216.〇三〇六二〇偵察作戦 そこに広がるものは
二二〇三年六月二十日 〇九三二 長蛇トンネル下流三十五キロ地点
戦闘予報。
OSK偵察任務です。地下都市内の状況は不明です。生還を第一として下さい。
死傷確率は30%です。
小和泉達は、新たな任務に就いていた。
日本軍の悲願であるOSKへの偵察任務である。
この作戦に参加しているのは、第八大隊であった。地上から第一、第二中隊が進攻し、地下の長蛇トンネルこと旧西日本リニアの本線を進むのは831小隊だった。
暗闇が満たす長蛇トンネルの水路を航行できる部隊が、831小隊が保有する浮航式装輪装甲車に限定されるため、今回の任務は第八大隊に命ぜられた。また、あくまでも偵察任務であり、少数精鋭が良いということも勘案されたのであろう。
831小隊の装甲車は、長蛇トンネルの水路を縦列にて進んでいた。
「東條寺少尉、現状を報告せよ。」
装甲車の二列目左側に座る鹿賀山が助手席の東條寺へ声をかけた。
「まもなく、西日本リニアの大阪駅に到着する予定です。旧時代の資料によると島式ホーム二面四線の構造になっている様です。このホームより上陸し、地下都市内への侵入を試みます。恐らくここより月人と遭遇する可能性があるでしょう。」
「では、作戦通り、機銃は舞曹長、鈴蘭上等兵、カゴ二等兵に任せる。命令あるまで発砲は許可しない。小和泉大尉、東條寺少尉および桔梗准尉は周辺警戒を厳にせよ。」
『了解。』
「愛兵長、装甲車の具合はどうか。」
機械のような正確さで装甲車を操縦する愛へ鹿賀山は声をかける。
先日の激しい横揺れは落ち着き、乗り心地は格段に上昇していた。
「整流溝の効果は大です。直進性、安定性ともに向上。操作性良好です。問題ありません。」
小和泉の目から見ても、最小限の動きで装甲車を操作しているにもかかわらず、前回と比べ驚く程、揺れが少なく安定していた。
一号車の後につく8313分隊の二号車と8314分隊の三号車は。やや蛇行気味に走り、横揺れを起こしていた。
「そうか。だが、後続は問題があるのではないか。」
「恐らく慣れの問題だと思われます。装甲車に不具合はありません。」
「つまり技量不足か。習熟訓練で浮航訓練の時間を大きく取るべきだったか。」
「それはあまり意味無いと思うよ。」
「なぜだ小和泉。」
今まで沈黙していた小和泉が話に加わる。
「今回の作戦では、長蛇トンネルを往復するだけだし、もしかしたら帰路は地上走行かも知れないよ。だとしたら、もう浮航も終わるのじゃないのかな。」
「なるほど。今回の作戦では浮航の習熟度は問題にならない訳か。」
「そういうことになるのかな。」
「理解した。東條寺少尉、地上の隊の状況は分かるか。」
「思っていた通り、通信不能です。問題がなければ地上からOSKから十キロ地点にて待機、掩蔽している筈です。」
「やはり無線は無理か。地上の援護や陽動は期待できそうにないか。」
鹿賀山はヘルメットの顎部分に指をかけ、少しだけ考え込んだ。時間にすれば数秒のことだった。
「全車に告ぐ。これよりOSK上陸を遂行する。地上戦力は無い物と思え。灯火管制開始。暗く静かに侵入せよ。」
「8313了解。」
「8314了解。」
返事と共に装甲車の前照灯及び車幅灯などの明かりが全て消される。長蛇トンネルは本来の暗闇に戻り、装甲車の全周モニターは解像度が落ちる暗視カメラの画像に切り替わった。
車内の照明も完全に落とされ、小和泉も九久多知のモニターを暗視カメラの画像に切り替えた。時折モニターにノイズが混じるが、視野の確保には問題無かった。
長蛇トンネルの正体が判明した事により、地下都市OSKの位置が特定されたのだ。
数十年ぶりに別の人類に再会するのか、それとも月人が溢れかえっているのか、誰にも分からない。
それを知る為に小和泉達は地下からOSKへの侵入を試みるのであった。
搭乗前に九久多知を装備しヘルメットも被っている。他の者も荒野迷彩の制式複合装甲に身を包んでいる。
ここは既に最前線なのだ。月人の襲撃がいつ有ってもおかしくない。臨戦態勢は万全であった。
二二〇三年六月二十日 〇九五五 西日本リニア 大阪駅
狭い長蛇トンネルは、漏斗の様に広がっていった。もう一本並行していたトンネルも合流し、更に幅が広くなった。広くなったトンネルの先には灰色のコンクリート製の島が二つ見えた。
駅と呼ばれる建築物のホームと呼ばれる構造物だった。KYTには駅の痕跡は側道という形でホームが残っていたが、OSKでは島として残っていた。
「どうだ、島に装甲車のままで登れそうか。」
鹿賀山が運転手である愛に問うた。
「島の先端に柵がありますが、装甲車で押し倒せます。問題ありません。」
島の先端はスロープ状になっており、水に洗われていた。スロープを登った先には、転落防止用の柵が設置されていた。人を支えるには十分な強度ではあるが、装甲車の障害となる様な物ではなかった。
「周辺哨戒を厳にせよ。熱源探査と光学探査を入念に行え。可能であれば聴音探査も行え。」
鹿賀山は、小隊無線で皆に指示を出した。
『了解。』
熱源探査は問題無い。大量の低温の水のため気温は低く、月人の体温は明確に検知できるはずだった。
光学探査は、人間の目で探すため、確実性は落ちるが熱源探査の見落とし及び再確認に必須である。
ただ、聴音探査は恐らく有効では無いだろう。水流の音。スロープを洗う波の音。装甲車へ叩きつけられる波の音。そして、その全ての音がトンネルに反響している。
この状態で月人の足音や呼吸音を聞きわけることは、ほぼ不可能に近い。だが、月人の唸り声や雄叫びであれば、聞き取れるかもしれない。
ほんの少しの可能性も鹿賀山は無駄にしたくなかった。小隊の死傷確率を下げる為だ。死傷確率30%は大きすぎる。
「突入。」
鹿賀山の命令と同時に、装甲車は闇の中を慎重にスロープへと近づき始めた。
前輪がスロープに着地する衝撃が静かに伝わる。
ついに地下都市OSKへ足を踏み入れた瞬間であった。
転落防止柵を装甲車の質量で押し倒し、何事もなくホームに上がった。
暗視カメラが映し出す光景は、殺風景なものであった。
ホームの上には、何も無く打ちっ放しのコンクリートの床が広がるだけであった。ホームの上にあるべき設備は水に洗い流されてしまったのだろう。
前方には、上層へと続く大階段があった。西日本リニアが通常運行している頃には、このホームや階段に人が溢れかえっていたのだろう。
だが、今は無人だ。ホームを洗う水だけが響き、ホーム上には何も無い寂しい光景が広がっている。
「状況報告。」
「8311異常無し。」
「8312異常無し。」
「8313異常無し。」
「8314異常無し。」
鹿賀山の命令に対し、各隊より即座に報告が入り、小隊無線は沈黙した。
短く浅い呼吸。
ゆっくりとした深呼吸。
様々な呼吸音が小隊無線を占めていた。
皆が多かれ少なかれ緊張をしていた。初めての地下都市OSKへの潜入。
敵の攻撃が何時あるのか。
どれだけの敵が潜んでいるのか。
それとも敵はいないのか。
もしかすると人類が生存しているのか。
月人ではなく、人類の支配領域なのか。
何も分からないのだ。人間は分からないことに不安を感じる生き物なのだ。
そして、動いている物に即時発砲はできない。まず、敵味方を識別しなければならない。
敵味方識別後の攻撃は、こちらが後手に回る可能性が高かった。ゆえに未確認物体に対し、発見される訳にはいかない。先手を取ることは非常に難しいことも、831小隊の兵士の不安を煽る材料の一つであった。
「ホーム上は、増水などにより洗い流されたと判断する。これより階段を上がる。装甲車のまま上れるだろう。障害物に乗り上げ、立ち往生するような無様はさらす事は無いと信じている。では、慎重に進め。」
鹿賀山の言葉通り、装甲車は階段を慎重に登り始めた。階段中央の邪魔な手すりは装甲車の圧倒的重量で押し倒し、段差を登っていく。
一段一段登るごとに装甲車は前後左右上下に揺れる。だが、荒野を高速で飛ばすほどの振動では無い。落ち着いて周囲を警戒する余裕はあった。
照明の無い中、831小隊は階段を登り切り大広間へと出た。
時が止まっていた。ここは最後の営業当時のままであった。ここまで水が上がってきたことは無い様であった。小売店が立ち並び、その奥に改札口が見えた。その先にOSKの本体へと繋がっている筈だ。
しかし、831小隊の進軍はピタリと止まってしまった。
「何だ。これは。」
「嘘だろ。」
「有り得ねえ。」
小隊無線に兵士達の独り言が溢れる出す。
「全周警戒を厳に。」
鹿賀山は即座に無駄口を打ち切らせ、敵の襲撃に備えさせる。
小和泉達の目の前に広がっているものは、全く想像していないものであった。
元は白かったのだろうが、長年の時間によりそれは茶色く変色していた。
小和泉達が見た物は、床一面に積もる人間の骨、骨、骨だった。
完全に風化し、白骨化している。幾重にも重なり合い、骨は絡まり合っていた。
大方の白骨は原型を留めていたが、上半身と下半身に分断されたものや頭蓋骨を叩き潰されたもの、肋骨が原形をなくすほど殴打されたもの等、様々な人骨が横たわり、広がっていたのであった。
「何があった。」
誰かが呟く。それは皆が思うことであった。




