228.〇三〇六二〇偵察作戦 OSK初潜入
二二〇三年六月二十日 一四二五 OSK下層部 外殻扉
小和泉達は、階段の闇の中に留まり、慎重に警戒を続けていた。
しかし、雑木林の中には、人影も蠍型機甲蟲の姿も見えない。各種探査機にも反応は無かった。
地下都市内ゆえに風が吹かぬ為、葉が騒めくことは無い。道路を通りかかる車も無い。
装甲車の集音機は、地下都市の空調の微かな音しか拾わない。
動く物は全く無く、空間は静寂で満ちていた。まるで廃墟都市の様だ。
しかし、敵が居ない保障は無い。隠れる場所は幾らでもある。
樹々の間。木陰。樹上。藪。建物内。建物の間。建物の屋上。様々な場所で機甲蟲が休眠しているのかもしれない。休眠状態では電動機からの駆動音や排熱は発生しない。機械に頼る探知はできない。肉眼による目視確認が唯一の手段であった。
機甲蟲は、小和泉達の接近と同時に起動し、襲撃をかけてくるのかもしれない。
それとも戦闘に向いた場所にて、待ち伏せをしているのかもしれない。
もしくは、別階層の戦力の移動に手間取り、攻勢をかけることができないのかもしれない。
かもしれない、かもしれないの思考の循環に陥る。様々な状況が小和泉達の脳裏に浮かんでは消えていく。
今、分かっていることは、<何も分からない>だけだった。
状況が分からないまま行動を起こすことも強行偵察の一つだろう。
小和泉達が地下都市内に足を踏み入れることにより、敵の反応を何かしら見ることができるかもしれない。
だが、その瞬間が生涯最後の記憶になるかもしれない。
ここでも、かもしれないだ。小和泉達に最初から選択肢は無かったのだ。
色々な事が可能である様に見えて、出来ることはただ一つなのだ。
それを理解しているゆえに誰も口を開かない。
自分達が物音をたて、敵が発する音を聞き逃したくないからだ。少しでも今の状況を変化することを期待していた。
小隊無線に流れる呼吸音が少しずつ荒くなっていく。
一方で、小和泉のヘルメットのシールドに表示される部下の生体モニターは正常値を表示していた。普段と変わらず、心拍数や血圧の上昇は見られなかった。つまり、桔梗、鈴蘭、カゴの三人はこの状況でも全く緊張をしていなかった。逆に安静時と同じ数値を出していた。
―頼もしいと言うか、可愛げがないと言うべきなのかな。隊長、怖いですとか言って抱き付いてくれると嬉しいよね。だんだん僕に似てきたのかな。桔梗達は。―
小和泉は一人苦笑を浮かべた。小和泉には、他者を気にする余裕が十二分にあった。831小隊の中でもっとも落ち着いている人物だった。
831小隊の目の前には、最大の懸念事項があった。
絶対に閉まっていなければならない外殻扉が開いていたのだ。その為、階段から都市内を窺うことが出来た。
これは小和泉達の予想を完全に裏切った。外殻扉を開くには、OSKの情報防壁を解除する必要があった。その為の促成種達は、事前に解除方法を額の端末から脳に直接書き込み、開錠任務に備えていた。
扉に設置されている端末から情報防壁を読み取り、暗号を解読し、それを入力して開錠する予定だった。
脳に負荷をかけてまで高速学習した事が不要となった。しかし、無駄ではない。違う場面で必要とされる可能性はゼロでは無い。別の場所にて、情報防壁の突破を要求される可能性は考えられた。
懸念事項が無くなったのは良い事なのだが、逆に不気味であった。
この外殻扉は、耐爆、耐圧、耐熱、耐放射線などの機能を持っている。人類最大の攻撃手段である核攻撃や月人最大の攻撃手段である月の欠片の落下に対応するためには、常に閉鎖されていなければならない。
実際にKYTの外殻部分の出入口は常時閉鎖されており、出撃及び帰還時のみ開閉される。
開放されている為に、内部は放射線に汚染されており、線量計が警告を発していた。どうやら、地下都市内部でも装甲車と複合装甲と野戦服の気密は保たなければならない様だ。
別の階層に移動すれば、放射線汚染は軽減されるかもしれない。
外殻扉が開放されている異常事態であっても作戦は継続されなければならない。
「我々は外周道路を反時計回りに半周する。その間に樹々の陰に入った時の明暗、射線の悪さ、装甲車の挙動を早急に熟知せよ。敵は容赦なく攻めてくる。死にたくなければ早く慣れよ。では、微速前進。警戒を厳に。」
『了解。』
鹿賀山の命令と同時に831小隊の装甲車は地下都市内部へと侵入した。
地下都市OSKへの初潜入の瞬間であった。
皆には感慨に浸る義理は無い。淡々と軍務を遂行する。命懸けなのだから。
装甲車は外殻扉を出ると右折し、片側二車線ある広い外周道路を微速前進した。
六輪ある内の一輪が時折雑草により瞬間的に空転するが、六輪駆動である為、大きな影響は出なかった。
やはりタイヤが荒野の岩石や砂の上を走る前提で設計されているからだろうか。グリップ力が発揮されなかった。
―この荒野と複合セラミックスだけの世界で、一体誰が緑豊かな森林の様な場所を装甲車で走ると想像したことだろうか。その様な者は存在しない。日本軍が所有する車両に草地や森林の走行想定した車両は存在しない。つまり、この数十年間緑溢れる世界など夢物語だった。
しかし、今は樹々に侵された都市が目の前に広がっている現実を受け入れなけばならない。
緑に目を奪われるのではなく、敵を倒さねばならない。―
鹿賀山は小隊長としての責務に緊張を強いられる。
―全員を生還させる。―
これが鹿賀山の第一目標となっていた。
小和泉達は機銃や銃眼から突き出したアサルトライフルのガンカメラからの映像を網膜モニターに投影し、敵影を探す。
しかし、樹々の深さが闇を生み、林の中を見通すことができない。暗視機能を使えれば闇も問題無いのだが、天井から煌々と光る照明により周囲は昼間以上の明るさであった。ゆえに暗視機能を使うと光を増幅し過ぎ、画面全てが白化し何も見えなくなる。
暗視機能無しで、目を凝らして闇を覗き込むしかなかった。
「各種探査、反応無し。」
「空気成分問題無し。若干、酸素濃度高し。二酸化濃度低し。」
「毒、ウイルス等は確認できず。放射線量、高濃度変わらず。」
「空気清浄機、正常稼働中。車内気密及び清浄性問題無し。」
舞と鈴蘭が交互に現状報告を上げる。
「では、鈴蘭上等兵は哨戒任務につけ。舞曹長は、引き続き環境の変化を監視せよ。」
『了解。』
鹿賀山の命令を受け入れ、鈴蘭は情報端末からアサルトライフルへと持ち変える。銃眼から外へ突き出し、小和泉達と同じ様に雑木林の中の索敵を始める。
「愛兵長、運転はどうか。」
「スリップを考慮すれば、問題ありません。戦闘機動可能です。」
「そうか。だが、後続は愛兵長程の技量を持たぬ。現状維持だ。慣熟させる。」
「了解。現状を維持します。」
鹿賀山の心配する様に後続の二号車と三号車は時折車体を滑らしていた。
もう少しこの環境での運転に慣れる必要がありそうだった。もっとも敵と遭遇すれば、慣熟運転などしてはいられない。即、戦闘機動に入ることになる。
鹿賀山は、目の前に広がる状況を把握し、理解しようと周囲に気を配る。敵を見つけるのではなく、何がOSKで起こっているかの手掛かりを探していた。
―なんでしょう。何かが無いような。いや、あるべきなのかな。なんだろうね。―
小和泉は網膜モニターに映る風景に違和感があった。だが、その正体が形とならない。
―もどかしいなぁ。誰かに聞くにしても、何か変じゃないかなって聞いても困るよね。はてさて。何かな。―
もどかしさが右手の人差し指に出ていた。空中で曲げたり伸ばしたりを繰り返していた。まるで見つけた敵を撃ち抜くかの様であった。
無意識だが、得られた情報から不要な物を削除する時に空想の引き金を引いていた。
―無いからおかしいのかな。いや、正常だから無いのかな。でも正常じゃないよね。異常だから無いのかな。―
小和泉が悩む間にも装甲車は、静かに外周道路を進んで行く。指を動かす回数が減っていく。余分な情報が小和泉の頭から消えているのだ。しかし、思考は未だにハッキリとしない。
―あと少しで疑問の疑問が分かりそうなのだけどなぁ。―
誰からも敵発見の報告は上がらない。相変わらず、小隊無線には誰かの小さく荒い呼吸音だけが響いていた。




