237.〇三〇六二〇偵察作戦 三つの選択肢
二二〇三年六月二十日 一六一一 OSK下層部 中央交通塔 エレベーターホール
小和泉は、桔梗が入れてくれたコーヒーを飲みながら戦術ネットワークを確認していた。
装甲車内の空気清浄機により、一時的に汚染された空気はすでに清浄化されている。ゆえにヘルメットの前面を開放しても問題無かった。
戦闘後の乾いた喉に沁み込むコーヒーは格別だった。酒を嗜む習慣が無い小和泉にとって最も好きな嗜好品がコーヒーであった。ミルク無し、砂糖一個を入れたやや苦味を優しくしたものが小和泉の好みの味であった。といっても、全て合成品であり天然物は存在しない。だが、限りなく本物に近い味わいと風味が再現されている。
桔梗は小和泉の好みを完全に把握している。
今提供しているコーヒーは小和泉の嗜好に合わせた物だ。桔梗の仕事に抜かりは無い。
小和泉専用のコーヒーセットだけは、どんな戦場にも持ち込んでいた。
舞と愛の隔壁解除作業の進捗状況は芳しくなかった。
ゆえに小和泉は時間を持て余していた。
ここが屋外や洞穴ならば、死角へ桔梗や東條寺を連れ込んでの時間潰しも可能であった。残念なことに円形のエレベーターホールに死角は無く、装甲車の陰も車載カメラが監視している。
「はぁ、人肌が恋しいなあ。先の戦闘の昂ぶりが治まらないなあ。誰か鎮めてくれないかなあ。」
と、小和泉は前席に座る桔梗の耳元に囁いてみた。もしかしたら、装甲車の荷室で軽くお相手をしてくれるかもしれないと期待したのだ。
「×です。装甲車内は常時録画されています。残念ながらお受けできません。」
と桔梗が囁き返す。
「つまり、常時録画してなければOKだったと。」
「錬太郎様のばか。」
と桔梗は頬を染めつつ、装甲車の正面へ身体を戻した。
―ふん。未だに初々しいのが良いよね。よし、生きて帰る楽しみができた。ふふふ、家に帰ったら、どうしてくれようか。ククク。―
小和泉は禍々しい笑顔を浮かべながら、情報端末へと向き直った。小和泉は帰還できると信じていた。諦めが悪いのだ。
それにこの場に留まり続けても食糧が尽きるか、大量の敵に磨り潰されるかの未来が待っているのだろう。
考えるのは面倒ではあったが、先に進まねばならぬ。ゆえに小和泉らしくない行動をしていた。
小和泉は、次の行動指針を決めるべく、今までに収集された動画を早送りにて確認を行っていた。
隔壁が開くまでの暇つぶしも兼ねている。
ボーと流し見て、気になった画像は一つだけだった。井守が撮影した地下都市の案内図だ。
井守が命懸けで撮影した内容であったが、今となっては現物をゆっくり見る余裕すらある。
空回りした上の頑張り損であった。鹿賀山の命令に従っていれば、井守は五体満足でいられただろう。数十条の光線に射抜かれ、虫の息で二号車の荷室に寝かされている。
―あらら。井守が頑張って撮影したけど意味が無かったよね。鹿賀山の命令に従っていれば良かったのにね。焦りかな。第八大隊に入ってから何も活躍してないからね。良い所でも見せようとしたのかな。生き残るのが良い兵なのだけどなあ。まだ、理解していなかったのかあ。五体満足で帰還することが一番難しいことなのにね。―
と思いつつ、案内図をじっくりと見る。
非常に簡単なことしか書かれていない。地下都市の規模や構造は、KYTとほぼ同格だったが、設備や施設の位置は異なっていた。
上層部…倉庫・研究区
中層部…居住区・医療区
下層部…行政区・工場区・西日本リニア連絡口
最下層…動力部
簡単にまとめるとこの様になる。軍部の位置が書かれていないのは、機密扱いなのだろうか。
どうやら、長蛇トンネルに戻るにはこの階層しかない様だった。
他の階層からはリニアの駅には行けない構造の様だ。
このホールの隔壁が開かぬ限り、長蛇トンネルからKYTへ帰還することは不可能であろう。
鹿賀山が沈黙しているのは、これが理由の様だ。
井守の命を救うには、早急なる帰還が望ましい。だが、隔壁が開かない。ゆえに帰還できない。
代替手段はあるが、それは井守を見捨てるに等しいが、命が助かる可能性はあった。
最後の選択は、井守の命を見捨て、隔壁が開くまでここに籠る。
小和泉が思いついた撤退方法は、三つであった。
―鹿賀山はどれを選ぶのかな。それとも他の手段を思いつくのかな。―
こればかりは、小和泉と鹿賀山の深い間柄でも理解できないことだった。お互いの得意分野が違うのだ。
愛と舞は、隔壁横の操作盤の化粧板を外し、情報端末と有線接続を行っていた。
愛と舞の情報端末二台も有線接続し、並列処理にて隔壁を開く解除番号を探っていた。
単純な所では数字三桁から始まり、複雑な物であれば、英数字大文字小文字判別あり十二桁などの様々な解除番号が存在している。
この隔壁の解除番号がどの様式に当てはまるのかを特定し、そこから幾つもの組合せがある中から、たった一つの解除番号を見つけ出さなくてはならない。
情報端末は軽く熱を持ちながら解析を続けている。まだ、解除番号の桁数すら判明していない。
愛の情報端末は、趣味が高じて日本軍に無断で演算装置や一時記憶容量が大幅に強化されているが、延々と文字が下から上へと流れるだけで、これといった成果を見いだせていなかった。
舞の情報端末は軍支給品のままの無改造であり、愛との端末と比べ文字が流れる速度が明らかに遅かった。
「この速度では、いつ終わるか分からないよね。総司令部の端末が使えたら良いのに。」
立ち作業で左手に情報端末を持ち、右手のみで入力を行う非効率な方法を取っている為、つい愚痴が舞の口から零れた。
「私だって使えるのであれば、すでに総司令部の端末に接続しています。効率を少しだけ上げる方法もないことはないですが、やりますか。あまりお勧めしませんが。」
と愛は舞を覗き込む。
「聞くだけ聞こうかな。」
「護衛に立っている第四分隊の二人に情報端末を持ってもらう。ならば、私たちの両手が使える。はい、これで処理速度上昇。」
「え、何それ。」
舞は目の前に兵士が跪き、うやうやしく両手で情報端末を差し出す姿を想像した。
「なし、なし。それはなし。恥ずかしいよ。
あ、そうだ。こっちの処理を幾つかそっちに投げるから受け取って。」
「了解、処理を受領。再実行を確認。もらったけど、余力で何をするの。」
「こっちは時間がかかるから、あっちを開けようかなって。」
舞はちらりと隔壁と違う方向に視線を送った。
「では、競争ね。どちらが先か開くか。」
そんな活き活きとした二人を護衛する第四分隊分隊長である蛇喰は苦々しく見守っていた。
―遊びじゃないのですよ。全く。小娘共が。―
鹿賀山は、愛と舞からの報告を静かに待ち望んでいた。
しかし、未だに隔壁を解放できたとの報告は入って来ない。目途が立ったとの報告もない。
―あまり急かして、邪魔をしたくない。だが、仕方あるまい。これ以上、ここに留まる方が危険か。―
鹿賀山はため息を一つつくと、舞曹長へ直通無線を繋いだ。
「鹿賀山だ。舞曹長、状況を報告せよ。」
「こちら舞です。隔壁の情報密度が濃く、解除番号の解読はまだまだかかります。」
「何か機材があれば、早くなるか。」
「いえ、手持ちの情報端末二台にて並列処理を行っておりますが、端末を増やしても速度は上がらぬものと思われます。総司令部の情報端末に接続できれば良いのですが。」
「さすがにそれは無理だな。総司令部との通信は確立できていない。他に報告すべきことは無いか。」
「非常階段の非常扉ですが、こちらの方ならば、まもなく解除番号が分かりそうです。」
「なぜ、非常階段は早く解読できる。」
「非常時に逃げやすい様、解除番号が短く設定されています。まもなく解読が完了します。」
「現状を把握した。邪魔をしたな。作業を続けてくれ。」
「了解。作業を続けます。」
直通無線はすぐに切れた。作業に専念したいのであろう。それを咎めるつもりは一切ない。
今の無線のやり取りで鹿賀山の考え、いや、心は固まった。
―後は命令を下すだけだ。命令を下すのは簡単だ。無線で告げれば済む。
だが、士官を全員集め、直接話をすべきではないのか。大きな決断をする時は、他者の意見を聞くべきなのだろう。見落としや思い込みで部下の命を散らせる様なことになってはならない。士官会議をすべきだな。一号車に居ないのは、蛇喰少尉と井守准尉だな。こちらに集まってもらう方が効率的か。が、准尉は動けぬか。―
鹿賀山は小隊無線に接続した。
「蛇喰少尉、一号車まで来い。今後の方針を士官で打ち合わせる。なお、井守准尉は動かす必要は無い。治療に専念させる。以上。」
そして、蛇喰はすぐに到着し、打ち合わせは滞りなく終わった。小和泉が二番目に考えていた方法が採用された。
反論も異論も出なかった。井守の容態が悪化していたからだ。
恐らく、隔壁の開放までもたないとの報告が、秘密裏に鈴蘭から入っていたからだ。




