213.新装備受領
二二〇三年六月七日 一四五一 KYT 表層 戦闘装備車庫
天井が高く広大な戦闘装備車庫には、数十両の装甲車や輸送車が整然と並んでいた。四か月前の防衛戦でここに数万匹の月人を閉じ込め、死屍累々を築き上げたのだが、それを思い出させるようなものは、何一つ残っていなかった。血や脂の汚れは綺麗に洗い流され、整備用の塗料と油の匂いがかすかに漂っていた。
そんな因縁のある戦闘装備車庫に小和泉達はこれから行われる式典に駆り出されていた。
リハビリを終えた小和泉の竿は、約束通り治療され無事に接続された。焼け爛れた皮膚は人工皮膚に置き換えられた。
しかし、完全に癒着するまで排尿以外の使用は禁じられ、恋人達との濃密な時間は未だに過ごせていなかった。多智に信用されていないらしく、包帯ではなく、ガラス繊維製ギプスが竿に薄く巻かれていた。
簡単に割ることが出来るのだが、多智との約束を破る事にもなる。約束を破れば、もがれる可能性が高い。ゆえに小和泉は、我慢を続けていた。今晩の診察結果で日常に戻れるはずだ。
「ねえ、桔梗。ちょっとだけで良いから、スッキリさせて欲しいな。だから、ね。」
「×です。もげても薫子様は繋いで下さいませんよ。今晩の診察結果を確認して下さい。」
「そっか。だよね。でも我慢の限界だよ。この歳で朝にパンツを洗う羽目になるなんて、もう嫌だよ。」
「洗濯しているのは私です。錬太郎様はシャワーを浴びられているだけです。」
「だからさ、その手間が省けると思うんだよね。」
「後、数時間の我慢です。その、最初は、私を選んで下さいますか。」
「そうだね。早い者勝ちだと不公平だよね。話し合いは、死人が出そうだし、くじ引きが公平かな。」
「くじ引きですか。そうですか。順番はそれでも構いませんが、今晩は覚悟して下さい。眠ることはできないと思って下さい。全員の相手をして頂きましょう。」
「おいおい。僕を殺す気かい。それこそ、もげちゃいそうだよ。」
と車庫の隅で小和泉と桔梗が身を寄せ合い、小さな声で話し合っていた。
そこへ小和泉の背後に忍び寄る女の気配を感じた。流れる様な動作で女の右手首を掴み、女を小和泉の社交ダンスの様に腕の中に巻き込み、やさしく羽交い絞めにした。小和泉の顔の前に整った女の顔が最接近する。ほのかに柑橘系の香りが女の口から香った。
「錬太郎、離してよ。新装備の受領に来たのでしょう。いちゃついているから注意しに来たの。」
背後から忍び寄ったのは、東條寺であった。
「離さないよ。奏も人肌が恋しいのかな。それとも口づけが欲しいのかな。」
「そ、そんなこと言っていないでしょ。早く、皆の処に戻りなさいよ。」
「でも、奏の可愛い口から良い香りがするね。何かを期待しているのじゃないかな。」
「ここじゃ嫌。あ、違う。そうじゃないの。そうだけど、違う。じゃなくて、違わない。もう、そうじゃない。いいから、戻りなさい。」
東條寺は、小和泉の挑発に簡単にのり、頬を赤く染め四肢を暴れさせる。だが、小和泉にしっかりと抱きしめられているため、身体を離すことに失敗した。この隙に小和泉は東條寺の柔らかさと温もりを全身で堪能していた。
「やれやれ、意味不明だね。何を言いたいのかな。」
「そこ、ダメ。優しく。違う。もう、うるさい、うるさい。隊列に早く戻りなさい。」
「錬太郎様。注目を集めています。奏様をオモチャにするのは、夜でもよろしいのではないでしょうか。」
「ちょっと桔梗。そうじゃないでしょう。注意する点が違う。あっ。」
「やれやれ、興が削がれちゃったよ。仕事をしようか。」
そう言うと小和泉は東條寺を解放し、仕事が面倒だと首を左右に振りながら隊列へと向かった。
桔梗は、東條寺にウインクをし、小和泉の後をついていく。
頬を赤く染め、息を切らした東條寺だけがその場に残された。
「錬太郎のバカァ。」
二二〇三年六月七日 一五〇〇 KYT 表層 戦闘装備車庫
第八大隊の菱村大隊長と副長、第八大隊第三中隊第一小隊こと略称831小隊と整備小隊が車庫の中央に整列していた。皆、目の前に引かれた白い厚手のカーテンの向こう側を意識していた。
この場に集合したのは、831小隊へ新装備の引き渡しが行われる為だった。
あらかじめ聞かされているのは、831小隊が試験した浮航式装輪装甲車三両と小和泉専用の複合装甲『九久多知』の引き渡しの為だった。
装甲車三両は、今まで使用していた物を再整備されたものだ。内一両は、指揮車機能を強化し、最前線における情報処理を総司令部を経由せずその場で可能とした。また、広大な後部荷室を乗員席に換装して情報端末と椅子を設置し、二丁の車載機銃が屋根に増設されていた。
これは鹿賀山の8311分隊と小和泉の8312分隊が同乗する為に改良されたものだった。
浮航式装甲車となった為、総司令部は831小隊にケーブル施設業務は不要と判断し、その設備はすべて撤去された。
そして、小和泉が独断専行するのであれば、その性質を利用すれば良い。
小和泉が装甲車から降車している間は、8312分隊の装甲車は射撃戦能力が発揮できず、831小隊の戦闘能力が落ちる。ならば、8311分隊の装甲車に乗せてしまい、8312分隊が降車して偵察行動や白兵戦に臨むことが出来る様にすべきであろうと逆の発想に出たのであった。
もう一つは、鹿賀山と同乗していれば、小和泉の暴走を止めやすいであろうという思惑もあった。
これにより先の試験で喪失した装甲車を831小隊に工面する必要は無くなった。日本軍に装甲車を新造する余裕は無い。九久多知に人的、物質的資源を集中させる為でもあった。
先に配信された取扱説明書は情報端末に取り込まれており、全員が変更点や性能及び操作の理解は済ませている。
促成種は、額の端末に通信ケーブルを突き刺し、直接脳に書き込む為、一分もかからず浮航式装輪装甲車の性能を完全に熟知した。
自然種である小和泉達は、何度も説明書を読み込み、無理やり脳の記憶層に書き込ませた。記憶違いや抜けている部分もあるだろうが、あとは習うより慣れろしかない。
自然種が促成種にかなわない点は、肉体面だけでは無い。記憶力に関しても、脳に直接書き込める促成種にかなわなかった。
間違いがあれば、桔梗達が指摘をしてくれるという甘えがあったのも事実であった。
今回の引き渡し式は、初期不良や内外装の不備が無いかを確認するためであった。
引き渡し式と言っても挨拶や式典の様なものは一切無い。
開発部の立ち会いのもと、第八大隊の隊員が自身の命を預ける装備の不具合が無いかを確認するのだ。
その場で気になることや改善依頼があれば、開発部員と話し合い、今後の対応や対策が決められる。試験により不具合が発覚した部分の改良とその効果については、特に気になる部分であった。
目の前のカーテンが開かれ、装甲車三台の実物を小和泉達は目にした。
その端には白い布に覆われた直方体の固まりがあった。その形から箱の中に九久多知が納められている事が小和泉にはすぐに分かった。
他の兵士達も興味がある様で注目を集めていたが、白い布はまだ外されない様だ。その横には別木が晴れ晴れとした笑顔で立っていた。
余程、九久多知の出来に自信があるのだろう。九久多知への兵士達の反応が楽しみで仕方がなく浮かれている様だった。ちなみに多智は居ない。出来上がった物には、興味が無いのだろう。共同製作者であるにも関わらず、別木と多智では反応が大きく違った。
「菱村中佐。浮航式装輪装甲車の受領をお願い致します。」
開発部所属の士官が菱村に声をかけ、敬礼をした。
「第八大隊。受領する。」
菱村は答礼をし、部下に向き直った。
「てめら、しっかりと確認しとけ。気に入らねえことがあったら、目の前の開発部の奴らに納得するまで確認しやがれ。手を抜くなよ。何せ、命を預けるんだからな。」
普段の飄々とした雰囲気は無く、抜身の刀を感じさせる視線を小和泉達に浴びせた。
ここで手を抜き、戦場で部下を死に追いやる無能にはなりたくないのだ。
「了解。装備の確認を開始します。831小隊及び整備小隊は、担当する装甲車にかかれ。」
鹿賀山は菱村の命を受け、部下と整備員へ命令を下した。
『了解。』
全員が一斉に装甲車へと取り付く。足回りを確認する者。前面装甲を確認する者。早速内部に入り、情報処理系を確認する者。餌に群がる空腹の動物の様であった。
「底面の溝が浅い様だが、これで効果あるのか。」
「大丈夫です。その溝の深さが最も整流効果があり、浮航中の横揺れが軽減されます。」
「前面装甲の厚みが変更されていない様だが、説明書通り強度は上がっているのか。」
「複合セラミックスの素材を変更しております。耐衝撃に関しては三割増しを保証します。」
「この整備用扉は、開放時固定できないのか。肘が当たって整備しづらいぞ。」
「分かりました。油圧式蝶番に取り換えます。」
「おいおい、こんな力がかかる場所にネジを使うな。ボルトに替えろ。ネジ山がすぐに潰れるぞ。」
「申し訳ありません。六角ボルトに変更します。」
「ここの絶縁体の厚みは間違いないのか。説明書と食い違っているぞ。」
「昨日、新素材に入れ替えました。薄くなっていますが、絶縁率は上昇しています。説明書も改訂いたします。」
831小隊と整備小隊が、開発部員へ確認する声が四方から活発に上がる。
お互いが命懸けなのだ。活発になるのが当たり前であり、新装備を引渡しされる時の恒例行事であった。




