218.〇三〇六二〇偵察作戦 立ち塞がるもの
二二〇三年六月二十日 一〇二〇 OSK下層部 旧大阪駅
831小隊の装甲車三両は、中央広場と連絡通路を分ける自動改札機を力づくで乗り越えていく。大質量に為す術も無く、自動改札機は耳障りな破砕音とともに簡単に押し潰された。
連絡通路は装甲車が楽にすれ違えるくらい広く、両側には様々な売店の跡が並んでいた。
リニア運行当時は、ここを沢山の人が行き交い、土産や乗車中の暇つぶしなどを買い求めていたのであろう。簡単に日本全国、いや海外にも旅に出ることができたのだろう。
現在、旅というものは存在しない。
旅先はどこにも存在しない。
そして、その様なものを楽しむ余裕など人類には無い。
人間の生活の全てが、地下都市KYTの中で完結し、外は砂塵と放射線が満ちる死の荒野でしかない。
人類は全滅しているのではないかと、KYTの住人の多くはその様に考えていた。
今侵出しているOSKに生き残りが居て欲しいと微かな希望を持つ者もいた。
しかし、大量の人骨の出迎えによる報告を受け取れば、その希望は消えさるのだろう。
連絡通路も大量の人骨によって埋め尽くされていたのだ。
地下ゆえに総司令部と無線は通じない。浮航式に改良した装甲車には通信ケーブル敷設装置は無く、KYTと繋がる通信ケーブルは存在しない。
唯一、長蛇砦から長蛇トンネルの水流を利用して流された通信ケーブルがKYTとの通信手段となる。だが、そこから送受信できる無線は、中央広場から既に途切れている。
アンテナが水に浸かっている為、能力が弱いのだろう。通信を行うには下層のホームまで戻らねばならなかった。
今、831小隊は当初の作戦通り孤立無援であった。小隊員達の緊張感が高まっていった。
装甲車がゆっくりと進むと車体の底よりバキ、ボキ、ビシと骨が折れ、割れる音が車内に響く。その音は連絡通路に反響し、遠くまで聞こえていることだろう。
「熱源反応に注視せよ。音響センサーは信頼するな。参考に留めよ。目視索敵は怠るな。」
鹿賀山が改めて831小隊の警戒心を引き締める。
いつ、脇道や通風孔などから月人が襲撃してくるか分からない。これだけ派手な音を出していて、敵に気付かれないはずが無いのだ。
小隊無線には幾つもの激しい呼吸音が流れている。
兵士達の緊張感が、さらに高まっているのだ。
これだけの虐殺を行なえる敵が今も実在すれば、装甲車に乗っていても安全であると言い切れないからだ。
そんな中、小和泉率いる8312分隊だけが落ち着いていた。
「熱源、関知できず。」
「聴音は破砕音により無効。超音波による反射、異常検知できず。」
「目視、異常無し。」
桔梗、鈴蘭、カゴが普段通りに定期的に報告を上げる。そこには焦りも恐怖心も無かった。小和泉が居れば絶対に生き残れるという根拠の無い安心感と絶対的信頼を持っていたのだ。
831小隊の進みは、亀のように遅かった。一区画進んでは停車し、聴音により異常を探す。そして、安全を確認後に前進を再開した。
戦争において、情報は最大の武器であり、防御でもある。侵出速度が遅くなろうとも鹿賀山は安全策を最優先にした。
「舞曹長、聴音に変化は無いか。」
装甲車は全車が停車し、暗闇の中央通路は静寂に包まれている。その隙に聴音機の性能を発揮させ、敵なり、人間なり、隠れた標的を見つけたかった。
浮航式装甲車一号車は、二個分隊が乗車する為、センサー類も二個分隊分が用意され、それぞれの分隊で操作することができた。無論、探査を一個分隊に任せ、別の一個分隊は戦闘に専念することも可能である。
鹿賀山の8311分隊でも慎重に周囲を探査していたのだ。
そんな焦りなのか目に見えぬ驚異の為からか、装甲車が止まる度に鹿賀山はその台詞を何度も繰り返した。
「聴音に変化なし。探知物ありません。」
そして、舞から返ってくる言葉にも変化はなかった。
鹿賀山のヘルメットのモニターに表示される小隊員の生体情報は、大半が緊張状態を示していた。
心拍数と血圧は高めを維持し、呼吸も荒かった。恐らく発汗もしているのだろう。
831小隊は孤立無援の状態であり、敵からの不意打ちを警戒し続けている。
兵士達への精神的負担は大きいものであった。
「あぁ、暇だなぁ。」
そんな状況でも831小隊に圧し掛かる重苦しい雰囲気に呑まれない者がいた。
小和泉だった。
「ねぇねぇ、鹿賀山。やっぱり偵察に行こうかい。その方が進軍速度も上がるよね。」
小和泉の提案に鹿賀山はため息をついた。
「駄目だ。作戦通り装甲車から出ない。不意討ちに備え、進めるところまで降車はしない。」
「う~。駄目かぁ。面白くないなぁ。」
という何度目かのやり取りが行われていた。
そんな小芝居は、唐突に終わりを迎えた。連絡通路の終端に到着したのだ。
この先にエレベーターホールが有る筈なのだが、地図とは違い、行き止まりとなっていた。
831小隊に立ちはだかったのは、連絡通路を完全に塞ぐ壁だった。
その壁は、脆いものであった。装甲車の体当たりで簡単に崩せるような代物であった。
「全車停車。」
鹿賀山は短く命令を出した。装甲車が速やかに停止すると静寂が占めた。
皆が装甲車の全方位モニターに表示される正面の壁を見つめていた。
壁は規則正しく、ある物が積み重ねられている。
それを積み重ねた者の悪意と残虐性を831小隊の兵士達の心に刻み込んだ。
嫌悪感と敵への憤りが、腹の奥底から沸々と湧き上がってきた。
小和泉も同じだった。珍しく冷静さを維持することに苦労した。
正面の壁は、頭蓋骨が積み重なったものだった。頭蓋骨一つ一つが丁寧に向きを揃えられ、空ろな眼窩がこちらを向いていた。
上下左右キッチリと正面を向く様に揃えられていた。まるで機械が並べたかの様に整然としていた。
不気味としか言えない。
頭蓋骨が通路を塞ぎ、こちらを空虚な眼窩が見つめていた。
「ひ~。嫌だ嫌だ。こんなのは人の死に方じゃない。もう逃げたい。」
小隊無線に井守の絶叫が走る。
「准尉、落ち着いて下さい。」
とオウジャ軍曹の声と同時に無線は切れた。恐らく部下が無線を切ったのだろう。今も装甲車内で井守は叫び続け、部下達が宥めていることだろう。
「これは、驚きましたね。どんな戦場でもこの様な構造物は見た事がありません。何者がどの様な考えで築いたのでしょうかね。ぜひ、鹿賀山大尉の見解を聞かせて頂きたいものです。」
身体に粘着するような声色が小隊無線に響いた。今まで沈黙をしていた蛇喰だった。
「今、答えられることは無い。蛇喰少尉に意見具申があるのであれば聞こう。」
鹿賀山は、すでに頭蓋骨の壁の衝撃から立ち直っていた。落ち着いた声で堂々と蛇喰へ返信をした。
「では、即時撤退を具申します。」
「理由を聞こうか。」
「銃を使う敵。千人以上を虐殺できる軍事力。骨を奇麗に並べる技術。そして実行する知能と奇行。明らかに敵は月人ではありませんね。
壁を突き崩すことは簡単です。しかし、これは敵によるこれ以上の立ち入りを許可しない明確な意思表示でしょう。この情報を持ち帰るだけでも、今回の偵察任務は果たしたと言えますね。」
「蛇喰少尉の意見は正しいのだろう。一言で表すならば、この壁は結界だな。この結界を越える者には容赦しないという意思表示だと私も思う。だが、これを月人がしたのか。」
「恐らく違うでしょう。」
「では何者だ。」
「それは調査しなければ判断がつきません。物証が何もありませんから。」
「せめて、敵が何者かの情報は欲しい。ゆえに831小隊は前進をする。反論はあるか。」
「了解しました。では、小隊長殿の判断に従い、もう少し情報を集めましょう。ですが、自分が撤退を進言したことは、お忘れなきように。」
「問題無い。自動記録されている。小隊、前進の準備を進めよ。」
「了解。」
そこで通信は切れた。
鹿賀山は右拳を左の掌に打ち付けた。
「撤退したいのは私も同じだ。こんな嫌な気持ちは初めてだ。」
胸の奥から沸々と溢れ出す嫌悪感。そして未知への相手に対する恐怖心。髑髏の壁を見せられて正気でいられる訳が無かった。
「まあまあ、落ち着いて。のんびり行こうよ。かなり色褪せた古い物だし、敵は絶滅しているかもしれないよ。」
小和泉が幼子を宥めるように優しく語り掛ける。
「だが、絶滅せず未知の敵が独自の生活をしているかもしれない。」
「そうだね。進まないと分からないんだよね。」
「そうだ。進むしかないのだ。この結界を越えて。」
鹿賀山はそう言うと拳を強く握り、髑髏の壁を睨みつけた。




