214.黒体
二二〇三年六月七日 一五二〇 KYT 表層 戦闘装備車庫
小和泉は独り、少し離れたところから、桔梗達と整備小隊が開発部員と活発な意見交換しているのを眺めていた。
―面倒事は、桔梗と鈴蘭に任せるのが一番だよね。真面目だし、説明書は完璧に記憶しているし、僕が口を出すより安心できるよね。
どうせ、この引き渡し式での確認と変更事項を反映させた取扱説明書が後日送ってくるし、それを見ればいいよね。
というか、後で奏に書類にまとめてもらったらいいよね。―
と早速、仕事をさぼっていた。そこへ別木が近づいた。スキンヘッドの二人が並ぶと照明が頭部に反射し、遠くから目立っているのだが、二人には自覚が無い。小和泉がサボっているのが、周囲に丸わかりであった。
「うんうん。小和泉大尉は装甲車には興味が無いようだね。」
「ええまぁ。部下が優秀ですから、口を出す必要が無いと言えば良いでしょうか。」
「では、九久多知のお披露目をしようかね。気になっているだろうしね。うんうん。」
「それを言うならば、別木室長もお披露目したくてうずうずしているのでは。」
「うんうん。そうなのだよ。早く公開したいのだよ。」
「では、お披露目をお願いします。」
小和泉と別木の二人は、白い布が掛けられた箱の前に立った。この中に相棒である九久多知が入っている。
「うんうん。これを渡しておこうね。」
と言って別木が小和泉へ渡したのは、懐中電灯であった。
―何を考えているのかな。とりあえず受けとるしかないよね。散々テストしてきたし、僕にはワクワク感が無いんだよね。気になるのは塗装色かな。いったい、何色に塗られたことやら。昔の記録映像にあった金色とかあのトリコロールカラーだけは、勘弁して欲しいな。戦場で目立って仕方ないよね。赤は、意外と闇に溶け込むけど明るい所では目立つから、これも除外して欲しいな。―
多智の含みを持たせた態度を思い出しつつ、小和泉は懐中電灯を軽く調べる。どこにでもありそうな家庭用の懐中電灯だった。特殊な仕掛けもなく、明かりが点くだけだった。
別木は正面の布を捲り、箱を開けた。箱の中は暗く、中を見通すことが出来なかった。
「うんうん。明かりを照らして見てみようか。」
別木に言われるまま、小和泉は懐中電灯にて箱の中を照らす。だが、暗闇のままであり、光は何も映し出さなかった。
「あのう、中身入っていますか。何も無い様ですが。」
「うんうん。完璧だ。」
別木は、満足げな笑みを浮かべる。その笑みから小和泉は不自然さを感じた。
―いや、おかしい。照明を当てているならば、箱の中が空であっても、壁を照らし、光の丸い形が映るよね。それが映らない。ということは、何か仕掛けがあるということかな。―
「うんうん。どうやら大尉は気がついた様だね。では、全容をお見せしよう。」
別木は、白い布と箱を完全に取り去った。
そこには、真闇色の塊が有った。立体感が全く無く、完全な平面にしか見えない。
一方で輪郭はハッキリしていた。間違いなく複合装甲の形をしている。リハビリで見慣れた九久多知の輪郭だ。
だが、そこに有る筈の装甲の複雑な凹凸が全く見えない。ただただ黒い。ひたすら黒い。
小和泉は、懐中電灯の光を当てるが黒いままだ。光すら映さない。
まるで虚空に黒い穴が開いている様で、視覚が狂ってしまった様だ。見つめる程、空間認識が狂い、脳の悲鳴が聞こえそうだ。
「どうだい。この新迷彩は。気に入ってくれたかな。うんうん。」
小和泉の困り顔を見た別木は、さらに喜びの表情を溢れ出させる。
「これは、一体。その、あれ、ですか。光を反射しないという物質ですか。」
小和泉の頭脳が、記憶の奥底から絞り出した答えだった。
「素晴らしい。大正解だよ。そう黒体だよ。うんうん。超微細多層円筒形炭素を九久多知に塗布し、光吸収率を99.9999%に高めた物だよ。大尉には最も相応しい塗装だと僕は思うね。うんうん。」
「これは光の無い所では完璧ですが、光が有る場所では逆に目立つのではありませんか。今の様に。」
「そうとも言うね。しかし、大尉が戦う戦場を考えてみたまえ。厚い曇天に覆われた昏い地表。その地表に掘られた暗い塹壕。明かりが無い地中の洞穴や廃墟の中。戦場は、光源の無い世界だね。そして光源があれば必ず影が有る。あとは使い方次第だよね。うんうん。」
「つまり、闇や影に潜めば良いということですか。」
「うんうん。大尉の戦い方に向いていると思うのだよ。月人は夜目が効くとはいえ、光を反射しない物を見ることは出来ないのだよ。うんうん。」
「わかりました。幾度か使用してから評価をしたいと思います。」
「説明書にも書いておいたが、絶縁性は皆無だから気をつけるようにね。うんうん。」
「は。感電するのですか。」
「黒体は伝導効率が良いからね。感電死しないように注意するんだよ。」
「了解しました。十分注意します。」
「うんうん。じゃあ、僕は整備小隊に引き継ぎをしてくるよ。」
別木はそう言うと小和泉から離れていった。
―はぁ、見えない代わりに感電するのか。装甲車の電撃攻撃に耐えられるのかな。中に居れば大丈夫なのは分かるけど、外に居る時は電撃中の装甲車に近付くと危険な訳だよね。やれやれだよ。―
小和泉と別木が話を交わしている間に、九久多知の周りには人垣が出来ていた。装甲車の引き渡しが完了した手の空いた者から九久多知へと集まって来た。
皆、黒体塗装された複合装甲に驚きを隠せずにいた。静かに九久多知を見つめる。
しかし、いくら瞳を凝らしても輪郭しか認識できず、詳細な形状を目に捉えることはできなかった。立体と立体を掛け合わせれば、陰影が生み出され立体視されるはずなのだが、空間に複合装甲の輪郭をした平面、二次元の黒い穴が開いていた。虚無を実体化すれば、この様なマイナス空間になるのだろうか。
「小和泉、これがお前の複合装甲なのか。」
鹿賀山が小和泉の右肩に左手に置き語りかける。
「そうだよ。名は九久多知。僕だけの相棒だよ。」
背後から小和泉のスキンヘッドを鷲掴みする者がいた。
「よう、狂犬。面白れえオモチャじゃねえか。はしゃぎ過ぎるんじゃねえぞ。」
菱村だった。力一杯、小和泉の頭を撫でまわす。余程触り心地が良いのだろうか。
「そうですね。それは、難しいかもしれませんね。」
小和泉の言葉に鹿賀山の手に力が入る。小和泉の右肩を握り潰す勢いだった。
「これからは一緒の装甲車に乗るんだ。頼むから勝手な真似はしないでくれ。」
さすがの小和泉も、骨が繋がっていない状態ではかなり痛い。
「わかったから、手を離そうね。骨折してるから。折れてるから。痛いんだよ。」
「そうだったな。済まない。だが、独断専行は止めてくれ。私の胃が痛くなるんだ。」
鹿賀山が力を抜いた瞬間、小和泉の背中に強烈な一撃が入る。
菱村の大きな掌が小和泉の背中を強く叩いたのだ。肋骨の軋む音が小和泉の耳に届くと同時に全身の骨折箇所から激痛が発せられる。
「くはっ。痛ぅ。」
普段、苦痛を口に出さない小和泉の口から声が漏れた。
「おいおい狂犬のぉ。装甲見てたら、目がおかしくなってきたぞ。焦点が定まりやがらねぇ。で、あのヘンテコ塗装は、どう使うつもりでえ。先に聞かせろや。」
菱村の問いに軽く咳き込みながら小和泉は答えた。
「おやっさん。自分は希望していませんよ。開発部が決めた色です。
そうですね。闇に紛れた偵察か不意討ちでしょうか。あとは臨機応変に考えます。」
「つまらん答えだのう。狂犬ならば、もっと面白い答えを期待していたんだが。
まぁ、使ってもいない物に評価はできんか。
おい鹿賀山のう。」
「はい、大隊長。」
「狂犬の好きな様にやらせてみたらどうだ。」
「本気ですか。」
「おう。本気だ。明日から習熟訓練だ。どうせ暴走されるなら訓練の内に爆発させてしまえ。」
「それもありですか。特性の把握と小和泉の趣味を満足させておき、本番では大人しくさせる。了解しました。」
「良かったのう。狂犬。明日は俺が目一杯遊ばせてやる。第一中隊に月人役をやらせてやるからのう。せえぜえ、死ぬなよ。」
「おやっさん。自分は骨折している重傷人なのですが。」
「はぁ。知らねえよ。狂犬は、戦闘狂なんだろう。白兵戦してれば治るって聞いたぞ。」
「あのう、誰からその様な事を聞いたのでしょうか。」
「奏だ。亜沙美姉様とやらが俺にそう伝言してくれって。」
「姉弟子。次に会った時、殺す。絶対に殺す。息の根を止める。」
「あぁ。娘の言うことが嘘だと言うのか。小和泉。」
「いえ、奏の言うことは事実です。姉弟子の言葉が事実でないと。」
「まあいい。九久多知を使いこなせよ。期待している。」
「了解。使いこなします。」
小和泉が敬礼をすると気の抜けた答礼をし、菱村は副長を連れ車庫を出ていった。




