230.〇三〇六二〇偵察作戦 口火
二二〇三年六月二十日 一五〇三 OSK下層部 中央交通塔 エレベーターホール
831小隊の三両の装甲車は、エレベーターホールの壁を左側に見るように徐行する。
入室と同時に、蠍型機甲蟲の光線による洗礼を受けるかと思いきや、何の抵抗も無く、静寂を保ったままであった。そんな中、鹿賀山の想定しない事態が発生した。
「二号車停車します。」
突然の井守の宣言とともに二号車が停車し、一号車と三号車も停車を強いられた。徐行であったため、追突の心配は無かった。
「井守准尉、止まるな。何があった。」
鹿賀山は、やや強めの口調でたしなめる。
「案内板発見。案内板が埃まみれで文字が読めません。表面の汚れを落とす必要があります。」
「今は不要だ。ホールを素早く一周し状況が掴めればそれで良い。一旦、外に出ることを優先する。」
「ですが、このまま撮影しても、文字を読むことができません。」
「構わん。他にも案内板はあるだろう。一つに拘るな。すぐに発進だ。」
「まもなく、案内板に到着します。すぐに拭き上げます。」
その言葉に鹿賀山は、勢いよく振り返った。装甲車の全周囲モニターには、装甲車から降車し、案内板を雑巾で拭く井守の姿が表示されていた。
「馬鹿者。何故、降車している。すぐに戻れ。死にたいのか。
オウジャ軍曹、奴を連れ戻せ。いや、待て。促成種では駄目だ。小和泉、行ってくれ。」
促成種の急所だけを守るプロテクターでは、機甲蟲の光線は防げない。自然種が装備する複合装甲ならば防御が可能だった。
「はいはい。」
小和泉はアサルトライフルを構えると装甲車の側面の扉から転げ出た。すぐにカゴが装甲車の扉を閉める。装甲車の開口部は大きな弱点になるからだ。
小和泉は低姿勢を保ち、少しでも草むらに身を隠すのだが、黒体塗装が裏目に出た。小和泉の九久多知は、草原に黒い穴がぽっかりと開いているようにしか見えなかった。
「あらら、目立つね。ならば、堂々と行きましょうか。」
小和泉は、即座に対応を切り替えた。隠密行動を止めて速度を重視し、真っ直ぐに井守の元へ走り出した。
「蛇喰少尉。井守准尉の独断専行を何故報告しない。」
鹿賀山の苛立ちの矛先は、蛇喰へと向かっていた。部下であるオウジャ軍曹では、上官には逆らえなかったのであろうとの判断があったからだ。
「独断専行は831小隊の隊風ではありませんか。何せ、小和泉大尉という前例が多々あります。
特に危険を感じないこの場所であれば、許容範囲内となるでしょう。
それに複合装甲は、機甲蟲の攻撃を通さないのではありませんか。ならば、問題にはなりません。
それよりも、すぐ後ろの部下の動きを把握できていない方が、問題になるのではありませんか。」
蛇喰は、絡みつく様な物言いで鹿賀山へ反論する。一瞬、鹿賀山の感情が高ぶるがすぐに治まる。
安易な挑発に乗る様な愚か者では無い。己の感情くらいは自由に抑えることができる。
戦場では、無駄な時間は過ごせない。
「全隊、周辺警戒を厳にせよ。射撃自由。二人を援護せよ。この件は、帰還後に検討する。」
『了解。』
鹿賀山は、蛇喰の物言いを完全に無視した。今は論ずるべき状況ではない。そもそも生還できるかも分からないのだ。死傷確率を下げることが最優先だった。
井守は、機嫌よく案内板を雑巾で拭いていた。あらかじめ水で濡らしておいたため、案内板の表面へ数十年に亘って付着した埃を雑巾は簡単に拭い去ることができた。
―オウジャ軍曹には止められたが、無理に出てきて良かった。これで初めて皆の役にたてる。もう831小隊のお荷物は卒業だ。少しでも成果を出さないと。―
興奮物質が作用しているのか、功名心に踊らされているのか、小隊無線を聞き逃していた。
鹿賀山の撤退命令も理解できていなかった。
「よし、これで綺麗になったぞ。そして、静止画撮影っと。」
ヘルメットのシールドのタッチパネルを操作し、ヘルメットに内蔵されている戦闘記録用カメラで案内板を撮影した。
戦闘記録用カメラは常時撮影し、ヘルメットの正面を動画にて撮影するものだ。KYT帰還後に動画情報は総司令部に回収され、戦場や月人の解析等に使用される。
改めて静止画撮影せずとも動画から抜き出すことは可能であり、無駄な行為であった。それにすら井守は気づいていなかった。
ちなみに、小和泉は戦闘記録用カメラを強制停止させることもあるが、それは残虐行為や独断専行等の軍紀違反をしている時であることは、日本軍の公然の秘密となっている。
案内板は。この階層の見取り図と各階に設置されている施設の名称が書かれた物であった。
撮影した画像をモニターに呼び出し、写り具合を確認した。
「鮮明さ良好。文字切れ無し。よしバッチリ。」
井守は、枯葉の山を後ずさり、装甲車へと戻ろうとした。その時、固く大きい物を踏み付けた。枯葉の為か、簡単に足を滑らせ、尻餅をついた。衝撃は複合装甲が吸収する為、痛みは全く感じない。
「あれれ。何を踏んだのかな。」
井守は無様な姿で、股の間にあるガラス球と至近距離で対面することになった。そのガラス球に見覚えがあった。
中にはカメラとセンサーが詰め込まれている。ガラス球の根元には非反射塗料が塗られた金属の固まりがあった。ホームで見た物と同じ物であった。
井守の全身から血の気が引いていく。手にしていた雑巾を投げ捨て、負い革をあわてて手繰り寄せ、アサルトライフルに持ち替えた。その手は小刻みに震えていた。
「動くな。動くな。動くな。」
震える手でガラス球にライフルを向け、引き金を引こうとした。
「井守。撃つな。」
近くまで来ていた小和泉の制止の声は、井守の耳には届かなかった。
アサルトライフルの引き金を絞り、蠍型機甲蟲へ無数の光弾を叩き込む。
光弾は、ガラス球を弾けさせ、内部のカメラとセンサーを粉砕していく。更に周囲の装甲にも次々と穴をあけていく。その衝撃に機甲蟲は上下左右に跳ね、命中しなかった光弾は枯葉に火をつけた。
完全に乾ききった枯葉は周囲の可燃物を巻き込み、即座に火から炎へと変化し、炎の領域を増やしていく。
井守が、文字通りの口火を切ってしまった
全ての装甲車の情報端末から警告音が同時に多数発せられた。
「電動機、駆動音関知。現在増加中。囲まれています。」
舞が一番に状況報告を上げた。
「温度センサーに反応有り。火事部分ではありません。同じ様に取り囲まれつつあります。」
遅れることなく東條寺が報告を続ける。
「蠍型機甲蟲が起動したものと推定。高熱体が発生。井守准尉へ発射。その数、五十以上。現在も増加中。」
状況の急激な変化に桔梗も報告へ加わる。それを表すように装甲車の全周囲モニターは、井守へ降り注ぐ数十の光線により車内を眩く照らした。
「目標、井守准尉へ一斉に移動を開始。」
動体センサーを確認した鈴蘭が報告する。
「装甲車は標的外の模様。目標、素通りします。」
数々の報告が示すようにエレベーターホールに、無数の光線が壁や天井から井守へ向けて降り注ぐ。最初の光線が途切れても新たな光線が降り注ぎ、途切れることは無い。
何故か、同じ場所にいる小和泉への着弾は無かった。
井守を中心として、着弾した光線が枯葉を燃やし、大火となっていった。
「二号車は後部扉を井守准尉へ寄せて回収準備。一号車、三号車は両脇に回り盾となれ。こちらも機銃で反撃をしろ。」
鹿賀山が報告された内容と状況に即した命令を下す。
『了解。』
三台の装甲車は一斉に向きを変え、井守の元へと背走しつつ、機甲蟲がいると想定される地点への機銃掃射が始まった。
その機銃を黙らせる為なのか、井守を無力化したと判断したのか、機甲蟲の光線が装甲車に降り注ぐ様になった。
装甲に当たる度に少しばかり削れ、火の粉が舞った。光線と火の粉が装甲車を包み込む。まるで数十年前に廃れた宗教画の様に神々しく周囲の大火がゆらゆらと橙色に装甲車の表面を彩る。
それは戦場には似つかわしくない油絵の様に美しかった。




