211.相棒との邂逅
二二〇三年五月二十日 一五三九 KYT 深層部 日本軍開発部
リハビリと言う名の二社谷によるシゴキは苛烈であった。
二社谷の突きや蹴りは全力であり、小和泉は攻撃を捌くために先読みに全神経を集中させなければならなかった。
普段であれば、突きを受け、捌くことに支障はなかったはずだった。実力に大きな差は無い筈であった。
だが、今は思考と反射神経が連動しておらず、どうしても動作が遅れる。防御に回るばかりで攻撃を行う余裕は全く無かった。
「姉様。リハビリです。少し速度を落として下さい。それに色々と見えています。」
小和泉は、命の危険を感じ叫ぶ。そして最後の言葉で羞恥心を思い出させ、攻撃の手が弛まないかと期待したのだ。
しかし、二社谷の攻撃は、全て急所ばかりを的確に攻めてくる。
攻撃に遠慮が無いため、看護服の隙間やめくれ上がるスカートから様々な扇情的な物が見えていたが、二社谷は恥ずかしがる素振りを見せなかった。
「恥ずかしがるのは素人よ。それなら最初からズボンでも履けばいいのよ。」
妖艶な笑みを浮かべつつ遠慮なく小和泉を叩き潰そうとする。眼突き、金的は当たり前だった。その攻撃は嵐の様であった。
体の正面中央に走る正中線と呼ばれる生物学的な線が有る。その正中線上には、頭頂部、眉間、鼻、鼻の下、顎、喉仏、鎖骨と鎖骨の間、鳩尾、臍、金的と主な部位だけで十か所も急所がある。その急所を二社谷は、正拳突き、肘打ち、掌底、膝蹴りなどを組み合わせ次々と小和泉を打ちのめしていく。小和泉の払いや捌きなどの防御が遅れるのだ。小和泉が躱した先に拳が有り、受け流したはずの腕が蛇の様に捌きを抜ける。
肺を強打されて呼吸を止められ、鳩尾に正拳突きが埋まり吐き気を催し、体中の痛みにより意識が一時的に飛ぶ。
一撃を喰らう度に膝をつきそうになる。だが、膝をついた瞬間に致命的な攻撃を二社谷が仕掛けて来る事は、性格上間違いないことだった。ゆえに何があっても耐えなければならなかった。
二社谷が正中線上の急所だけを狙うのは、攻撃が読みやすく、避けるなり、受けるなりの防御がしやすい為である。いわゆる二社谷なりの手加減であり、優しさでもあった。
小和泉にしてみれば、そんな優しさより虐め紛いの組手ではなく、怪我人に対する配慮を求めたい。
だが、その一撃一撃には殺意がしっかりと練り込まれていた。
「錬ちゃん、駄目よ。敵は怪我しているからって、遠慮はしないのよ。」
二社谷の正論に小和泉は黙らされる。
―怪我をしたから、月人が見逃してくる。そんな事実は有り得ないよね。ここぞと攻めてくる。今みたいにね。でも、痛いんだよね。―
改めて、小和泉は気を引き締める。泣きごとは無しだ。全力で迎え撃たねばならない。時折、二社谷のあられもない姿に気が散りそうになる。
「亜沙美さん、壊しても治しますから問題ありません。もっと追い込んで下さい。」
淡々と実現可能な事実を述べ、相変わらず実験動物の様に見つめる多智。小和泉の心を見透かしている様だ。
「流石、薫子ちゃん。よく、わかってるぅ。」
その言葉に狂喜し、更なる悪巧みを考えている様な表情を浮かべる二社谷。
「待って。痛いんだよ。治療して元に戻るとしても痛いんだよ。オモチャじゃないよ。怪我人だよ。やさしくして。」
ついに本音を叫ぶ小和泉。
「うんうん。いいよ。素晴らしい数値だ。二社谷嬢、もっともっと本気を見せてくれたまえ。うんとうんと大尉を追い詰めてくれ。」
大型情報端末に表示される数値に興奮し、さらに二社谷を煽る別木。
四者四様の思惑が研究室に渦巻いていた。
小和泉は、暴力と言う嵐に一人で立ち向かわなければならなかった。
二二〇三年五月二十四日 〇九〇五 KYT 深層部 日本軍開発部
連日のリハビリと言う名の嵐に耐えた小和泉は、己の身体の完成度の高さに驚いていた。
―たった四日で元の調子に戻るとは思っていなかったぁ。思い返せば、鼻の骨を最初に折られ、肋骨、鎖骨と順番に折られたな。流石に眼球と金的だけは死守したけど、危なかったなぁ。―
としみじみと思い返していた。
ここまで小和泉が落ち着いているのは、二社谷が今日から来られないからだ。
さすがに仕事を溜め過ぎた為、道場に呼び戻されてしまったそうだ。
―道場経営は、順調なのかな。師範達だけでは上手く回らなかったのかな。―
二社谷は、非常に残念そうにしていたが、小和泉にとっては有難い話であった。
無論表情には出さない。嬉しそうな素振りを見せた瞬間に二社谷流の手加減を忘れた鉄拳が容赦なく小和泉を襲うことは間違いないからだ。何とか、昨晩、ごねる二社谷の機嫌を損ねることなく、無事に道場へ帰せたのは奇跡だったのかもしれない。
―はあぁ。毎晩、多智が治療してくれたから何とか生き残ることが出来たね。骨は完全に繋がっていないところもあるけど、痛みを無視すれば問題無く動ける。
流石に姉弟子だよね。筋力が少ない状態である今の身体に合わせた動きの最適化をしてくれたよ。そこには感謝します。でも手段は酷いよ。僕の身体を壊し過ぎだよ。―
と思い返しつつ、今日のノルマを達成すべく、野戦服の上から関節部のプロテクターを巻こうとすると、それを制止する声がかかった。
「うんうん。小和泉大尉、今日からそれは要らないよ。違うことをしようね。うんうん。」
この研究室の主である別木であった。白衣のポケットに両手を入れたまま、何とも不気味な笑顔を浮かべている。スキンヘッドが照明に反射し、不気味さが倍増している。
ちなみに小和泉の頭髪は、まだ生えてくる気配は無い。多智曰く、人工皮膚が馴染んでいない為だそうだ。しばらく、このままだということだ。
―あの顔は間違いなく、悪巧みをしているよね。今度は何かな。何をさせられるのかな。あぁ、嫌だな。もう、皆の処に帰りたいよ。―
「多智君からリハビリは完了したとの報告があってね。次の段階に進もうと思うのだよ。うんうん。」
「次の段階とは何でしょうか。」
「もちろん、これだよ。」
別木が指差したのは、試作型複合装甲だった。普段と違うのは、天井から吊るされていた鉄骨から外され、床に置かれた骨組み状の複合装甲固定具に鎮座していた。試作型複合装甲は、乗員を迎え入れる為に前後に装甲が分かれていた。その周囲には、多智と別木の助手達が手ぐすね引いて待っていた。
この状況が示すのは、一つしかなかった。小和泉に試作型複合装甲を装備することを促しているのだ。恐らく、これも軍務なのだろう。小和泉には選択肢が無かった。装備するしかないのだ。
小和泉は手にしていたプロテクターを机に置くと促されるままに試作型複合装甲の中へと押し込まれた。複合装甲に横たわると前面装甲が閉まり、闇の中に閉じ込められた。
ただ、し尿パックの装着には電気的な痛みが伴った。
―多智さんやい。早く竿の治療をしておくれよ。この痛みは慣れないよ。―
質草は、未だに治療されないまま消毒だけで済まされていた。
試作型複合装甲は、サイズ調整の必要が全く無かった。きっちりと小和泉の体格に調整されていた。この機体に乗せられることは最初から決まっていたのだろう。恐らく採寸は、育成筒で眠っている間に隅々まで行われたのであろう。
小和泉の意志や要望は遥か彼方に捨てられ、試作型複合装甲の起動が開始される。
ヘルメットのバイザーに電源が入り、次の文字だけが表示される。いつもの戦術マップや武装表示などは何も表示されない。バイザーも透過されず、外の様子を窺うことは出来なかった。
『九久多知』第一版
最適化中
「何て読むのかな。きゅう、きゅう、た、ち。」
「違う。『くくたち』だ。小和泉の相棒だ。
大事に扱え。使い捨ての戦術は絶対に許さない。必ず、九久多知と共に戦場から帰還しろ。
九久多知を見捨てて帰還した場合、私がお前を殺す。」
厳しい口調で多智が説明する。どうやら無線は起動している様であった。
「この九久多知は、今までの複合装甲よりも装甲は薄くなっている。防御力は低下したが、軽量化と可動域の向上が成され、敏捷性、精密性、静寂性が上昇しているはずだ。つまりお前の本来の動きに追随できる計算だ。
背後の瘤には、情報処理の機能が詰まっている。ここが急所になる。瘤を囲む様に防御壁を設けているが、くれぐれも被弾に気をつけろ。地面に強打する程度は何も問題無い。それなりの装甲強度は用意したつもりだ。
なお、試作型ゆえに交換部品は無い。絶対に壊すな。使い方は今までの複合装甲と全く同じだ。繰り返すが、今までは消耗品であった筋肉や神経などにも交換部品は無い。設計上、十年以上はもつ筈だ。大事に大事に扱え。以上。」
明瞭簡潔な操作説明を受けるが、モニターは最適化中のままだった。
「壊すなって言うけど、まだ起動しないよ。これじゃ、僕が壊す前に敵に壊されるよ。実戦では使えないよね。」
「問題無い。今は、小和泉の身体情報を読み取っているだけだ。次回からは即時起動する。初回と大規模健診を実施した時のみに最適化が行なわれる仕様だ。」
「最適化と大規模健診ってなあに。聞いたことが無いのだけど。」
「相棒だからだ。この九久多知は他の者には使用できない。九久多知の全てが小和泉の為だけに存在する。この言い方は好きではないが、専用機だ。」
「相棒。専用機。日本軍らしくないね。誰でも同じ様に使えるのが日本軍の流儀だと思っていたよ。その方が生産や整備に負担がかからないからね。」
「その通りだが、今回は小和泉への褒美も兼ねている。相棒でなければならない。」
「褒美って。」
「総司令部に聞け。」
多智はそう言うと無線を切った。
―これ以上は、多智の口からは話せないということかな。軍事機密って奴かな。面倒事に巻き込まれちゃったなぁ。こんな大事の褒美をもらう様なことをしたかな。でも、褒美と言うより罰だよね。実験動物扱いだもんね。聞くのも面倒だし、もういいか。―
小和泉はため息を一つつくと、九久多知の中は静寂と闇が占めた。
小和泉の全身を包む様に微かな拍動を感じた様な気がした。
「九久多知。僕は小和泉錬太郎だ。君と相棒を組むそうだよ。これからよろしく。」
何となく、小和泉は話しかけてしまった。今まで色々な複合装甲を装備してきたが、人間に接するようなことはしたことがなかった。
確かに、この九久多知は今までの複合装甲とは何かが違う様だ。まだ起動もしていないのにだ。
何が違うのかと考えてみるが、言葉に表せなかった。
ただ、確かにこれは単なる装備品ではないし、専用機と言う言葉も相応しくないと感じられた。
多智が言う相棒と言葉には、しっくりきた。
「やれやれ、お互い大変なことに巻き込まれたかもね。」
小和泉の言葉に何も反応はない。最適化中の文字が規則的に瞬くだけだ。
しかし、何か話しかけた方が落ち着くのだった。
「僕は君に命を預けるよ。だから、君も僕に力を貸しておくれ。」
さらに強い拍動を感じた様な気がした。まるで九久多知が返事したかの様であった。




