217.〇三〇六二〇偵察作戦 敵勢力の謎
二二〇三年六月二十日 一〇〇一 OSK下層部 旧大阪駅
831小隊は、西日本リニア 大阪駅 中央広場にて立ち往生を余儀なくされていた。
目の前に広がる状況に、脳の情報処理が追いつかなかったのだ。
床一面の人骨。どこを見ても人骨ばかりだ。それも人骨の上に人骨が重なり、さらにその上に人骨が重なり厚みを作り上げていた。積み重なる無数の人骨が視界一杯に広がっていた。
「床は全く見えないね。いったい、どれだけの人間がここで死んだのかな。
数百人では間に合わないし、数千人は確実に超えているね。」
小和泉は、淡々と目に見える事実だけを述べる。惨憺たる戦場に立ち続けてきた小和泉の心には何も影響を与えなかった。ただの事実として受け止めるだけであり、何の感慨も抱かなかった。
「この骨は全て人なのか。月人の可能性はないのか。」
鹿賀山は、冷静な声で小和泉の言葉に反応する。この様な光景が広がっているにもかかわらず、その声は落ち着き払っていた。だが、小和泉と違いそれは演技であった。
―指揮官として動揺しているところを部下に見せることはできない。落ち着け。落ち着け。声を震わすな。―
鹿賀山は声に出さず、落ち着けと何度も何度も激しく鼓動する胸の中で繰り返していた。
「人だけだね。月人の頭蓋骨は特徴的だからね。すぐに分かるよ。」
「飛び出した獣の口と頭頂部の耳部分の開口部のことだな。」
「うん、そうだよ。どう見てもそれらしい骨は無いよね。突き崩してみたら下から月人の物が出て来るかもね。」
「いや、止めておこう。そこまで調査する必要は無いだろう。」
「まぁ、僕もそう思うよ。それにこの骨は数十年経過しているよね。色も白くないし、茶色くなっている。あと、埃が大分溜まっているよ。」
「つまり、長期間、この区画に立ち行った者は居ないということになるか。」
「だと思うよ。逆にここは安全地帯と考えてもいいかもね。一度、皆を落ち着かせた方が良くないかい。ちょいと混乱しているよね。これから気が抜けない状況になるしさ。まぁ、休憩するには風光明媚とは言えないけどね。」
鹿賀山は深呼吸を一度した。予想していない光景に少し緊張しているのだろう。
―私が緊張しているのだ。他の者も衝撃を受けているだろう。小和泉は何も感じていない様だが。奴の進言を受け入れるべきか。―
数瞬、悩み、決断した。
「いいだろう。小和泉の進言を採用する。」
鹿賀山は小隊無線に切り替えた。
「告げる。全隊小休止。思うところもあるだろうが、気持ちを切り替えよ。ここは死地だ。浮つくな。冷静さを取り戻せ。以上。」
それだけを言うと鹿賀山は無線を切り、ヘルメットの前面を上に引き上げ、顔面を露出させ、大きく深呼吸をした。ヘルメットの狭い空間の空気を吸うよりも装甲車内の清浄化された空気を目一杯、肺に送り込みたかった。
少しでも動揺を早く確実に抑えたかった。
小和泉も同じ様にヘルメットの前面部を引き上げるが、こちらは落ち着いたものであった。深呼吸の必要は無かった。
単に飲み物が欲しいと思ったのだ。そして小和泉の希望通りとなった。
即座に装甲車の三列目左側に座る桔梗が四列目左側に座る小和泉へマグカップが差し出された。
中から白い湯気が立ち上る。中には琥珀色の飲み物で満たされていた。
小和泉の好物であるコーヒーである。小休止の命令と同時に保温水筒から桔梗が注いでくれたのだ。
「錬太郎様、どうぞ。」
「桔梗、ありがとう。」
小和泉がマグカップを受け取ると桔梗は鈴蘭やカゴにも擬似コーヒーを振る舞った。
8311分隊の方でも舞が桔梗の真似をするかのように、鹿賀山達に飲み物を配っていた。あちらは軍支給の栄養重視、味は二の次の栄養飲料ではあったが。
小和泉はマグカップに口をつけ、人心地付く。
それを見計らったように桔梗が話しかけてきた。先程までの鹿賀山と小和泉の会話に加わらなかったのは、分隊長同士の意見交換であると判断し控えていたのだ。
軍紀にゆるい第八大隊であるが、その辺りは皆が弁えていた。
小和泉に鍛えられた8312分隊には、この状況に怯む者は居なかった。皆、落ち着いた行動を取っていた。
「錬太郎様は、この状況に何か心当たりはあるのでしょうか。」
「無いよ。過去も含めて知らないなぁ。状況がわかりそうな物証は無いかな。鈴蘭は何か意見あるかい。」
沈黙を保つ鈴蘭へ意見を求めた。衛生兵である鈴蘭の視点から見れば、何か違う発見があるかもしれないと期待したのだ。
「銃撃が死因と予測。」
考え込んだ鈴蘭の答えに小和泉は少し驚いた。明確な死因が出てくるとは思わなかったのだ。
「僕の観察が足りなかったかな。どれどれ。」
小和泉は手元の情報端末を操作し、人骨を拡大表示させた。暗視カメラの画像の為、解像度は悪いが、幾つかの人骨を見ることで鈴蘭が言った事が理解できた。
「鈴蘭が正しい様だね。銃撃されているね。」
「錬太郎様。なぜ銃撃だとお分かりになるのですか。」
「人骨を確認するとね。どの人骨にも貫通銃創が残っているんだよ。」
「銃で撃ち抜かれたわけですか。では敵は。」
「人になるのかな。人と人が争った結果かな。でも、断定はしないよ。別の理由があるかもしれないしね。銃を使う月人も現れたしね。情報が圧倒的に足りないよ。」
脳裏に菜花の最期が浮かぶ。
「反撃はしなかったのでしょうか。」
「しなかったみたいだね。それともできなかったのかな。皆、同じ方向に倒れているし、背中から撃たれている様だよ。民間人かな。一生懸命、地下都市からリニアで逃げようとしたのかな。」
「では、敵は銃を持ち、数千人以上の人間を一方的に虐殺できる武力を持つという者であると判断してもよろしいでしょうか。」
「難しいところだよね。当時は、の限定付きかな。数十年前の出来事だから、今も存在しているとは断言できないよね。どうしたものかな。ブラリと散歩してこようか。」
小和泉がマグカップを手の中で廻し乍ら、ポツリと呟いた言葉に過剰反応する者が居た。
「錬太郎。何を考えているの。ブラリと出かける。許可する訳ないじゃないの。絶対に駄目よ。」
装甲車の最前列に座っていた東條寺が立ち上がり、最後尾の小和泉を力強く指差す。
「え~。装甲車で走ったら人骨を押し潰す音が響き渡るよ。僕なら静かに移動して偵察できるよ。」
「駄目ったら駄目。装甲車にいたら銃撃からも不意討ちからも安全でしょう。わざわざ自分から死地に踏み込まないで。」
「錬太郎様。私も×です。単独行動は危険過ぎます。状況は何一つ判明しておりません。」
桔梗の東條寺への援護が入る。
「OSKの内部不明。緊急時の救援にも行けない。あと、地上戦力も当てにできない。」
そして、鈴蘭が釘を刺す。
「というわけだ、小和泉。単独行動は許可しない。敵勢力に謎が多すぎる。可能な限り、装甲車での移動を行う。」
ここで鹿賀山が命令により止めを刺した。小和泉の思いつきは、実行できなくなった。
「はぁ、わかったよ。大人しくしておくね。」
小和泉は、ため息をつきつつ、肩を落とす。折角の九久多知の実力を試す機会であったが、皆に反対されては実行できない。狂犬と呼ばれる小和泉だが、理性が無い訳では無い。出された命令には従う。やはり、軍人なのだ。
「鹿賀山小隊長。中央改札口を通ってOSK内部へ装甲車のまま侵出できそうです。」
小休止の間に、情報端末に集められた情報を解析していた舞が、鹿賀山へ報告を上げた。
同時に戦術モニターに地図と侵出ルート案が表示される。
幾つか分岐があったが、装甲車が通行できる広い通路は限られていた。必然的に表示されているルートを選ぶしかない様だ。
「東條寺少尉、意見を述べよ。」
「はい、今回の任務はOSKの状況さえ分かれば良いと判断します。無駄な戦闘を避け、被害を出さぬため、装甲車から降りることは絶対に避けるべきです。
それを前提にすると、この案は最適解だと考えます。」
「小和泉大尉の意見はどうか。」
「いいと思うよ。今回の作戦に僕の出番は無いみたいだし。」
小和泉の声にすこしふて腐れた様な感情が滲む。お楽しみを取り上げられて悔しいのだ。
「では、この案に従い侵出する。各隊へ情報を送れ。」
「了解。送信完了。」
舞の返事を確認し、鹿賀山は小隊無線へ接続した。
「各隊に告げる。小休止終了。今、送った情報通りに侵出する。なお、装甲車の走行に伴い、人骨を粉砕する音が発生する。哨戒は厳にせよ。では、出発。」
「8312了解。」
「8313了解。」
「8314了解。」
三台の装甲車は、陶器を割る様な音を中央広場に反響させながら、動き出した。
徐行速度であっても、幾重にも重なった人骨の上に装甲車の重量が圧し掛かると、大きな音を立てて粉砕された。
人骨の海を装甲車は破砕音と共に進んで行く。
後部カメラが人骨に装甲車の轍が刻まれていくのが映る。
だが、誰も人骨を踏みにじる背徳感や冒涜感など一切感じない。戦友の遺体や月人の死体を直接踏み付け、時には遺体を積み上げて盾にしたこともあるのだ。今さら人骨を踏み壊す事に嫌悪や忌避を催す精神構造を持つ様な人間は、日本軍には存在しない。
ただの砂礫や瓦礫と変わらないのだ。それは戦争が歪ませていった現在の人類の人間性であった。




