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戦闘予報 -死傷確率は5%です。-  作者: しゅう かいどう
二二〇三年

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234/336

234.〇三〇六二〇偵察作戦 正しいナイフの使い方

二二〇三年六月二十日 一五三七 OSK下層部 中央交通塔 エレベーターホール


この攻防の間に舞い上がっていた埃は床へと落ち、視界は晴れた。

鉄狼から先程まであった下品な笑みは消え去っていた。

目はつり上がり、血走り、歯を食いしばっていた。

美しかった毛並みは、爆風により乱されていた。

毛皮のあちらこちらは砂埃にまみれ、ようやく、普段から見慣れた月人らしくなってきた。

残念ながら、手榴弾による損害を外見では確認できなかった。四肢のどこかでも傷をつけることができれば、小和泉の死傷確率が確実に下がったのだが。

鉄狼は、遅まきながら小和泉をオモチャではなく、ようやく敵と認識した様である。

この時点より敵の油断を利用した一方的な攻撃は不可能となった。

―初陣の油断や隙がなくなっちゃたね。さすが、鉄狼と言うべきかな。

まあ、機会はあるさ。焦らない。焦らない。機甲蟲は鹿賀山達が減らしてくれているはず。

僕は鉄狼に専念すればいい。

よし。状況は、何も変わっていない。―

あらためて、己自身が置かれている状況を考える。つまり、その考えができると言うことは、小和泉に焦りや緊張は無い。普段通りであることを示していた。

小和泉には隙や急所を突くしか、鉄狼へ痛手を負わせることは出来ない。

正面からの攻撃は、頑丈な毛皮に防がれてしまう。鉄狼が隙を見せるのをじっくりと待つ。

鉄狼の臍からは、赤い血がたらりたらりと零れていた。十手の効果はあったようだ。

―臍は体の中心。どの様に動いても痛みが走る筈。初陣の鉄狼は理解しているかな。していないだろうね。未知の痛みに苦しむといいよ。ふふふ。さあ、次を始めるよ。隙が無いならば。ほい。―


小和泉は床に落ちていた拳大の石を鉄狼の顔へと蹴り上げた。

鉄狼は避けようともせずに、それを右手で受け止めた。やはり、臍が痛んだのか、顔を少し歪ませる。

それにその行動は愚かであった。自分の腕で目を塞ぎ、大きな死角を作り出したのだ。鉄狼の視界から小和泉の姿が見えなくなる。

そして右手を高く上げたことで、急所の一つが露わになった。

小和泉の目論見通りになった。

小和泉は鉄狼の右目と右手が交差した死角に身を滑り込ませている。その手には、いつの間にかコンバットナイフが握られていた。

鉄狼が蹴り飛ばされた石を握りしめた時には、小和泉は静かに肉薄していた。

右手を大きく掲げることにより右腋が露出する。ここは毛皮の密集が少なく、比較的刃物が通りやすい。

小和泉はコンバットナイフを豆腐に包丁を通すかの様に鉄狼の肉体へと易々と突き刺した。

他の兵士では難しいだろう。いくら、腋の部分は筋肉が少なく、毛皮が薄いとしてもコンバットナイフが体内に深く刺さることはない。

小和泉にとって、解剖学である毛の流れや筋肉の付きかたを理解していれば、その隙間を通すことは造作も無いことだった。武術家が医学を勉強するのは、効率良く人を壊すためだ。

ゆえに医学に精通していても人の命は救えない。止血はできても、外科手術はできない。その技術を練習することも勉強することも無い。

人を殺すために医学を修めているため、縫合術などは不要なのだ。人を壊すことに特化した医術の知識しか持ち合わせていない。


コンバットナイフに右腋を刺された痛みによって、鉄狼は小和泉が肉薄していたことに気がついた。己の手が死角を生み出し、さらに利用されることを想像もしていなかった。

右腋に激痛が走る。熱く、キリキリと締め付ける痛みが鉄狼を襲う。臍の痛みとは比べ物にならない。

「ギャン。」

思わず、鉄狼は腹の奥底から悲鳴を上げる。生まれて初めて上げた悲鳴だった。

しかし、それは序章に過ぎない。

小和泉は刺さったコンバットナイフを大きく回転させ、傷口を深々と大きく抉る。

これにより周囲の筋肉、神経、血管がより大きな範囲で破壊される。切断された太い血管から出血が激しくなり、斬り刻まれた神経は右腕を麻痺させ、抉られた筋肉は活動を停止させる。

刃物は刺すだけでは終わらない。殺す場合、必ず抉るのだ。

刃物で敵を殺す時は、傷口を必ず抉る。そうして破壊部位を増やすことにより致死率を上げるのだ。刺しただけの傷は止血しやすいが、抉られた傷の手当ては難しい。

小和泉に抉られた拳大の肉塊が大量の血液と共に床へと落ちる。心臓の拍動に合わせ、血液が溢れ続ける。そのどす黒い血が小和泉の複合装甲の胸から下を汚していく。

この傷に縫合や止血法などは通用しない。出血を止める事は、ほぼ不可能だ。

「グギャー。」

新たな痛みに鉄狼は叫び、小和泉を追い払う為に右手を力づくで振り払った。しかし、鉄狼の意思が通わぬ右腕は、胴体の勢いに振り回されるだけだった。

小和泉は腋に刺さったコンバットナイフを手放し、無造作に振り払われた鉄狼の右手へ両足を絡ませる。

力もキレも無い右腕など攻撃とは云わない。鉄狼の右肘を全身で極める。

乾いた枝が折れる音が戦場に響く。

自分自身が振り回す力も利用され、逆方向に腕を折られたのだ。

関節は逆方向に曲げられると脆い。梃子の原理を使用すれば、それは容易い事だ。

「グギギグホホオ。」

右手に生きていた神経があったためか、鉄狼は人間には聞き取れぬ鳴き声を叫び続ける。

どうやら脳に痛覚を受けとる許容範囲が有った様だ。鉄狼ゆえにだろうか。ただの狼男であれば、すでに痛覚を遮断していたことだろう。

脳は、痛みの閾値を超えるとそれ以上の痛覚を認識しないようにできている。


小和泉は、反撃の可能性を考慮し、戒めを解き鉄狼との距離をとった。腕に絡みついたことにより、複合装甲の背面も鉄狼の血に汚された。汚れていないのは、ヘルメットだけになった。

痛みの為か鉄狼は、うずくまったり、横たわったり、飛び跳ねたり、予測不可能な動きを取り続ける。一身に抉られた腋と骨折の痛みを散らせようとしているかの様だ。無駄な行為だ。その程度の代償行為で痛みを忘れることなどは不可能だ。

どうやら、更に増していく激痛により鉄狼は錯乱し、小和泉のことを忘れてしまっている様だった。

この隙に小和泉は落ちていた十手を回収し、次の攻め手を考える。無論、一度たりとも背中は見せない。鉄狼から目を離すことも無い。

小和泉的には右手が使えないだけだ。小和泉の常識では、痛みを抑え込めばいくらでも攻撃は可能なのだ。そこが常人と違うところなのだが、小和泉にはよく分かっていない。

ほんの一時、痛みを忘れるだけで良い。別に戦闘能力が失われた訳では無い。この状態からでも、充分挽回はできる。

それが小和泉の常識。

常人には理解できぬ領域だ。

―童貞の鉄狼は脆いね。普通の狼男と変わらないね。やっぱり、修業と経験は大事だよね。ちゃんと僕だって毎日の鍛錬は欠かしてないんだよね。死にたくないからね。―

小和泉は不真面目な人間である。本人だけでなく、周囲の人間も認めるところである。

実は錺流武術の手ほどきを幼い時に受けてから、一度も鍛錬を欠かしたことは無い。

一例として、普段から椅子に座って居るように見えても空気椅子を行っている。

さすがに装甲車が戦闘機動を行う際は座らざるを得ないが、この十数年、椅子に座ったことはほぼ無い。

カゴは気が付いている様だったが、他の者はそのことに気が付いていなかった。

事務仕事や会議中に椅子に座っていないとは、誰も想像していなかった。

ゆえに小和泉の下半身の頑強さと平衡感覚の良さは、他の者と比べ物にならなかった。

それが夜の営みに役立つのも小和泉が頑張る理由なのかもしれない。

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