248.〇三〇六二〇偵察作戦 ある一冊の本
二二〇三年六月二十一日 〇二五一 OSK下層部 第三特殊武器防護隊司令部 記録庫
小和泉は、一時間半の仮眠を取るだけで目が覚めた。戦場で長時間眠る趣味は無い。
カゴは小和泉が起床した為、同じ様に起きようとした。しかし、小和泉は目で押し留めた。それだけで小和泉の意図を理解したカゴは再び目を閉じた。
眠りについたのか、目を閉じているだけかの判別はつかない。
だが、目を閉じるだけで疲労回復効果があるのは事実だ。カゴであれば、体調管理に小和泉が踏み込む必要は無いだろう。本人に任せておいて問題無い。
桔梗と鈴蘭は熟睡している。二人は寄り添いあい、お互いを支えている。その微笑ましい光景に小和泉の下半身が疼く。
―ああ、自宅だったら今頃可愛がっているのになあ。残念。疲れているだろうし、そっとしておくか。本当に残念だよ。―
最初の当直であった蛇喰達は装備を解き、熟睡していた。今は、完全装備のオウジャ軍曹率いる8313分隊が当直にあたっていた。
三人は小和泉が起き上ったことに一瞬意識を向けたが、すぐに出入口への警戒へ意識を戻した。
―どうやら僕に干渉する気は無いみたいだね。さてと気になっていたことを片付けますか。―
小和泉は、床から立ち上がると担当した書庫の通路へと向かった。
索敵中に目に入った本の表題が気になっていたのだ。
本の表題は<避難時における民間人の証言>だった。
黒い布表紙に金箔押しされた上製本の本を本棚から抜き出す。
パラパラと流し読みをするだけで、小和泉が全く知らないことが書かれていた。
―人を騙すのは好きだけど、騙されるのは嫌いなんだよね。さてさて、僕の知らない歴史はどんなのかな。嘘か真か知らないけれど、こういうのには興味があるんだよね。―
小和泉はその本を小脇に抱えると読書台へと戻り、椅子に座り、ページをめくり始めた。
<避難時における民間人の証言>
氏名:大槻玲子
性別:女
年齢:16歳
職業:高校生
たった今、彼氏に振られた。涙なんて誰にも見せたくない。
デートに来ていたショッピングセンターで誰にも見られず涙を流すのに映画館がいいよね。
丁度、悲恋物の映画をしていたし、暗闇の中なら泣き顔を見られないよね。
だから、私は映画を見ていることになっている。
内容なんて頭に入らない。ずっと俯いている。涙が止まらない。
他に好きな子が出来たって何。デート中に言うの。なら、デート前に言いなさいよ。
朝早く起きて、一生懸命、着飾ってきた私が馬鹿みたいじゃない。
そんな時、館内で緊急有事警報の耳障りで癇に障る警報音が一斉に方々で鳴り響いた。
映画の上映は止まり、館内の照明が明るさを取り戻す。
私のスマートフォンも鳴っている。サイレントモードにしていたのに何で。
慌てて鞄から取り出すと画面に警告が表示されていた。
警告
シェルターへ即座に避難して下さい。
あなたは該当者です。シェルターに避難する権利があります。
ミサイルが、着弾する可能性があります。
ナビに従って避難して下さい。
突然の表示に私の脳は理解できなかった。ただ、学校でしていた避難訓練のためか身体が勝手に動き始めていた。
どこをどう走ったのか覚えていない。人混みに揉まれ、何度もこけそうになりながらショッピングセンターに併設されているシェルターの入口付近についた。
入口には人、人、人が溢れ、殺気立っている。私は恐怖で足がすくみ、近づけない。
入口の上にある高い足場から自衛隊の人が叫んでいる。
「該当者しか入場できません。他の方は、次の指示をお待ち下さい。入口から離れて下さい。」
「うるせえ。入れろ。」
「お願い、助けて。」
「痛い痛い。押さないで。」
様々な怒声と叫び声が聞こえ、それを抑えようとする声の応酬が続く。
手元のスマートフォンが振動する。
画面に矢印が表示されている。向きは入口を指していない。全く違う方向だ。私は画面を見つめ、走り出した。交差点に来る度に目まぐるしく変わる矢印に従う。だって、あの場は怖いんだもん。
気が付けば、シェルターの別の入口に案内されていた。
こちらに百人程、集まっているが比較的落ち着いている。一人ずつ、改札口のタッチパネルにスマートフォンをタッチし、中に入っていく。私もその流れに組み込まれ、シェルターの中へと流された。
中に入ると自衛官が銃を持って並んでいた。
黒光りする銃が怖く、私は奥へと小走りに逃げた。
背後で大声が上がる。振り返ると雪崩れ込んで来る暴徒達。
暴徒を制止しようとする自衛官。
床に引かれた白線を越えた瞬間、天井より光線が暴徒へ降り注いだ。
光線の発生源は蠍型ロボットだった。あんな物、見たことも聞いたことも無い。
天井に貼りつき、尻尾の先から光線が飛び出る。そのまま、暴徒を貫く。
動かなくなった人が山のように積み重なる。自衛官の足元から現れた別の蠍型ロボットが人々を壁に押し付ける。壁が開き、人々は吸い込まれ、闇の中へ消えて行った。
残されたのは、大量の血溜り。
人が死んだ。人が死んだ。人が死んだ。
簡単に死んだ。人の命ってそんなに軽いの。
幾人かの生き残りがいた。皆、学生だろうか。若い。
自衛官も若い。年配の人は見当たらない。
「大丈夫ですか。」
女性自衛官が声をかけてきた。
私は、いつの間にか床にへたり込んでいた。腰が抜けたのだ。
簡単に人が死ぬ。そんなのは、生まれて初めて見た。現実だと思えない。ああ、多分夢だ。彼氏に振られたのも夢。早く目を覚まさなくっちゃ。
私は、毛布に包まれ、どこかに連れて行かれる。
今の精神的衝撃で頭がはっきりしない。
女性自衛官に薬を飲まされると眠気がやってきた。
私が覚えているのはそれだけ。
氏名:田中健二
性別:男
年齢:19歳
職業:消防士
どうも上の方の動きが慌ただしい。明日から休暇のはずだったが、取り消しになった。
どうもキナ臭い。これはヤバイ。そんな事を考える暇も無く事態は進む。
非常呼集がかかり、緊急出動の指令が下りやがった。
それも異常だ。火事でも救助でも無い。ナビに従い、その地点で待機だという。
おかしい。こんな指令は今まで無かった。
担当のポンプ車のサイレンを鳴らしながら、ナビに従って走る。
街の郊外にある大門に案内された。鋼鉄製の頑丈そうな大門が開く。そこには地下へのスロープがあった。ナビの矢印は中を示している。
一体こんな所で何をさせるつもりだ。まったく分からない。
ナビに従い、スロープをドンドン降りていく。サイレンは消せという指示なので、すでに消している。地下で鳴らせば反響してうるさいからな。
地下の大広間に誘導されると自衛隊が交通整理を行っている。
火の気は無い。火事じゃない。事故現場には見えない。救助でも無い。
指示された場所にポンプ車を止めた瞬間、消防無線に緊急有事警報が鳴った。
警告
ミサイル攻撃を確認。着弾まであと五分。
被害は南海トラフ以上を想定。待機場所にて任務を遂行せよ。
この時点より指揮権は自衛隊に移行する。
今後は自衛隊の指示に従え。
諸君の生存と活躍を期待する。
何だ。何だ。今の無線は。まるっきり、意味が分からない。上司に指示を仰ごうとしてもここに来ている消防士達は二十代前半の下っ端ばかりだ。今さら気がついた。
ベテランの消防士は誰一人居ない。こんな小隊編成に何時の間になったのだろう。気が付けば、年齢別に小隊編成されていたような。
誰に聞いても分からないとしか言わない。俺に聞かれても分からねえよ。
突然、車が大きく揺れた。車を動かしてもいないのにサスペンションが大きく跳ねる。シートベルトとヘルメットをしていたお陰で窓ガラスに頭を打たなくて良かった。
今の揺れは地震とは違う。地震なら長い揺れが続くはずだ。でも今のは瞬間的な揺れだ。
あっ、警報のミサイルか。あれが爆発したんだ。やべえよ。地下に居たから助かったけど、地上に居たら死んでたんじゃねえか。
自衛隊の奴らが慌ただしくなってきやがったな。
一体どこの国が攻めてきやがったんだ。ちくしょう。俺の日常を返せよ。
氏名:宮下幸助
性別:男
年齢:21歳
職業:大学生
大学の授業を受けていたら、スマホの緊急有事警報が教室中に鳴り響いた。
皆がスマホを取り出し、画面を確認し始めている。そうだ。俺も見なくっちゃ。
警告
シェルターへ即座に避難して下さい。
あなたは該当者です。シェルターに避難する権利があります。
ミサイルが、着弾する可能性があります。
ナビに従って避難して下さい。
何のことだ。おいおい、手の込んだ冗談か。あれれ、周りの奴らが荷物も持たずに出口へ走り出してる。えっ、これマジ。嘘だろ。でも、ジジイの教授はポカンとしているぜ。
通知が行ってないのか。いやいや、俺も逃げなくちゃ。年寄りなんかほっとけ。自分の身が大事だよな。皆に遅れてシェルターの入口に近づく。
だが、何か様子がおかしいぞ。怒声が聞こえる。怖いし、遠くから様子を見てよ。
「入れろ。」
「権利者のみ許可されています。」
「うるせえよ。関係ねえよ。ドケ。」
どうやら、中年の親父達と迷彩の集団が揉めているらしい。中年の親父の一人が迷彩の一人を殴るのが見えた。
「暴力を確認。正当防衛を許可する。一斉射。撃て。」
その声が聞こえた瞬間、バララと乾いた音が聞こえた。何の音だ。
続いて悲鳴が上がる。
「銃を撃った。」
「死んでる。」
「いや、止めて。」
「ぶっ殺してやる。」
「こっちの方が多い。行け。」
「斉射二回。撃て。」
バララ、バララと乾いた音が続く。迷彩の周りに煙が漂っている。もしかして、銃を撃ったのか。
え、マジで。
中年親父達は、地面に倒れ伏している。動かない者、痙攣している者が混じっている。
やべえよ。やべえよ。逃げるか。でもミサイル来てるし、シェルター入らないと。
「敵性分子排除確認。入場手続きを再開する。」
迷彩の一人が告げると学生の列が動き出した。みんなシェルターへ入っていく。俺も続かなきゃ。
急いで列の最後尾へ駆け寄る。
中年親父達が小山の様に積み上がってやがる。やべえよ。迷彩の奴らに歯向かったら殺される。
死体を見るな。死体を見るな。大人しく並べ。俺の番か。スマホを改札にタッチしたらいいのか。
改札が開いた。良かった。早く中に入りたい。奥に行きたい。
「時間だ。収容作業終了。隔壁閉鎖。邪魔者は撃ってよし。」
バララ、バララと乾いた音が何度も続く。
えっ。背後からさっきの音が聞こえ、思わず振り向いた。
シェルターの隔壁が閉まる隙間から入り込もうとする人に迷彩の人達は銃をパンパン撃ってた。
マジマジ。ヤベエ。怖えよ。闇雲に奥へと走る。その時、地面の底から突き上げる大きい衝撃でこけた。
廊下の壁にしこたま頭を打った。
「いてえ。」
そこで俺の記憶は途切れた。




