245.〇三〇六二〇偵察作戦 下層へ
二二〇三年六月二十一日 〇〇〇一 OSK上層部 中央交通塔 エレベーターホール
深夜零時を越えたが、舞と愛の情報分析はまだ終わっていない。意外にも収集していた情報が多かったのだ。隔壁を開ける時に解析と同時に各種情報の複写を行っていたらしい。
どこかで何かの役に立つのではないかという舞の説得に渋る愛が折れ、情報の複写作業を並行していた。
無論、舞は鹿賀山の許可は取っている。小和泉の様に『ま、いいか。』で進めない。
複写する程度であれば、情報端末の演算処理に負荷はかからないため、鹿賀山も反対する理由は無く許可を出した。
今までに複写した情報の分類と精査を行いつつ、時折、月人の肉壁を突破する個体を撃ち倒すのが、現在の831小隊の状況だった。
―敵の狙いは分からない。兵力の随時投入は、あまりにも愚かだ。もしかするとこちらの警戒心を煽り続け、集中力が途切れることを期待しているのではないか。分析中の情報に何かがあれば良いのだが、それは期待し過ぎだろう。月人に情報端末を扱えるとは考えづらい。だが、機甲蟲に指示を、いや、行動原理の設定を確認はできるかもしれない。待て待て。それは高望み過ぎるだろう。この都市の情報に軍事情報が書き込まれている方がおかしい。
書き込まれているとしたら、地下都市の管理情報だろう。軍事情報が市内回線で取得できるはずがない。都合の良い現実を見るな。見るならば、悲観的現実を。そう悲観主義で行動すべきだ。それならば、被害を最小限に抑えられる可能性が高い。楽観主義は捨てろ。―
と、鹿賀山の思考は際限なく混乱を期していた。だが、本人は気が付いていない。
無駄な思考に時間を割いていることに。そう、鹿賀山は休息をまともにとっていなかった。
小隊長としての義務と役割。少佐という階級の重み。全員を生還させる士官の鉄則。
これらが鹿賀山の休息を取らせることを拒絶させていた。眠っていても、眠りは浅く、脳は活発に活動し、現状打破を考えていたのだ。仮初めの睡眠を取ったところで肉体の疲れは取れても、脳の疲れは取れない。
小和泉が同じ装甲車に同乗していならば、睡眠薬で無理やり休ませていただろう。薬の力であれば、どれだけ精神的に高揚していようが、落胆していようが、脳細胞の活動を化学物質が強制的に抑え、深い睡眠に近い状態にする。
思考能力が落ちた指揮官は無能であり、敵と同じだ。味方を危険に晒す。
だが、その小和泉は、井守の代わりに二号車に乗車している。ここで鹿賀山の様子に副官である東條寺が気づき指摘すべきだったが、舞と愛の二人が情報解析に回ったことで、二人の仕事を肩代わりしつつ、一人で小隊の状況確認と些細な指揮を行っていた為、気が回らなかった。
東條寺もこの籠城戦で精神を削られているのだ。
各分隊の中で一名を交替で休息を取らせていた。
休息の順番や時間は、各分隊長に一任している。兵士一人一人の体調まで、鹿賀山が把握することではない。分隊長の仕事だ。
ゆえに多少の長丁場では、集中力が途切れることは無いはずだ。
しかし、鹿賀山の8311分隊だけがこれを実施できていなかった。
―途中経過で判明していることは、下層部にOSK司令部が有ることだ。位置は特定できていない。
そこには、軍専用の大型の情報端末があることは間違いない。その情報端末を使用できれば、装甲車の情報端末と比べ物にならぬ情報量と処理能力により、現状打破の可能性が一気に上昇することだろう。
ならば、下層部の総司令部へと向かうしか生き残る道は無い。エレベーターホールに籠城していても良い未来が開けるとは考えられない。暗い運命が待っているか。
司令部の場所を特定しなければならないな。
下層部へ行くには、どうすれば良い。
非常階段は臭いや音で追撃される可能性が高い。エレベーターならば、臭いや音を辿れたとしても月人に使い方が理解できるとは考えにくい。機甲蟲であれば、なおさら、エレベーターを使用できないだろう。人間相手では危険な逃げ道だが、月人や機甲蟲なら有効だ。
ふむ。エレベーターで降りるのが最適解か。―
と鹿賀山の長考がようやく終了した。これで一休みできるかと言う時に、
「OSK司令部、位置特定できました。」
愛から報告が上がった。どうやら、鹿賀山の脳細胞は休めることを許され無い様だ。
「情報を戦術ネットワークで共有。全隊、OSK司令部へ向かう。エレベーターに乗れ。」
『了解。』
831小隊は、装甲車三台を乗せても広々とした余剰空間がある中央の一番巨大な車用エレベーターに乗ると降下を開始した。
二二〇三年六月二十一日 〇〇二二 OSK下層部 中央交通塔 エレベーターホール
エレベーターは下層部に到着する。そして、エレベーターの扉が開き始める。ホールから強い光が差し込む。
緊張の一瞬だ。正面に機銃とアサルトライフルを集中させ、装甲車に高圧電流を纏わせ、敵に備える。
月人や機甲蟲が居れば、即座に発砲し、無力化する。こちらに状況を見極める余裕は無い。
小隊無線に流れる各々の息遣いが早くなる。緊張している者が幾人かいるのだろう。
扉の隙間からホールが見え始める。狭い隙間に敵の姿はまだ見えない。
ゆっくり開く扉の速度がもどかしい。絞首台の床がいつ開くかの様な恐怖を味わせる。
鹿賀山の前にある情報端末に表示される兵士達の心拍数が通常よりも高い。
しかし、相変わらず小和泉とカゴだけが変化なく、通常値を示していた。意外にも愛の心拍数も通常値だった。
扉が大きく開き、どんどん視界が広がる。だが、恐れていた敵の姿は見えない。
「左右の死角と天井はどうか。」
鹿賀山が叫ぶ。
「左、異常無し。」
小和泉が落ち着いて伝える。
「右、異常無し。」
蛇喰がやや舌を噛みながら答える。
「天井、異常無しですな。」
井守の代わりに8313分隊の指揮を執るオウジャ軍曹がふてぶてしく答える。
結局、敵は居なかった。待ち伏せされていなかった。小隊無線に誰かのため息や深呼吸が流れた。
エレベーターホールは、埃が床一面に積もり、誰も立ち行った形跡は無かった。
正面の隔壁は、人一人が通れるだけの幅だけ開いていた。
非常階段の隔壁は二つとも完全に閉じている。
「ここからは装甲車での侵出は無理と判断する。徒歩行軍を行う。食料、弾薬などの補充を忘れるな。
小和泉、お前の出番だ。先鋒を任せる。だが、くれぐれも突っ走るな。」
鹿賀山は無駄な命令だろうと諦めつつ念を押す。
「了解。まっかせて。」
小和泉は、対照的に嬉々としていた。
装甲車という盾と移動手段を放棄するのだ。それは先に進むための苦渋の選択であった。
偵察分隊と装甲車を守る防御分隊に分ける方法もあった。
現状では、小隊を半分に分けることは避けるべきだ。少ない戦力をさらに少なくする訳にいかない。敵と遭遇すれば、各個撃破されてしまうだろう。
そして、装甲車の機銃を持ちだすことは出来なかった。隔壁の狭い隙間を通せる様に見えなかったからだ。機銃の攻撃力は頼もしい。本当は持って行きたかった。動力は、装甲車からの通電に依存しており、分解して、携行用に外部電源仕様に再構成している時間が惜しい。
それに撤退の目途がつき、ここに戻って来た時に機銃を装甲車に再装着する時間は無いだろう。即座に装甲車に乗車し、撤退することになると思われる。その様な理由で機銃は装甲車に装備させたままとなった。
エレベーターの扉の安全装置に装甲車を当て、扉が閉まらぬ様にしておく。
これは逃げ道の確保だ。逃げる場合、エレベーターを呼ぶ時間をゼロにできる。また、エレベーターを使った敵の移動も阻止できる。現時点で最善であろう行動をとれたと鹿賀山は考えた。
無論、完璧ではないだろう。見落としや敵の思惑の方が上回っているかもしれない。情報が少な過ぎるのだ。自身の判断を信じるしかなかった。
弱々しい小隊長の姿を見せる訳にはいかない。




