233.〇三〇六二〇偵察作戦 新品の鉄狼
二二〇三年六月二十日 一五一九 OSK下層部 中央交通塔 エレベーターホール
エレベーターホールの隔壁と装甲車三両に囲まれ、炎に覆われた四角い闘技場を形作っていた。
装甲車とホールの天井・壁・床にへばり付いた機甲蟲が激しい銃撃戦を行う中、闘技場に流れ弾は何故か無かった。
その場に立つ人影は二つ。小和泉と鉄狼だ。一人と一匹は、自然体でお互いを見つめあっている。
装甲車の装甲が溶ける火花と落葉が燃える火の粉が二人の間に舞う。
だが、小和泉の複合装甲の黒体塗装は、その空間に人型の穴が開いている様に見え、注視する者の視覚を狂わせた。
先に動いたのは小和泉だった。錺流の独特の緩やかな摺り足を用い、ただ立っているようにしか見えない。だが確実に鉄狼へと近づいていた。本来は袴などで足を隠すことにより効果を発揮する。ただの複合装甲では足運びが丸見えになるのだが、黒体塗装による目の錯覚が功を奏した。
鉄狼の間合いに入りつつあるのを気付かせぬ為に、小和泉は適当に鉄狼へと話しかける。
お互いに言葉は理解できない。鉄狼の気を逸らすことができれば良かった。
「もしかすると、そのオモチャの持ち主だったりするのかな。で、壊しちゃって怒っているのかな。」
小和泉は、機甲蟲を指差しながら、思いつきを言葉と態度に出してみるが、鉄狼からは何の反応も返って来ない。
表情が読みにくい鉄狼だが、にやにやと笑っている様だ。小和泉を完全に見下している。
鉄狼は、小和泉をどの様に弄ぶか、楽しみつつ、じっくりと考えている様だ。
まだ襲い掛かってくる気配は無い。余裕綽々だ。
この状況で小和泉に勝つ自信があるようだった。
「そらそうだよね。勝つ自信が無いと、装甲車の囲みの中に飛び込んで来ないよね。伏兵の気配も感じないなあ。
君が本当に強いのか、敵の強さが計れない無能なのか、どちらかな。
多分、敵の強さを計れない無能だろうね。
毛並みの良さから戦場に出たことが無いなのかな。初陣でしょう。
じゃないと一匹で攻めて来ないよね。
幾つもの戦場を経験した古参の月人の毛並みは悪くなるよね。
ライフルや砲撃に焼かれ、地面を這いずることによって、どうしても毛並みが悪くなり、薄汚れていく。それだけ数々の戦場を生き残ってきた証拠だよね。
ゆえに毛並みが悪い月人程、強敵であることを日本軍人であれば、新兵ですら知っていることだよ。
だから、僕は君が全く怖くない。」
小和泉は畳みかけるように話し続けた。小和泉は鉄狼からつかず離れず、火災から身を守る様に動く。だが、それも終わりの様だ。火勢は落ちず、小和泉を炙る。
選択をするべき時が来た様だ。
「ねえねえ、鹿賀山。新品の鉄狼が出たのだけど。どうしよう。火にまかれる前に逃げてもいいよね。追いかけっこでいいよね。」
珍しく小和泉は大好きな格闘戦を避けようとしていた。格闘戦であれば、一対一であれば、新品の鉄狼に負ける気はしない。だが、火は別だ。こればかりは小和泉も勝てない。何も対処をしなければ、焼死することだろう。
「手遅れだ。逃げ道は閉ざされた。火災と同時に全ての防火隔壁が降ろされ、我々は閉じ込められた。この中で殺し合いをしなければならない。機銃掃射で確実に機甲蟲の数は減らしている。しかし、鉄狼は小和泉に任せるしかない。」
鹿賀山は歯切れ悪く答えた。
「あれれ。敵の罠に嵌まっちゃったのかな。」
「わからん。だが、窮地にあるのは事実だ。」
「了解。じゃあ、仕方ない。始めますか。鉄狼の足元と僕の足元に手榴弾をよろしく。」
「待て。いくら複合装甲でも至近距離の手榴弾は危険だ。」
「敵、動くよ。」
「ええい、仕方ない。鈴蘭、投擲用意。」
「用意良し。」
「三、二、一、今。」
装甲車の隠し狭間から二個の手榴弾が放り投げられる。安全ピンを抜かれた手榴弾は、車外に出ると同時に安全レバーがバネの力で飛んだ。これで四秒後に爆発することは確定した。
一つは鉄狼の足元に転がり、もう一つは小和泉の足元に転がってきた。狙い通りだ。
―鈴蘭、御上手。―
と心の中で褒めつつ、小和泉は滑るように装甲車の下に滑り込み、タイヤの陰に身を潜めた。
間髪入れずに二個の手榴弾は同時に爆発した。
爆音が轟き、爆風と細かく砕けた破片が周辺を抉っていく。
ゴゴン、ココンと装甲車に破片が当たる音が続き、直ぐに止んだ。装甲車の大きいタイヤの裏に隠れた小和泉には、何の影響も無かった。
この間に小和泉はアサルトライフルを背中に背負い、太腿に装着していた十手に武器を換装していた。鉄狼に対して、射撃戦は不利なのだ。アサルトライフルの光弾は毛皮を貫通しない。表面を焦がすだけだ。無論、毛皮の薄い部位や口や鼻の様に毛皮が無い部分には効果がある。しかし、動いているものに対する標的としては小さすぎる。敵が静止状態であり、狙撃するのであれば致命傷を与えることも可能だが、この状況では現実的では無い。
危険ではあるが、格闘戦へ切り替えた。
爆風が巻き上げた埃が周囲の視界を奪う。小和泉は床の上を二回ほど静かに転がって装甲車の前部へと移動し、タイヤとタイヤの隙間から躍り出た。
爆風に巻き上げられた砂塵に阻まれ何も見えない。恐らく、鉄狼がいるであろう場所へと十手を振り下ろす。
鉄狼は馬鹿ではなかった様だ。小和泉の攻撃は空を切った。今の攻撃により小和泉の場所が知られたかもしれない。
その場に留まらず、三メートル程進み、鉄狼の気配を探る。不思議なことに鉄狼の気配を闘技場内に感知できなかった。
砂塵はゆっくりと床へと落ちていく。視界が晴れるのも時間の問題だろう。
小和泉が懸念していた火災は、装甲車に囲まれたこの闘技場に関しては完全に消火されていた。
手榴弾の爆風が燃え盛る可燃物を吹き飛ばしたのだ。無茶な手だと分かっていたが、爆風消火が上手くいったのだ。懸念事項の焼死の可能性はこれで無くなった。
「よし、勝利へ一歩前進かな。」
鉄狼が手榴弾で無力化できるとは小和泉は最初から考えていない。消火が目的だった。
不意に天井の照明の一部消えた様に感じた。つまり、照明を何かしらの障害物が隠したのだ。
小和泉は気配を関知できなかったことに納得した。
小和泉は即座に二歩前に進み、右回し蹴りを放つ。黒い塊が先程まで小和泉が立っていた地点に落ち、地響きを鳴らす。その瞬間、右回し蹴りを命中させるがそれの左腕に防御された。
足を掴まれる前に右足を鉄狼に掛けたまま、回転の勢いを活かし、左踵落としを鉄狼の耳へと落とす。空中での攻撃に威力は無いが、鼓膜を潰すだけならば十分だ。
鉄狼はその意図を読んだのか、左腕に力を籠め、小和泉を力のみで振り払った。そこには技術も武術も無い。単純な力業だった。
小和泉は無理に体勢を整えることなく、力の流れに身を任せ、静かに全身を使って地面に着地する。
無理な姿勢制御は、隙を生みやすい。いくら新品の鉄狼が相手とはいえ、油断は一切しない。
油断や敵を舐めた者は簡単に死ぬ。
実際に戦場で油断をした菜花は、あっさりと逝ってしまった。
小和泉は、着地時にとった低い姿勢をそのまま利用する。左足払いを放って間合いを詰める。あくまでも見せ技。本命の十手を鉄狼の臍へと捻じ込むに行く。
左足払いを軽く飛んで空中に避けた鉄狼に逃げ場は無い。十手が鉄狼の臍を突く。しかし、鉄狼の反射神経は早かった。臍に十手の先端が届いた瞬間に両手で握りしめ、攻撃を止めた。
小和泉は十手を手放し、すかさず十手の後端へ右掌底を全力で撃ち込む。
十手は掌底の威力をそのまま伝えた。
鉄狼の握力が幾ら強くとも細い棒を留め置くことはできない。十手は、鉄狼の掌を滑り、鉄狼の臍へ五センチ程、埋没した。小腸程度は損傷できただろう。
「グウウゥ。」
鉄狼が痛みを感じたのだろうか。くぐもった唸りを上げる。
それは大きな隙だった。小和泉は、右手を素早く引き、その反動を乗せた左掌底を金的へと叩きつける。だが、寸でのところで掌底は届かなかった。鉄狼は背後へと軽く飛び下がったのだった。
鉄狼は腹に刺さった十手を抜くと小和泉へ力任せに投げた。回転しながら飛ぶ十手を小和泉は半身だけずらして悠々と避ける。
背後で壁に当たり、床へと十手は落ち、乾いた音を立てた。




