24.二社谷の本性
二二〇一年十月二十日 一八三八 KYT 中層部 金芳流空手道道場
小和泉は、二社谷に腕を極められたまま、三階の道場へと連れていかれた。
無人で静まり返り、人の熱気が無い為、二階より半分の大きさの道場は冷え冷えとしていた。
三階の残りの半分は、二社谷の居住区になっている。
ようやく、道場の中央で小和泉は戒めを解かれた。
「錬ちゃん、どこまで腕が鈍ってるか、確かめてあげる。かかってきなさいな。」
「では、いきますよ。ケガしても自己責任ですよ。」
二社谷が左足を前に出し、半身の体勢をとり、腰を落とす。いわゆる中段の構えと呼ばれるものだ。半身に構える事により、人間の弱点が多く集中する体の中心線である正中線を隠すことができる。多くの武道で取り入れられている構えだ。
中段の構えを取った事により、チャイナドレスのスリットが大きく割れ、白い肌に包まれたしなやかな筋肉により構成された生足が剥き出しとなる。
普通の男ならば、それだけで視線が釘づけになるであろうが、小和泉にとっては幼少期から見慣れた幼馴染の脚。興味は無い。
それよりも小和泉は靴が気になった。
―今回は、布製のチャイナシューズだ。どうやら、武器にはなりそうには無いな。前回の浴衣を着てきた時は下駄だったが、あれは、蹴っても良し、手に持っても良しの武器だったな。おかげで体中に青痣を残すことになったのを思い出したよ。今回、それは避けられそうだね。―
と思いつつ、三階の道場に呼ばれた時から小和泉は覚悟をしていた。
二社谷が勝負を挑んでくることは明白だった。仮にも師範の称号を持つ小和泉だ。二社谷以外に負けることを許してくれない。
だが、今回は鉄狼に負けたことを病院で知ったのであろう。二社谷の雰囲気に先程までの遊びは無い。
小和泉を殺す気が満ちている。
同じ様に小和泉も中段の構えを取る。小和泉も二社谷も手を抜く気配はない。
二人は、ゆっくりと間合いを詰めていく。二人の距離が近づくにつれ、お互いの殺気も容赦なく高まっていく。
小和泉と二社谷がお互いの間合いを嫌う様に近づいたり離れたりを繰り返す。
背が高い小和泉の方が間合いは広いが、俊敏性では二社谷が上だ。その為、様子見をしている状態だった。
先に動いたのは二社谷だった。右正拳突きを小和泉の顔面に放つが、左手で巻き付かせるようにいなして払いのけ、二社谷に同じ右正拳突きを繰り出す。
二社谷は、寸の見切りで拳の真横を通り過ぎ、小和泉へさらに肉薄する。
小和泉は、迎撃に左前膝蹴りを繰り出す。
蹴りを手でいなすことは難しく危険だ。脚力は、腕力の数倍の威力がある。
すかさず、二社谷はかがみこんで蹴り足をくぐり抜け、小和泉の残った右足を刈り取る。
小和泉は、思わず反射的に空へ飛び、刈り足を避けた。
その瞬間、二社谷の右回し蹴りが小和泉の脇腹に炸裂する。空中に居る為、ガードに力が入らず、簡単に崩され、二社谷の足先が容赦なく筋肉を押しのけ内臓に届いた。
「くはっ!」
思わず、小和泉が苦痛で息が漏れる。地上に着地と同時に転がり、二社谷と距離をとる。
ダメージ回復の為に全身の力を抜いた仁王立ちになり、短く浅い呼吸を何度も繰り返す。もちろん、この間も気を抜かず、二社谷の動向には十分注意していた。
二社谷は、中段の構えに戻り静観していた。
二社谷の気配がさらに変わる。殺気が霧散し、一切の気配が消える。
「錬太郎。本気で来いや。いてまうぞ吾。いつまで猫被るつもりやねん。
空中に逃げとったら、動けへんただの的や言うてるやろ。
防御も地面に根を張るさかいに効果があんにゃぞ。
何度も言わせんなや、このアホんだら。それともワシを舐めくさっとんのんか!」
二社谷の本性が現れる。標準語ではなく方言での叱責だ。これは本気で怒っている時にしか出ない。狐顔の吊り目がさらに吊り上がる。ただの狐ではなく、妖狐と言っても良いだろう。
普段は門人の前では大人しく振る舞っているが、弟弟子であり、幼馴染でもある小和泉は本性を知っていた。この気性の荒さも小和泉が、二社谷に一切手を出さない理由の一つだった。
二社谷は、思春期の頃から表と裏を使い分ける様になり、この裏の顔を知っているのは、ほんの数人だ。桔梗達や大半の門人もこの本性を知らない。
「このワシに表の技で勝てる訳ないやろ。はよ、裏出せや。インポ!」
二社谷を知る者が見たらこの豹変ぶりに驚き幻滅するだろうが、これが本来の二社谷の姿だ。
普段、猫を被っているのは二社谷の方だった。
小和泉の飄々とした好青年の雰囲気が消え、そこには無色透明の人型をした何かに変わった。
目を凝らしても輪郭はハッキリしない。だが、何かがそこに居る様にも見える。
それなのに一切の気配を感じない。
「姉弟子。俺にそこまでの口を叩いたからには殺す。職業軍人を舐めるな。こっちは童貞じゃない。」
二社谷は人を殺したことが無い。だが、小和泉は多数の月人と数人の人間を殺している。この差は大きい。いざという時にためらいが入る可能性があった。
小和泉のスイッチが数ヶ月ぶりに入った。鉄狼の時ですら表の技で対応をしていた。
小和泉の長身を生かした広い間合いからの腹部への左貫手が閃く。二社谷は、両手で十字に受け止める。上半身に隙が生まれた二社谷の顎へ小和泉の右掌底が横から襲い掛かる。
二社谷は頭を引いて、小和泉の掌底を躱し、防御の両手を攻撃に転じようとするが、小和泉の左手が微妙な力加減で自由を奪い、動かせない。躱した掌底はそのまま肘打ちとなり、二社谷の顎をかすった。
威力は低かったが、二社谷の脳を揺するには十分な威力だった。
二社谷の視界が歪み、全身が脱力する。軽い脳震盪だ。だが、小和泉は肘打ちを行った為、脇腹と背中を二社谷に大きく晒して姿勢を崩している。
二社谷は脳震盪のダメージを無視し、反射的に正拳突きを叩き込む。
通常よりは威力が減じているが、小和泉を突き放すには十分だった。
さらに反撃が来る前に膝蹴りを打ち込む。しかし、小和泉は正拳突きのダメージを筋肉で吸収しつつ半歩下って避け、さらに回転力をつけ、後回し蹴りを放つ。
二社谷が脳震盪の影響下にあるとはいえ、この様な大技に当たる程、酔ってはいない。蹴りの下に潜り、下から上へ打ち上げる掌底を金的に放つ。これを喰らえば、男は悶絶死するのは確実だ。
だが、全く手ごたえが無かった。空振りをした。小和泉の姿は二社谷の想定した場所には無かった。
小和泉は、二社谷が蹴りの下に潜りこむ癖を利用した。
隙の多い後回し蹴りを放てば、潜り込むと予測していた通りになった。蹴った足を二社谷の肩にかけて、二社谷の両肩の上へ一気に立ち上がる。
二社谷の首に両足を引っかけ、全体重をかけて圧し折りにかかる。鉄狼にかけた技だ。
鉄狼は力任せで耐えたが、二社谷は脱力により小和泉の力の流れに身を任せる。
小和泉は、地面に両手をつきそのまま二社谷の首を折ろうとするが、二社谷が抵抗しないため空気を掴んでいる様な感覚だ。勢いをもって地面に叩きつけるが、手応えを感じない。
二社谷は、地面に叩きつけられた瞬間、猫の様に受け身をとりつつ袖口に隠し持っていた針を小和泉の太腿に打ち込んだ。
神経に針を打たれた為か小和泉の筋肉が痙攣し、右足の自由を奪われる。
だが、小和泉は針が打たれたことなど気にとめず、攻撃の手を緩めない。
馬乗りとなり二社谷の襟を左手で握りしめる。だが、それこそ二社谷の誘導だった。
握りしめた左手首に細い刺青の線の様に赤い血が浮かび上がる。小和泉は、即座に何も無い空間を右手に隠し持った小刀で断ち切り、すぐにその場を離れ仕切り直す。
今のは、チャイナドレスの襟に仕込まれた極細のプラスチック糸だった。
二社谷が輪状に手首へ巻き、斬り落とす算段だったのだろう。肌に糸が触れた感触で小和泉はすぐに悟り、糸を断ち切った。
小刀で糸を切り落とすのが遅れていれば、小和泉は左手の先を失っていただろう。
修練とは呼べない殺し合い。お互いに表情は変わらない。感情を感じさせないガラスの仮面が顔に貼りついている。




