21.鹿賀山と多智
二二〇一年十月十三日 一二一八 KYT 日本軍立病院
鹿賀山は小和泉を見舞う為に昼の休憩時間を利用し小和泉の病室にやって来た。
当の小和泉は、穏やかな寝顔を浮かべ眠りについている。
普段の小和泉であれば人の気配に敏感に気づき、寝覚めるか狸寝入りをするのだが今日は完全な睡眠状態に落ちている。
本当に眠っている事を脳波計が示している。
さすがの小和泉も脳波まで誤魔化すことは出来ない。
鹿賀山は来客用のパイプ椅子に座り、憂いを秘めた顔で小和泉の顔を見つめている。
その傍らには白衣に両手を突っ込んだ多智が佇んでいた。小和泉を医者として担当していた。
「薫子。小和泉は何時目覚めるのだ。」
「疲労が取れ次第だ。回復力は患者の体力に左右される。筋肉の疲労度はかなり回復しているが、精神的な疲労、つまりストレスからの解放には時間がかかるだろう。」
「本当に怪我は無いのか。戦闘映像を見たが、あの接近戦で怪我をしないはずはないだろう。それに地下深くから地上への長時間による戦闘も行っている。無傷とは信じられないのだが。」
「医者である私の検査に落ち度があると?」
「そういうことではない。小和泉の運動能力と強運に驚いているのだ。薫子の医者としての能力には信頼を置いている。」
「ふむ、そういうことか。正確には肋骨二本に亀裂骨折を確認しているが、固定や治療の必要は無い。自然治癒で四週間で完治だ。動く時、多少痛むだろうが、小和泉なら汗一つ掻かず涼しい顔でいるはずだ。ならば、無傷で良かろう。小和泉の性格上、二週間安静と言って大人しくしているはずがない。軍からの命令でも自主退院をしていくだろう。その様な些事に私の貴重な時間を割かれたくない。つまり、小和泉的には無傷と位置付けた。」
「怪我をしていたのか。だが、そうだな。薫子の言う通りだな。小和泉が大人しく入院するはずが無い。無傷と軍へ報告する方が正しい選択か。」
「すまんな。嘘の報告を上げて。確かに亀裂骨折だけで済んでいる事は、自然種にしては、複合装甲で敏捷性と防御力が底上げされているにしても驚くべき事実ではある。
だが、一言で三倍に増強されると言っても元の人間が握力十キロしかなければ、三十キロにしかならないが、七十キロあれば二百十キロになる。そういうことだ。」
「小和泉の地力が並を超えている訳か。奴を軍事教官に配置した方が軍の為になりそうだな。効果的な身体トレーニングを新兵に施してくれそうだ。」
「止めた方が良いな。女の訓練兵が片っ端から孕まされるぞ。」
「副官に桔梗達を置けば制止してくれるだろう。」
「鹿賀山は、桔梗達の事を理解していないのだな。彼女らは、小和泉の望むことは法に反しない限り、止めない。逆に手助けをする。彼女らにとって小和泉の意思が最優先事項だ。小和泉が望むことを率先して行う。」
「そうなのか。浮気に等しいだろう。嫉妬心は促成種でも持つはずだ。」
「彼女らの脳のデータを吸い出した結果だ。この診断に間違いはない。小和泉は上手く調教したものだな。そして鹿賀山もな。」
「待て。桔梗らが調教されているのは理解できるが、何故私の名前が出て来るのだ。」
「気づいていないのか。鹿賀山も小和泉に調教、いや洗脳されているぞ。」
「いや、そんな筈は無い。小和泉に同期ということで多少の便宜は図っているが、贔屓をしたことは無い。実際に今回の作戦でも私は小和泉を見捨てた。」
「見捨てた事実は認めるが、そこに辿り着くまでに小和泉の身をかなり案じたのではないか?部隊を全滅させてでも救助を出そうと考えたのではないか?葛藤に苦しんだのではないか?」
「確かにそれは認める。頭の片隅では考えていた。」
「いや、片隅では無い。天秤にかけた筈だ。それだけ、鹿賀山の中を小和泉が占めている。大きく占めている。他の士官の事をその間一度も考えなかっただろう。」
鹿賀山は、多智に指摘されて初めて気がつかされた。
作戦中、他の士官の事など二等兵と同列に考えていた。それは、日本軍参謀として正しい。切り捨てた事により戦果が上がるのであれば、大将であろうと囮にする。それは日本軍の軍事方針にも沿う。
それなのに小和泉の事を中心に考えていた。それも救援できる方法だ。全滅した中隊の救助に派兵することなど微塵も考えなかった。
確かにこれは洗脳だ。見事なまでに小和泉の命を優先する様に洗脳されている。今まで鹿賀山に自覚は無かった。
「薫子は凄いな。私よりも私の事を理解している。」
「当たり前だ。鹿賀山を愛して何年になると思うのだ。十年以上だぞ。その間、ずっと観察を続けてきたのだ。些細な変化もすぐ分かる。小和泉との仲も知っているぞ。」
「待て、何のことだ。何を言っているのだ。」
鹿賀山の顔が紅潮し、脂汗を額に垂らし始める。多智には一切の変化が無い。
「士官学校にて小和泉に衆道を仕込まれ、現在もその関係にあり。私への欲情の代替品にしている。これで間違いないと思うが、間違っていれば訂正しよう。」
多智の言葉に一切の間違いは無い。士官学校以来、定期的に小和泉と衆道を楽しんでいる事は事実だ。だが、この事実は小和泉と桔梗達しか知らない筈だった。他の者に他言したり、目撃された覚えはない。女の勘だろうか。
多智が桔梗達の記憶を解析していることを鹿賀山は思い出した。最初から隠し事はできなかったのだ。正直になるしかなかった。
「その通りだ。気持ち悪いか。嫌いになったか。」
「いや。衆道は、人類史ではありふれた話だ。それも東洋、西洋問わず、古代、近代にも当然の様に文献に記されている。何もおかしいことは無い。人類として衆道は普通の事なのだろう。ゆえに小和泉との関係は、私にとっては許容範囲だ。あの小和泉だぞ。予測されてしかるべきだ。ただ、女性との関係であれば、嫉妬をしたかもしれないだろう。」
「まいった。薫子は恐ろしく深い懐を持っているな。ますます惚れた。どうだ、そろそろ私と結婚しないか。結婚すれば、私の想いは全て薫子に向けることになる。」
「悪い話ではないが、まだ早いな。研究が面白くてな。」
「分かった。気長に待とう。しかし、戦況が許してくれぬかもしれない。」
「大敗北、そして鉄狼。泥沼の戦争に突入か。」
「そうだ。いつ戦死するか分からなくなった。戦闘予報の死傷確率が格段に上昇している。現状の哨戒任務ですら5%から30%に上昇している。」
「結婚する前に未亡人にしてくれるなよ。」
「当たり前だ。何があっても生還する。この小和泉の様に。」
二二〇一年十月二十日 一三五四 KYT 日本軍総司令部 小会議室
自宅療養を命じられていた小和泉と昨日まで育成筒に入っていた桔梗、菜花、鈴蘭、愛、舞の六人は、日本軍総司令部の小会議室に招集されていた。
小会議室は、広さが十五メートル四方、壁面が木目調のパネルが張られている。ドーナツ型の白い机が中央に鎮座し、周囲に十五脚の椅子がセットされていた。
床にはグレーのカーペットが敷かれ、靴の音を消していた。恐らく吸音材にもなっているのだろう。音が反響せず沈黙が空間を支配していた。
小和泉達は、机に載せられている名札の通りに着席し、招集した上官達を待っていた。
今回の招集メンバーから考え、前回の作戦と鉄狼に関する件であろう。帰還から二週間経っての招集は、ある程度報告書がまとまったということだ。
それを正式な物にする為、小和泉達に確認し裏付けをとるのであろうと考えていた。
数分後、扉が開いた。反射的に小和泉達は立ち上がり、敬礼の姿勢で上官達を迎える。
入室して来たのは、第一大隊隊長、111小隊隊長、鹿賀山大尉、東條寺少尉の小和泉達が見知った顔四人と司令部付の参謀三人だった。
大隊長が上座に座り、小和泉と対面する形になった。
「皆座ってよろしい。」
大隊長の言葉で、敬礼を解き着席するが、鹿賀山だけが立ったままだった。鹿賀山が今回の会議の進行役の様だ。司令部付の参謀達は、会議に不審な点が無いか、報告に偽りが無いかを監査する役目の様だった。
「では、会議は鹿賀山が進行させて頂きます。本日の議題は、〇一一〇〇六作戦の失策と新種の月人に関するものです。念の為、付け加えておきますが信賞必罰を決めたり、糾弾する会議ではありません。事実のみを確認致します。」
鹿賀山の信賞必罰の言葉に東條寺の身が一瞬竦む。その動きを見逃す者は誰もいなかった。
これで今回の作戦立案者が、小和泉達にも判明した。
―意外だよね。鹿賀山の副官がミスをするとは。鹿賀山はフォローをしなかったのかな。いや、今回は、鹿賀山の想定すら超えていたのだろうな。―
小和泉の思考は、平時のものに戻っていた。戦闘の疲労が完全に抜けた証拠だった。
この後、四時間かけ会議が行われた。
基本的には、まとめられた報告書の追認と補足が主だった。
小和泉達が経験した事を詳細にそして正確にまとめられていた。促成種の記憶やカメラ映像を解析したのであろう。
小和泉にとっての収穫は、作戦当時の司令部の動きが把握できたことくらいだった。
―始まりは、東條寺少尉か。さて、お仕置きはどの様なものにしようかな。まずは下調べだね。―
桔梗だけは、小和泉の顔が刹那、邪まな表情を浮かべたのを見逃さなかった。




