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戦闘予報 -死傷確率は5%です。-  作者: しゅう かいどう
二二〇三年

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242/336

242.〇三〇六二〇偵察作戦 毛玉どもの濁流

二二〇三年六月二十日 一九三八 OSK上層部 中央交通塔 エレベーターホール


長い夜の始まりは、怒涛の勢いであった。

スロープから最上階に躍り出る月人は、真っ直ぐにエレベーターホールへと狂乱を伴って駆け寄せる。数十匹から始まり、数百匹になり、すぐに万に近い数の濁流となった。

最上階の広間を瞬く間に毛玉どもが埋め尽くしていく。

狼男と兎女は目を充血させ、口から涎を大量に分泌し、831小隊へ一直線に迫る。

戦略も戦術も感じさせない。ただの暴力の奔流だ。

鼻息も荒く、唸り声が最上階のだだっ広い空間を震わせる。

装甲車の内部に響くはずが無い振動を集音マイクから集められた音声を内部スピーカーが再現しようとする。

技術的に振動まで再現できないスピーカーだが、小和泉達は直接振動を浴びているかの様に錯覚した。

いつもの月人では無かった。奴らは完全に狂気に呑まれている。

最上階は月人達の興奮の坩堝と化していた。

だが、慌てる者は831小隊に居ない。いつも落ち着きが無い小心者の彼は、今、ここに居ない。

普段と違い、静かな小隊無線が寂しさを少しだけ感じさせる。だが、そんな思いも刹那のこと。

「射撃自由。撃ち方始め。」

鹿賀山は冷たい声で命令を出す。即座に三台の装甲車から光弾の豪雨が放たれる。

四丁の機銃は、その破壊力と連射速度により戦闘集団の胴体を水平に力任せに千切っていき、貫通した光弾は、そのまま後ろの月人に突き刺さり、撃ち倒していく。それが致命傷になる者とならぬ者の差はあった。だが、負傷者を出すことは戦争では重要なことだ。負傷するだけで戦闘力は下がり、それを看護する者が現れればさらに戦闘力が落ちる。月人は基本的に看護しない為、そこは期待できない。だが、直接戦闘力が下がるのは事実だ。

正面から受ける攻撃圧力が下がった。それは、831小隊の死傷確率の低下に直結する。非常に重要なことだ。

今は孤立無援の状態である為、戦闘予報を知ることはできないが、死傷確率は90%以上なのだろう。

残り10%は、第八大隊司令部への送信が届き、援軍が来る可能性だ。

実際に生存確率は10%も無い。限りなく零に近いだろう。

恐らく、報告書は第八大隊へ届いていないだろう。皆、あの短時間で分厚い外壁を透過して無線が送れたとは想定しない。

だが、ここで死ぬつもりの者は、誰一人居ない。

日本軍において、兵士は何があっても生きて帰ることが最重要事項であり、士官学校でも兵学校も入学当初よりその精神を叩き込まれる。

人的資源も乏しく、古参兵を失うことは日本軍の弱体化に直結するからだ。


機銃の威力は絶大だったが、全ての敵圧力を抑えることはできない。機銃が撃ち漏らした敵を十一丁のアサルトライフルが狙い撃つ。

アサルトライフルから発射された光弾は、月人の毛皮を焦がし、次弾でようやく肉体の破壊を行った。それは致命傷に至った訳では無い。さらに光弾を叩き込まねば、致命傷には至らない。

小和泉達は、休むことなく、月人へ光弾を叩き込み続ける。

しかし、月人の進攻は止まらない。最前列が歩みを止めようとも背後から押されるのだ。

怪我をした月人は押し倒され、後続の仲間に踏み潰されていく。

そして後続は最前列となり、831小隊の厚い銃撃に見舞われ、倒れ、後続の仲間に踏み潰された。

月人にとっては、死の連鎖だった。逆に見れば、831小隊の生存の可能性が垣間見えた瞬間でもあった。鹿賀山の頭脳に戦術が即座に組み立てられる。

「全隊、下半身を狙え。転ばして後続に踏み潰させろ。」

即座に、状況に応じた命令を鹿賀山は飛ばす。

『了解。』

顔面や心臓などの急所を狙っていた着弾点が、一斉に月人の下半身へと下がる。

機銃は月人の足を吹き飛ばし、簡単に転ばせ、後続が踏み潰す。

さすがにアサルトライフルでは、一発で毛皮は貫けない。しかし、月人の足を払い、体勢を不安定にさせる効果は十分にあった。

不安定になると後続の圧力に床へと容赦なく押し倒される。そして、後続に踏み潰されるのだ。

それが頭なのか腹部なのか時の運次第だ。それにより死への時間が変わるだけだ。

831小隊が無理に止めを刺す必要は無くなった。先程までは二発、三発と致命傷を与えるまで撃ち続けなければならなかったが、今は一発で体勢を崩せば良くなった。

つまり、敵一匹にかける時間が三分の一の時間で済んだ。

この差は大きい。余った時間を他の敵の銃撃に回せば良いのだ。敵の進撃速度が更に落ちる。

月人達が狂乱状態でなければ、この様な状況にはならなかっただろう。

何が月人を興奮させ、狂わせているのか、誰も知り得ない。

そして、それを考察する余裕は831小隊には無かった。今は、銃を撃ち続けることが生へ繋がる。唯一の希望だ。


突如、小爆発が前方で次々と発生し、月人達を爆風で薙ぎ払っていく。入り口付近に散布した地雷を月人が踏んだのだ。

地雷を直接踏んだ月人は四肢を引き千切られ、周囲へ身体を撒き散らす。肉塊や骨が地雷の破片とともに質量弾となって周囲の月人に襲い掛かる。足、脇腹や頭部を強打され、バランスを崩す。

あとは、撃たれた月人と同じ運命が待っていた。無残に頭部、胸部、腹部を踏み潰され、苦悶の中で命を失っていく。何度も踏み固められ、原型を留めぬ肉塊となり、血の池を生み出していく。

それが二十ヶ所で同時発生していた。大きな空間が生まれ、攻撃圧力が瞬間的に下がった。

「敵は怯んだ。撃て。撃ち続けろ。休むな。」

鹿賀山は発破をかける。無論、皆、必死であることは理解している。士気の低下や気の弛みを防ぐための指示だ。

『了解。』

そのことは、部下達も理解している。長年、同じ戦場で生活し、苦楽を共にし、死線を乗り越えてきた戦友であり家族なのだから。


エレベーターホールの入口の狭さが831小隊の味方をした。大型トレーラーが悠々とすれ違えるほどの大きい物であるが、エレベーターホールの外の何も無い大広間で戦うことに比べれば、充分狭いと言える。

数が多くとも、その開いた隔壁からしか攻めることができない。

ゆえに万の軍勢であろうとも、直接対決は数百匹に限定される。

光弾に倒れた月人を何の躊躇いも無く踏み潰し、後続が最前列へと変わるだけだ。

その場に月人の死体が、どんどん積み上がり、大量のどす黒い血が川となり、池となり、床を汚していく。

月人達は、仲間の死体の山を踏みしめても、戦意が下がる気配は一向に無い。逆に狂気を深めていった。

小和泉達は、屍の山を乗り越えてくる月人を黙々と撃ち倒していく。倒す速度と月人が迫る速度が拮抗し始める。

エレベーターホールの入口に月人の屍の山が着々と高くなっていく。

倒しても斃しても月人は怯むことなく831小隊へと殺到する。

死体の山の頂上を後方より飛び越え、踊り出す月人を即座にアサルトライフルで撃ち落とす。

光弾が貫通せずとも突進力を相殺する力はある。また、その敵は味方に踏み潰され、屍の山を高くする。

ついにエレベーターホールの入口にて月人を食い止めることに成功した。

だが、皆に喜びの感情が湧くはずが無い。死地に居ることに変わりない。

更に引き金を引き続ける。右手の人差し指が攣りそうになる様な錯覚が生じる。

また、熱をもったアサルトライフルの銃身が装甲車内の室温をじわじわ上昇させていく。

それに反応した空調機が、送風口より冷風を吹き出しはじめる。

アサルトライフルと機銃には冷却機構が備わっている。蛇喰の拳銃の時の様に、熱暴発する恐れは無い。アサルトライフルから機関部だけを取り外す拳銃形態は、あくまでも非常用の武装なのだ。

弾数は無限に等しいイワクラムからの電力供給に問題は無い。弾切れを起こすには数時間は軽くかかるはずだ。


問題は、人間の精神力と疲労だ。

現在、拮抗している状況を保つには、今と同じ精神力と疲労度を保たなければならない。

今は問題無くとも人間は簡単に疲れ、精神を擦り減らす。

そして、援軍が来ることは無い。疲労が溜まろうが交代要員は居ない。

そんな絶望的な状況であるにもかかわらず、831小隊が高い士気を保っていることが異常だった。

別の小隊であれば、戦線に綻びが生じて瓦解し始め、月人と言う大波に飲み込まれる始める頃だろう。だが、その傾向は全く無い。未だに意気軒昂であり、戦線を維持していた。

831小隊では、小和泉の通り名である狂犬が目立っているが、鹿賀山も蛇喰も優秀な士官なのだ。

広い視野と部下の掌握が上手い鹿賀山と先見性と豊富な知識を持つ蛇喰なのだが、狂犬の異名の影に隠れ、他の部隊には評価されていないだけだった。

831小隊は、狂犬の攻撃力に特化した部隊だと勘違いされていた。

無論、総司令部と第八大隊は、正確な能力を把握している。

ただ、小和泉、鹿賀山、蛇喰が士官学校の同期にも関わらず階級差がついたのは、各々の性格に起因している。

小和泉は、数々の戦果を挙げているが、独断専行、命令違反などの懲罰行為が多く、大尉に留められている。佐官にし小隊以上の運用をさせる訳にいかないからだ。

鹿賀山は、狂犬の手綱を握り、皮肉屋と小心者等の曲者揃いの士官を上手く活用し、小隊の力を最大限発揮させている。

蛇喰は、知識は豊富であり、確かな判断力を持つが、部下を軽く見る傾向と能力の低い相手を軽んずる性格であった。ゆえに部下からの評価は低くかった。ただ、士官として部下を生存させる能力があるゆえに皆付き従っているにすぎない。

これで無能であれば、すでに戦場で不幸にも流れ弾により戦死をしていただろう。

その様な人物であるがゆえ、少尉に留め置かれていた。階級が上がれば、従える部下が増えるからだ。そうなれば、不満を爆発させる兵士が中から現れても不思議ではない。分隊長が分相応であった。

人を思いやることができれば、中尉や大尉になっていてもおかしくない。だが、そのことに本人は気づいていなかった。己が優秀であると疑っていないからだ。

そのことを指摘すれば、臍を曲げることは明白であり、皮肉や小言を言われようと反論せず、命令を与える方が鹿賀山にとって使いやすいかった。

命令には完全に従う士官の見本の様な男だからだ。

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