら、攻撃されるまで小和泉には二社谷の位置を把握することができそうになかった。
小和泉は、二社谷に有効打をあてる間もなく窮地に陥っていた。
二社谷は、自分が組み立てた戦術が上手くはまり、少し気分が良くなっていた。
小和泉が来ると言う連絡を受けた時、如何に有利に戦いを運ぶか考え準備を行っていた。
衣擦れの音が出にくい素材と暗器を仕込んでいる服を選び、かつ足音を立てぬように布製のチャイナシューズを選んでいた。
錺流は、戦う前から準備を周到に行う。何も準備もせずに道場に訪れた小和泉が悪いのだ。
この二社谷が優位な状況は当然の帰結だった。
だが、二社谷は逡巡していた。このまま小和泉を殺すことも簡単だ。今、小和泉の全ては二社谷の掌中にある。幼い頃の小和泉の笑顔が脳裏にチラつく。この戦いの納め処に悩んでいた。
結果、この刹那に小和泉は微かな二社谷の香りを掴むことに成功した。
二社谷は、香水をつけていないし、洗剤も無香料のものを使用していた。だが、人は汗を必ずかく。その微妙な二社谷の甘い汗の香りを嗅ぎ取った。幼馴染ゆえに嗅ぎ取れる匂いであった。
小和泉は、両足を肩幅に合わせて広げ、腰をしっかり下ろす。何も無い空間に左正拳突きを放つ。
拳は空をきるが、服の裾より銀色に輝く物が勢いよく飛び出す。
意識が内面に向いていた二社谷の右肩に小刀が深々と刺さる。二社谷は、神経と筋肉を切断され、右手の感覚を失った。
二社谷の迷いが即座に消える。音も無く静かに小和泉へ迫る。小和泉は風を感じ、二社谷が居ると思われる所へ右正拳突きを放つ。手ごたえは無い。だが、空気の動きは感じる。そこに二社谷はいるのは間違いない。
右手に灼熱の激痛を感じた。思わず、声を出しそうになるが歯を食いしばる。右手の先から力が抜けていく。急激に体温も下がるが、額からは脂汗が滲み出す。
出血性ショックの症状だと小和泉は判断した。つまり、右手の先端を切り落されたのだ。
おそらく先程の糸で斬られたのであろう。
小和泉は、全ての戦闘力を奪われた。これ以上の戦闘は無意味と判断した。
「姉弟子、俺の、負けだ。」
小和泉は、負けを苦しそうに認めた。
「錬太郎、錺流は準備から入ると教えただろう。無策で道場に来たのが敗因だ。腕が鈍り過ぎだ。医者を手配する。間に合わなければ、勝手に死ね。」
二社谷の声は、言葉とは裏腹に普段の優しい声に変わっていた。
小和泉の出血は予想以上に激しく、簡単に意識を刈り取っていった。




