212.リハビリ完了
二二〇三年五月二十七日 一五〇三 KYT 深層部 日本軍開発部
小和泉は、実験室に設えられた擬似塹壕の中で模擬戦闘を行っていた。
塹壕の壁を蹴り、素早く仮想敵の的を銃剣で屠り、狂犬と呼ばれる動きを十二分に発揮していた。
九久多知は、今までの量産型の複合装甲と比べ、小和泉との親和性が非常に高く、技の発現速度、再現性、細かい動作の完全な追随性を見せた。
―これは凄いね。僕の思う通りに動く様になったよ。最初のあの遠隔操作時のぎこちなさは全く無いね。この短期間でここまで良く調整したよね。―
と、小和泉は心の中で多智と別木に称賛を送っていた。言葉に出さないのは、実験動物扱いされていることへの反抗心が勝っていたからだった。軍務でなければ、逃げ出していただろう。
色々と思うことがある中、気になる事が一つだけあった。
時折、小和泉の意思に反し、九久多知が勝手に動作することがあった。
誤動作かと小和泉は思ったのだが、数瞬後には小和泉を護るための動作や先読みをした最適化された動きであると分かった。
どうやら、小和泉が見落とした脆い足場や敵の攻撃を躱し、反撃を行う為に最適な位置への誘導などをしてくれている様だった。
見落としが起きるのは、小和泉が高速化された九久多知の情報処理速度に追いついていない為だった。もう少し、九久多知と付き合えば表示速度と情報濃度に慣れ、見落すことは無くなるだろう。
これが、ヘルメットにカメラやセンサーが増設され、背部の瘤に情報処理機能が新設された効果なのだろう。
普通ならば、予測外の動きを複合装甲が行なえば、小和泉の動きの妨げにしかならない。
しかし、九久多知の動きは小和泉の動きを予測し、途中で他の動作を挟んでも小和泉の予定していた結果に繋がった。それも時間的及び力学的に辻褄を合わせてきたのだ。その為、小和泉に負荷がかかることなく、問題無く最適化した動きを続けることが何故か可能であった。
―う~ん。不思議な動きだな。どうして僕の動きを先読みできるのかな。この数日の動きを模倣していたから、それを読み込んでいるのかな。
多智や別木室長も何も言わないし、仕様なのだろうね。気が付かないわけないよね。
まぁ、邪魔にならない様だし、様子を見るしかないのかな。しいて言えば、二人で戦っている様な。背中を守ってもらっている様な。何とも不可思議な感覚だなぁ。このままでも良いかな。今は僕と九久多知の慣らしの時期なのかな。―
小和泉は、別木にこの仕組みを外す提案が浮かんだのだが、何故か憚られたのであった。
二二〇三年五月三十一日 一六四〇 KYT 深層部 日本軍開発部
習熟訓練を進めるにつれ、九久多知は、完全に小和泉の身体に馴染み、己の身体と一体化していた。
高速処理される情報処理も表示行数を増やすことにより、見落としが無くなった。その分、目障りであったが慣れてしまえば気にならなくなった。
ここまで小和泉との親和性が高いと制式複合装甲に戻ることは出来ない。今、制式複合装甲を装備しても重りにしか感じないだろう。今までの追随性が悪い制式複合装甲で月人と戦い続ける事が出来たものだと感心していた。
九久多知を知り、味わいつくした今、手放すことなどは考えられない。多智が専用機ではなく、相棒と呼んだ意味が本当に分かった。
―九久多知は、話したり感情を表したりはしないが、どことなく人間味があるよね。機械の様な無味乾燥な反応では無く、意思の疎通が出来ている様な気がするんだよね。機械と意思の疎通ができるなんて馬鹿馬鹿しいけど、そうとしか思えないよね。―。
小和泉の中で愛着というものが湧いていた。
道具に関しては、淡白な扱いしかしてこなかった。整備し正常に動作させる。壊れれば修理し、戦闘中の破損であれば、破棄し戦場に落ちている物で代用する。これが今までの小和泉の道具の扱い方だった。
だが、この九久多知だけは違った。己の考え通りに無理なく、滑らかに動き、さらに小和泉の考えを先読みする。
多智があれ程、捨てるな、壊すなと釘を刺したのも納得が出来る代物だった。
まさしく、かけがえのない相棒であった。
小和泉のリハビリと言う名の実験は、唐突に終わりを迎えた。
「うんうん。小和泉大尉。ついに九久多知は完成したよ。今日で実験は終了だ。よくやってくれたね。明日からは通常の軍務に戻る事になると思うよ。うんうん。」
別木の表情は晴れ晴れとしていた。自身の研究成果が実を結んだのだ。研究者として、これほど喜ばしい事は無いのだろう。
「ありがとうございます。ところで、軍務に復帰するにあたり、九久多知の扱いはどの様になるのでしょうか。やはり、実験機として検証作業に使われるのでしょうか。」
小和泉は九久多知と別れがたかった。このまま共に戦場を駆けたかった。
「うんうん。気になるよね。再整備をしたら大尉のもとに送るからね。何せ、これは大尉専用の複合装甲だよ。他の者は動かせないのだな。うんうん。」
初めて知らされた事実であった。
「他の者は動かせない。そんな馬鹿な。最適化すれば、動かせるのではないですか。それでは兵器として破綻しています。」
「汎用兵器としては、落第点をつけるべきものだね。うんうん。今だから言えるけれども、日本軍総司令部からの注文は、小和泉大尉の能力を完全に引き出す兵器を作れだったのだよ。うんうん。」
「総司令部がその様な命令を。私の為だけの兵器をですか。
なるほど、ゆえに汎用性は放棄したと言う事でしょうか。」
「理解が早くて助かるよ。複合装甲の電気信号や人工筋肉には、どうしても個人の癖がつくよね。ならば、最初から個人の癖に全てを合わせてしまえば、効率の良い動きが出来る複合装甲ができる筈なのだよ。そして実際にそうなった訳だね。うんうん。」
「となると、総司令部にこき使われる運命が待っている訳ですか。はぁ。」
「そこには、僕は感知していないよ。その権限も無いしね。うんうん。」
「私の中で理解しました。どうやら、総司令部は最前線に私を送り込む気満々なのでしょう。狂犬の名を最大限利用するつもりなのでしょうね。少しでも生存時間を伸ばし、敵の戦力を削るか、情報を集める気なのでしょう。」
「そう悲観しなくても良いよ。僕はね、小和泉大尉を生還させる為に専用の複合装甲が用意されたのだと思うよ。うんうん。」
「生還ですか。」
「もちろんだよ。この複合装甲にどれだけの資源と技術と労力が注ぎ込まれていると思うのかね。」
「私には分かりかねます。」
「そうだね。装甲車五台分は確実に超えたね。総司令部が、そんな高価な装備を使い捨てにすると思うかね。うんうん。」
「九久多知は、それ程のものなのですか。」
「だから安心してくれていいと思うよ。安心と言うのもおかしいね。命がかかっているのにね。まあ、ちゃんと後日、部隊に届けるからね。うんうん。」
「わかりました。」
―面倒な任務を任せられる様だけど、九久多知と離れずに済むようだね。良かったよ。
あれ、僕って道具に対して、離れるとか人みたいに接しているよね。おかしいな。―
小和泉の中で疑問が一つ湧いた。
「ちゃんと化粧をして、届けてやる。」
多智の言葉により、意識が別の方向に向いた。
「化粧って何。」
「九久多知の塗装だよ。無塗装のままでは、引き渡さん。塗装をしてから送る。楽しみにしておけ。」
「僕の希望は聞いてくれるのかい。」
「却下だ。」
「だと思ったよ。」
「やっぱり、荒野迷彩なのかい。」
「さてな。」
「はい、でも。いいえでも無し、か。はてさて、何色に塗られることやら。」
多智は沈黙を守る。これ以上、小和泉に明かすことは無いと言う意思表示に見えた。
「了解。楽しみにしておくよ。ところで、もう帰ってもいいのかな。」
「私は構わんぞ。あれを繋がなくても良いのならば。」
「それは困る。すぐに繋いでくれるかい。」
「約束だしな。仕方あるまい。では、軍立病院で待っていろ。今晩、繋いでやる。」
こうして小和泉のリハビリは完了した。




