240.〇三〇六二〇偵察作戦 最上階到着
二二〇三年六月二十日 一八一四 OSK中層部 中央交通塔 非常階段
831小隊の装甲車は、装甲車一台分の幅しかない非常階段を全力疾走していた。車体を壁面や手すりに付け、盛大な擦り傷を作りだし、耳障りな引っ掻き音を奏でている。
もっとも、傷がつくのは壁や手すりの方だ。車体の接触程度では、装甲車の複合装甲に傷をつけることはできない。多少、荒野迷彩の塗料が剥げてしまうが迷彩効果としては問題無い。
騒音も外部マイクの電源を切れば、内部まで浸透しない。
それよりも、激しい戦闘機動に装甲車内に強烈な荷重の発生が自然種達を苦しめる。
上下左右に身体を振られ、シートベルトが身体に喰い込む。複合装甲やプロテクターが喰い込みの痛みから護ってくれるが、身体にかかる荷重は防護してくれない。ひたすらに耐えるしかない。小和泉や鹿賀山達、自然種は舌を噛まぬ様に歯を食いしばり耐えていた。
一方で桔梗達、促成種は、涼しい顔で装甲車を運転し、情報端末を操作し周辺警戒を行っていた。
自然種と促成種の頑強さは、比較にならない程、大きく違った。
もしも、この場に井守が居れば、事切れていたことは間違いない。それだけ大きい負担が身体にかかっていた。
最初、装甲車は非常階段を慎重に進んでいた。
灯火管制もし、音も極力たてぬように非常階段を上がっていた。だが、敵の反応は相変わらず何も無かった。
間違いなく監視カメラに映っている。にも拘らず敵は襲来しない。
あまりにも不可思議な現象だった。ゆえに隠密行動ではなく、速度重視の行軍へと切り替えられた。
目指すは地上。
OSKの外には、菱村中佐率いる第八大隊の本体が831小隊を援護する為に控えている筈だった。
当初の作戦通りであればだが。
もしかすると、敵の攻撃を受け、場所を移動しているかもしれない。
もしかすると、相当な損害を受け、撤退しているかもしれない。
しかし、無線が使えず、孤立している831小隊に知る術は無い。
第八大隊は健在であり、最上階までたどり着ければ、無線が通じるかもしれないという当てにならぬ希望に自身の運命を賭けていた。勝率など無いに等しい賭けだ。
総司令部と繋がっていれば、戦闘予報で死傷確率は90%ですと言われても不思議では無かった。
無線が通じたところで、第八大隊と簡単に合流できるわけではない。
固く分厚く頑丈な外壁が地下都市OSKを守り、第八大隊と831小隊の間を阻んでいる。
そもそも地下都市は、防空壕として設計されている。核兵器、化学兵器、生物兵器などから身を守り、半永久的に自給自足できる様に設計されている。
その様に作られていなければ、人間が月の欠片の落下により荒野と化した地球で生き抜くことはできなかった。
そんな頑強な外殻を貫く爆薬などを第八大隊ならば持って来ているかもしれない。
持って来ていなくとも、総司令部との直通の通信ケーブルを敷設しているはずだ。爆薬の用意が無ければ総司令部に連絡し、工兵を送り込んでもらうことも可能だろう。
もしくは、隔壁の開閉錠の解析を両側から同時に行い、隔壁から堂々と撤退することも可能かもしれない。この場合は、総司令部の高性能な情報処理機も利用できるため、解析できる可能性は非常に高い。
隔壁の物理破壊と情報解析の両方を同時進行しても良い。早く完了する方を実行すれば良い。
つまり、第八大隊と通信さえできれば、831小隊の生存戦術の選択肢が大きく増加するのだ。
第八大隊の存在が当初の目的通り、831小隊の命綱になろうとしていた。
―おやっさん頼みだねえ。さてさて、僕達はここから脱出できるのかなあ。―
当事者であるにもかかわらず、小和泉はこの状況を心の奥底から楽しんでいた。すぐそこに目に見えぬ死が控えている。いつでも禍々しい暴力に包囲される。そんな危険に身を置くことに生を実感していた。
二二〇三年六月二十日 一八三六 OSK上層部 中央交通塔 エレベーターホール
831小隊は、何事もなく最上階の中央交通塔のエレベーターホールに到着していた。
敵の反撃どころから接触や気配すら無かった。
中央交通塔は地下都市の大黒柱であり、非常に堅牢である。三方が壁に囲まれ、一方が出入口になっている。内部にはエレベーターや非常階段はあるが、大群が攻めるには向いていない。
少数である831小隊が、ここを拠点にするのは自然な選択だった。
鹿賀山は最上階の状況を蛇喰に調査させていた。
エレベーターホールの出入口から見ただけでも何も物体が存在せず、がらんどうであることは見てとれた。
KYTであれば、即応部隊の車両やこれからケーブル敷設任務や偵察任務に出発する車両と人々で活気にあふれている。
しかし、OSKの最上階には何も無かった。天井を支える柱と外壁に沿った下層へのスロープが見えるだけだった。車両の部品すら落ちていない。
床にあるのは、うっすらと積もった埃だけだ。そこには無数の足跡が一筋となって残っていた。足跡はエレベーターホールから真っ直ぐに外壁の正面隔壁へと向かっていた。月人がここから出撃していることが分かった。寄り道もせず、真っ直ぐに正面隔壁と向かっている。どうやら、月人がどこかに潜んでいる可能性は無い様だ。
だが、機甲蟲が天井や柱に潜んでいる可能性はある。また、無線状況はどうなのか。下層へ降りるスロープの先はどの様になっているのか。
そういったことを調べる為、蛇喰の8314分隊が直径数キロになる最上階の調査に出たのであった。
小隊無線は忙しく通信を行っていた。今までに収集された情報の検討がなされていた。
「敵は月人じゃない。第三勢力だろう。戦闘規範が月人と違いすぎる。日本軍とも違う。別の何かとしか考えられない。」
鹿賀山が誰も考えてこなかった第三勢力の存在を疑った。
「待って下さい。それは早計ではありませんか。月人の知能を甘く見ていたと考えるのが妥当ではないのですか。」
粘り付くような声で最上階を調査中の蛇喰が反論する。
「月人の知能が高いのであれば、今までの戦闘が説明できません。敵は突撃戦法しか実施していません。知能が高ければ、もっと戦術の幅が広くなるはずです。」
次に東條寺が蛇喰の意見の弱点をつく。
「威力偵察の可能性ではないのですか。」
「威力偵察で数万匹も犠牲にはしないと思います。」
「やれやれ。本気にしないで頂きたい。議論を活発にするために、敢えて反論を述べただけですよ。その様なことは、分かり切っています。議論を交わすための潤滑剤だと分からないとは、嘆かわしい。」
「それは時間の無駄です。本当に考えていることだけを言って下さい。」
「やれやれ、無駄に見えるとは浅はかな。あらゆる可能性を検討するために、俎上に乗せたのですよ。」
「そこまでだ。話を本筋に戻せ。蛇喰少尉の本意を聞きたい。」
鹿賀山が東條寺と蛇喰の不毛なる口論を遮った。
「そうですね。第三者の存在は考慮すべきでしょう。東條寺少尉の指摘通り、月人には、高度な知能はありません。育成筒の運用など不可能でしょう。では、OSKに居るはずの日本軍。いえ住人。つまり人間の姿は見ましたか。私は白骨しか見ていません。日本軍が防衛しているならば、姿を見せてもおかしくないでしょう。OSKには、人がいないと考えるのが妥当ではないのですか。」
「人がいないですって。そんな突飛な話を信じろと。では誰が私達をホールに閉じ込めたのですか。機甲蟲をけしかけて来たのは誰ですか。」
「東條寺少尉、落ち着いたらいかがですか。
それが未知の第三者の存在を証明しているのではないですか。
そうですね、鹿賀山少佐。」
「蛇喰少尉も本官と同じ結論に達したか。小和泉大尉と桔梗准尉の意見はどうか。」
「え、僕。出て来た敵を適当に斃すだけだよ。」
小和泉が言う適当は、本来の意味の方だ。状況や目的に適し当てはまる行動をとると言ったのだ。いい加減な行動をするということではない。日本軍での適当は、全て本来の意味を指す。
「私はあらゆる状況に備えます。人同士の殺し合いも辞さないつもりです。」
桔梗は、禁忌である殺人に躊躇いは無いと宣言をした。つまり、第三者は存在し、それは未知の人間だと言うのと同じであった。
「そうか。では、東條寺少尉はどうか。」
「日本軍の可能性を捨てる必要は無いと思います。交流が断たれ、数十年経過しています。こちらを警戒しても不思議ではありません。見定めているか、対応を考えている可能性があります。無論、第三者の可能性は否定しません。」
「小和泉以外は、何者かがこのOSKを統治し、月人の育成も行い、機甲蟲を操っているということを考えている訳だな。しかし、住民が居ないのが腑に落ちない。日本軍ならば住民の保護を優先したはずだ。分からんことばかりか。これ以上の話し合いは無意味だな。東條寺少尉には、ここまでの報告書をすぐにまとめてもらう。」
「了解。」
「各員、周辺警戒を継続せよ。」
『了解。』
そして、小隊無線は再び沈黙を取り戻した。




