226.〇三〇六二〇偵察作戦 重たき命令
二二〇三年六月二十日 一三二七 OSK下層部 旧大阪駅 地下ホーム
鹿賀山は検討会の結論を出した。
「蠍型機甲蟲は、蜂の巣にするか、装甲車によって踏み潰す。これが単純明快な対策になるだろう。絶対に生身で接近をするな。白兵戦は避けろ。これを小隊の行動指針とする。」
『了解。』
「小和泉、くれぐれも装甲車から降りるな。分かったな。」
「もちろんだよ。鹿賀山は心配性だね。」
「過去の実績に基づいているだけだ。」
「ねぇねぇ、奏。僕ってそんな風に見えるのかな。」
小和泉は隣に立っていた東條寺の肩へと腕を回す。東條寺は逃げる素振りも見せず、逆に身体を小和泉へ自ら寄せた。
「見えるわよ。お願い。心配させないで。」
東條寺は、ヘルメットの奥から上目遣いで小和泉を不安そうに見つめる。
―うわあ。計算だよね。前線でもするんだあ。女って怖いなぁ。あ、前線だからか。守ってもらうための生存本能かな。なるほどなるほど。―
という内心は表情に出さない。
「仕方ないね。まあ、僕も機械と戦っても楽しくないから大人しくしておくよ。」
「約束したからね。」
「はいはい。約束約束。」
周囲は、小和泉と東條寺のいつものやり取りに呆れていた。
「さて、次の議題だ。機甲蟲を使う敵の正体及び対応を考えたい。」
鹿賀山は二つ目の議題を出した。通信が完了しない為だ。ただ待機するだけでは時間が惜しい。
今話し合っても答えが出ないであろう議題だが、問題意識の共有をしておく価値が有るのではないかという判断だった。また、話している内に今後の方針を決める要素が出て来るかもしれない。
「まずは桔梗准尉。機甲蟲を分解して何か感じた事は無いか。」
「敵の正体は分かりませんが、恐らく人類でしょう。月人に機甲蟲の様な精密機器を作る技術があると思えません。」
「僕も桔梗の意見に賛成。気になるのは、どうして人が人を殺した、かな。」
小和泉は桔梗の頭をヘルメットの上から撫でていた。
「あのう、つ、月の欠片の落下に伴う、民衆の混乱、暴動、内乱を鎮圧する為でしょうか。」
恐る恐る思いつく言葉を井守が並べた。
「可能性はありますけど、逃げる方向が違うわ。連絡通路の白骨は、地下都市からリニアの駅へと向かい、背後から撃たれていた。月の落下から逃れるなら、頑強な地下都市に逃げ込むのじゃない。ね、錬太郎。」
東條寺はそう言いながら、小和泉の空いている左腕にしがみ付く。
「そうだね。地下都市から逃げようとした様に見えるね。」
「はあ。もっとも堅固で衣食住が確保されている地下都市から逃げるなんて理解できませんね。当時の人類は、発狂でもしたのでしょうか。」
蛇喰は首を左右に振り、首をすくめる。
「あ、あのう。ち、地下都市内部に、月人が侵入したのでしょうか。」
「それはありえませんね。核の直撃に耐えるのが地下都市です。ここに月の欠片が落下した形跡はありません。もし落下していれば、クレーターになっています。ゆえに地下都市の防壁は破られていない確率は非常に高いのです。もし侵入されたのであれば、機甲蟲を差し向ければ良いのです。少し考えれば分かる筈ですね。」
「ではでは、放射能汚染でありましょうか。当時、気密服や野戦服は、制式採用されていなかったと思います。」
蛇喰と井守のやり取りが続く。意外に相性が良いのかもしれない。
「それは一考の価値がありそうですね。
地下都市の地下にある原子力発電所に事故が発生。都市内が放射能と放射線に汚染され、別都市へと逃げる為にリニアの駅へ人が殺到した。
なるほど辻褄が合いそうです。ですが、最大の疑問が残りますね。」
「そう、OSKは逃げる市民を虐殺する必要が何故あったかだ。」
鹿賀山が蛇喰の言葉を引き継ぐ。
「錬太郎様、今のはどの様な意味でしょうか。私には理解できませんでした。」
「単純だよ。致死量の放射線を浴びたのであれば、わざわざ戦闘せずとも時間とともにね。」
「ご教授有難うございます。理解できました。」
「す、すいません、小和泉大尉。自分には理解ができませんでした。具体的に教えて頂けませんか。」
「ええと、ある日、周囲の人々が目の前で突然血を大量に吐く。全身の毛が抜けて倒れる。全身の皮膚が爛れる。溶ける。血便が止まらない。そして、次々と死んでいく。なあんてことが発生したら、なにを想像する。」
「被爆による放射線障害です。この地下都市は放射能汚染されている。別の都市に逃げよう。という事でしょうか。」
「パニックが起きて一斉に逃げ出す。だが、地上は月人との戦闘により放射能汚染の可能性が高い。ならば地下のリニアで逃げよう。」
「ゆえにリニアに住民が殺到した訳ですか。なるほど。」
「で、ここで疑問。正直な話、周囲の人間が発症したら自分も手遅れじゃないのかな。いくら逃げても数日生き残れるくらいだろうね。あえて殺す必要があるかな。わざわざ殺す必要無いよね。面倒だよ。」
「他の都市に伝染させないためとかでは。」
「放射線障害は伝染しないよ。体に取り込まれた放射能から発せられる放射線は他人にも害を及ぼすけどね。それでも駅の封鎖で充分だと思うよ。エレベーターの電源を切って階段を封鎖すれば、もう他所には移動できない。」
「確かに。月人との戦闘中に貴重な戦力である機甲蟲を前線から動かす必要は無いですね。ご教授有難うございます。」
井守が小和泉へ敬礼を行う。小和泉は面倒に返礼をした。
無線に誰かの歯ぎしりの音が乗る。一瞬だった為、誰かは特定できなかった。
二二〇三年六月二十日 一三三六 OSK下層部 旧大阪駅 地下ホーム
鹿賀山は休めの姿勢から背筋を伸ばし、皆を見回した。その空気に反応し、意見交換をしていた士官達は即座に沈黙し、背筋を伸ばし、鹿賀山の言葉を待った。
「傾注。私の考えを述べよう。
地下都市内部がどの様になっているのかを調べるのは、最初からの作戦予定であり、諸君ならば、どの様な状況にも対応できると信じている。ゆえに状況をこの場では予測しない。何があっても驚くことなく、冷静に対応できるはずだ。」
ここで鹿賀山は一呼吸挟んだ。ゆっくりと聞き間違いが発生しない様に正確に言葉を紡ぎ出した。
「私は、OSKの上層部に対して、正常な判断力を一切期待しない。ゆえに脅威だ。
つまり敵だ。同じ人類であるが敵性勢力だ。交渉も不要だ。発見次第、射殺せよ。これは命令である。」
東條寺、井守、蛇喰の身体が揺れる。鹿賀山の命令は重いものだった。
「私は、見知らぬ人間の為に部下を失いたくない。ならば、部下の命を優先する。
家族か他人かどちらか一人ずつが命の危険に晒されているのであれば、私は家族の救出を選択する。
他人が権力者であろうとも代わりは存在するのだ。必ず代行者が現れる。現れなければ不要な人物なのだ。
だが、家族はどうだ。代わりは存在しない。唯一無二の存在であり、失った時の喪失感は大きい。
あきらかに、命は平等では無い。
貴官等は日本軍が貴重な資源と時間を費やして、育て上げた日本軍士官である。それも最高の士官であると私は評価している。
貴官等は、ただの一般人では無い。部下の性格や能力を熟知し、最高の戦果を発揮できる人間である。
OSK市民よりも貴官等が、そして兵士達が、本官にとって最も大切な命である。
博愛主義は捨てよ。
偏愛主義を貫け。
戦友と部下を偏愛せよ。
私からの命令は以上だ。
総司令部との通信完了次第、再突入する。質問は有るか。」
『ありません。』
「では、貴官等の、831小隊の。いや、違うな。戦友達の実力に期待する。解散。」
鹿賀山の解散命令に基づき、小和泉達は自分の装甲車へと戻っていった。
831小隊の面々に初の人間同士の戦いが始まるという現実が重くのしかかっていた。
しかし、悲壮感は無い。優先されるのは831小隊の生存だ。OSKの住民を保護する必要は無い。
正直、KYTの住人であれば、命を懸けて守ることに何の躊躇いも無い。それは軍人として様々な恩恵を受けてきたからだ。KYTの盾になることと引き換えに衣食住が一般市民より優遇されている。
ゆえに、有事に一般市民の生命を守ることに躊躇いは無かった。
最も戦争における冷たい算数、少数の命を犠牲にして大勢の命を奪うことが日本軍の基本戦略なのだ。
小和泉は装甲車の自分の席に座った。ヘルメットの前面を上に押し上げ、顔を露出させる。ヘルメットの中の湿った空気から空気清浄された乾いた空気が小和泉の少し火照った頬を冷ます。
前の席に座った桔梗がすかさずマグカップに入ったホットコーヒーを差し出した。小和泉は、それを黙って受け取った。
―鹿賀山は、命令と言い切った。この作戦における全責任がこれで鹿賀山一人に集中した訳だね。散々月人を殺してきたけど、人殺しは、みんな初めてだろうね。命令がなきゃ、自分の意志で引鉄は引けないよね。さて、鹿賀山は部下の愛と舞に検討会の内容と命令を言うだろうから、鈴蘭とカゴもそれを聞いていてもらったらいいよね。どうせ、同じ内容だしね。―
だが、右手に持ったマグカップは小刻みに揺れ、コーヒーにさざ波が立つ。
―いや、そうじゃない。―
小和泉は装甲車内に全員が揃っていることは気配で分かっていたが、改めて目視で確認した。
「鹿賀山、職権を越える許可をもらえるかい。今後の作戦を8311にも説明したいかな。自分の隊に説明しないといけないしね。」
二列目に座る鹿賀山が小和泉へと振り返った。その目は血走っていた。先の選択が鹿賀山には重かったのかもしれない。人が人を殺せと命令するだけでかなり心を痛めた筈だ。
それ以上の傷を小和泉は負わせたくなかったのかもしれない。
「いいだろう。許可する。小和泉大尉に任せる。」
鹿賀山の険しい表情がほんの少し緩んだように見えた。
小和泉は検討会の内容を説明し、最後に言った。
「さあ、一線を越えよう。僕と同じ人殺しになろうじゃないか。」




