239.〇三〇六二〇偵察作戦 井守との別れ
二二〇三年六月二十日 一七〇一 OSK中層部 医療区
831小隊は処置室を見つけ、安全性を確認した後、井守を運び入れた。
処置室は、この規模の育成筒を管理運営するには、お粗末な設備であった。士官学校の保健室と比較しても、設備や大きさに差は無かった。
恐らく別の場所に大規模な管理設備があるのだろう。捜索に時間をかければ発見できたのだろうが、井守の容体を鑑みて手当てを優先させることに鹿賀山は決めた。
処置室では、すでに井守の傷を831小隊唯一の衛生兵である鈴蘭が手当てし始めている。
それを護衛するために、小和泉の第二分隊が処置室に籠城していた。
装甲車三台は、育成筒の影に潜むように分散待機をしていた。一ヶ所に固まると目立つからだ。
相変わらず、全く敵影を見ない。
耳を澄ませても育成筒から発せられる静かな機械音だけが区画に響いていた。これだけの育成施設であれば、重点警戒を実施してもおかしくはないはずなのだが、その気配は一切無かった。
日本軍ならば、中隊以上を警備として配備しているだろう。
一方、鈴蘭が井守の処置をしている間に、蛇喰率いる第四分隊が育成筒の空きを強制的に作っていた。
極力、通路から見えにくい奥まった育成筒を選び、育成液を抜いていた。床に透明の液体が大きい水たまりを作り、排水溝へと流れ込んでいく。水たまりの中心には小さな毛玉が転がっていた。
先程まで育成筒の中で生きていた兎女の幼獣だった。幼獣は育成筒から引き抜かれた後、床に無造作に捨てられ、アサルトライフルの三点射により命を絶たれた。
成獣とは違い、毛皮による防御効果は無かった。簡単に光弾は毛皮を貫通し、心臓を破壊した。
蛇喰は効率主義者だ。小和泉の様に弄ぶようなことはしない。さっさと育成筒から取り出して止めを刺す。そこには、迷いも躊躇いも混じることは無かった。
ゴミ箱を見つけ、その中へ兎女の幼獣を放り込む。恐らく、この先はKYTと同じく命の水に満たされていることだろう。幼獣の屍は、分解され、資源化される。
こうして空の育成筒は用意された。ここに井守が入ることになる。受け入れる準備は完了した。
あとは井守が運び込まれるのを、蛇喰達は静かに待っていた。
処置室では、井守への手術が続いている。執刀は鈴蘭が行なっている。あくまで衛生兵であり、応急処置の範囲をわずかに超える程度の術式しかできない。
桔梗が助手として手助けをしていても、桔梗には応急処置の技術はあるが、外科手術の技術は無い。鈴蘭の言われるままに簡単な補佐をするにとどまった。
だが、小和泉が自らの欲望を満たすために捕獲した月人を練習台にした成果が、ここで大いに発揮された。練習や経験は自分を助ける。
鈴蘭は、月人に対して行った冷酷非道な練習を思い出しながら、井守の砕かれた骨を接着剤で固め、光線で切り裂かれた部位を縫い合わせる。
神経や血管の接続はできない。最初からする気も無い。千切れかけた部分は、斬り落とし、止血する。止血も乱暴な方法だ。患部は威力を落とした拳銃の光弾で焼く。焼くことにより血管は塞がり、止血される。同時に光弾の熱が細菌等を焼き尽くし消毒も兼ねる。戦場では、火傷から感染症になる恐れはあるが育成筒の中は無菌である。感染症の恐れがないため、この様な止血方法がとれた。
簡単に使える炎を使用しないのは、熱感知機が作動し、火災報知器や消火栓が作動することを恐れたのだ。
乱暴な術式にもかかわらず、井守はピクリともしなかった。投薬限界まで麻酔薬を投与したためだ。お陰で手術は滞りなく進む。
四肢の末端部分の多くを欠損しているが、術式は進み、関節部分は接着剤により不気味に歪んでいく。不恰好ではあるが、確実に死亡率は下がる。
いつ回収できるかは分からぬが、回収時に生存している確率が飛躍的に高まったことは事実だ。
欠損部分や繋ぎ損ないは、KYTの医師が生体移植か義肢に入れ替えることで元の身体機能を取り戻すことが可能だ。ゆえに今は死亡率さえ下がれば良かったのだ。
どうやら、手術は終盤を迎えた様であった。失った皮膚の代わりに応急治療膜を巻きつけていた。
あとは育成筒に任せ、井守自身の生命力に賭けるのだ。
そうやって、井守の手術は完了した。
「隊長、処置完了。いつでも育成筒へ移動可能。」
鈴蘭はヘルメットを脱ぎ、額から流す汗を桔梗に拭かれながら、小和泉に報告をした。
「お疲れ様。二人とも小休止をとってね。鹿賀山への報告は、もう少しあとにするよ。」
小和泉は予定より早く終わったため、その時間を小休止にあてることにした。
「ありがとうございます。では、小休止入ります。」
鈴蘭はそう言うと、すぐそばの簡易ベッドに倒れ込んだ。すぐに寝息を立てる。
素直に命令を受け入れたのは、慣れぬことに極度に集中し、気疲れを起こしたのだろう。
ベッドから落ちている手足を桔梗が優しく直し、掛布団をかける。
「桔梗も寝て良いよ。」
「大丈夫です。御心配には及びません。」
「だ~め。これから休めないかもしれないよ。今の内に寝ときなさい。でないと僕の交代要員が居なくなるじゃないか。」
「ずるいです。その様な言い方をされると反論できません。では、小休止に入ります。」
というと、桔梗はヘルメットを脱ぎ、続いて小和泉のヘルメットの前面を開放した。そして、小和泉の首に両手を回し、背伸びをする。
小和泉は手慣れたもので、少し屈み、口の高さを合わせる。
桔梗は優しく唇を合わせ、身体を離した。これ以上の刺激を与えると小和泉が暴発することが分かっているからだ。
そして、そのまま空いている簡易ベッドに潜り込んだ。こちらもしばらくして可愛らしい寝息が聞こえてきた。
二人の美少女が愛らしい寝顔を無防備に見せている。小和泉の獣性が高まる。二人は疲れている。疲労回復させるべきだと理解している。小和泉は、何とか今ある理性を寄せ集め、獣性を抑えこむことに成功した。
―成功じゃなく、性交をしたかったな。ああ。―
とため息をつく。
小和泉とカゴの二人は、治療室の出入口を挟むように静かに立ち、警戒を続けていた。
だが、小和泉の意識の半分は二人の寝顔へと向いていた。
二二〇三年六月二十日 一八〇四 OSK中層部 医療区
第二分隊は、処置室にあった担架に井守を乗せ、第四分隊と合流していた。
鈴蘭は、点滴や呼吸用マスクを井守に手際よく装着していく。
「装着完了。育成筒へ移動お願いします。」
「はいはい。」
鈴蘭の合図に小和泉達は井守の身体をゆっくりと育成筒の中へ納める。
異常がないことを確認した鈴蘭は強化ガラスを閉め、育成液の注入を開始した。底から育成液が湧き出す。みるみる井守の身体を覆い、育成筒の中は育成液で満たされた。
井守の身体は、力が抜けた状態で水中に浮かんだ。
「最終確認終了。完了しました。」
鈴蘭が計器を確認し報告を上げた。
これでしばらく井守とお別れになる。いや、永遠の別れになるかもしれない。恐らく後者の方が可能性は高いのだろう。
しかし、連れまわしたところで回復の見込みは無く、死を早めるだけだ。この状態であれば、まず死ぬことは無い。
あとは、月人に見つからぬことを祈るだけだ。運が良ければ、井守の治療が終わり、育成筒から逃げ出すこともできる。
そこから先は、井守の決断と運次第だった。
無論、小和泉達は後日回収するつもりでいる。だが、それを実現できる可能性は低い。
だが、死なれるよりは生きていて欲しい。それが831小隊の総意だった。
小心者だが、周囲への心配りが上手い井守は、意外にも皆に好かれていた様だ。
「こちら8312。作戦完了。8314と共に撤収する。」
小和泉は、小隊長である鹿賀山へ報告を上げた。
「8311了解。敵影は見えないが、充分注意して戻れ。以上。」
「了解。」
無線を切るとこの場に居る全員が、井守へと直立不動の姿勢を取った。あの蛇喰も周囲に合わせていた。
意味を察した小和泉は号令をかける。
「井守准尉の無事を祈願し、敬礼。」
号令とともに全員が寸分の乱れも無く敬礼を行う。誰かが言いだしたことではない。自然な流れであった。
「直れ。出発。」
小和泉達は一号車へ、蛇喰達は三号車へと育成筒の影に潜むように戻っていった。
その場には、赤子の様に眠る井守だけが残された。




