200.FKO実証試験 車両所
二二〇三年四月二十九日 〇二四五 KYT西三十六キロ地点
小和泉は、井守が叫んだリニアモーターカーという言葉に聞き覚えがあった。
記録映画の中で見た列車と呼ばれる物の一種だったはずだ。
その中でも特に高速走行に特化した列車であったことを思い出した。
「へ~、これが昔に日本全国を繋いでいたリニアなのだね。実物を目にするなんて思ってもみなかったよ。」
小和泉は物珍しそうに見つめるが、桔梗達はあまり興味が無いようだ。反応は無く、周辺警戒に集中している。
「はい。実物に間違いありません。ここはリニアの整備工場です。こんなにたくさんの車両が残っているなんて凄いな。」
代わりに無邪気にはしゃぐ井守の声が続いた。
「井守准尉。この場所を特定できるか。」
鹿賀山が窘めるように強く問う。ここで気を引き締めておかなくては、井守が調子に乗って浮かれていく様な気がしたのだ。
「はっ、はい。少佐殿。申し訳ありません。今は、場所の特定ができません。ですが、車両に書かれている銘板や整備書類に工場名が書かれている可能性はあります。」
浮かれ気分から現実へと井守は急激に引き戻された。
「なるほど。危険だが、降車して周辺を捜索する価値がありそうだな。この場所が特定できれば、今後の日本軍の展開に役立つかもしれんな。」
「確かに。鹿賀山少佐の言に一理あります。私は賛成致しますよ。」
意外にも蛇喰が一番に賛成を表明した。今は月人から追われている為、少しでも相対距離を稼ぎたいと考え、危険を嫌う蛇喰ならば反対するものだと思われていた。
「ただ、私は負傷中です。残念ですが、装甲車にて待機します。」
やはり、蛇喰であった。己の安全を優先した。
「さて、井守准尉。銘板の位置は分かるのか。」
「連結部分の側面にある筈です。」
井守は迷うことなく即答した。普段の自信の無さを微塵も感じさせなかった。
「詳しいな。」
「はい。列車の記録映像を見るのが趣味であります。その映像に映っていた様に記憶しております。」
珍しく井守は、鹿賀山の質問に淀みなく答えた。戦争と関係が無さそうな趣味が、どこで役に立つか分からぬものである。
「では、そこを重点的に確認する。時間が無い。捜索時間は十分以内とする。時間経過後は成果に関わらず戻れ。追手から逃れる為、下層に降りる。装甲車には、運転手と機銃手が残ること。残り二名で捜索する。では、開始。」
『了解。』
鹿賀山の命令に小和泉と桔梗は車外へ飛び出し、近くの作業台に身を潜める。小和泉が前衛、桔梗が後衛だ。二人の間では、何も打ち合わせをする必要は無い。お互いの動きと役割を熟知している。
そして、他の隊も違う方向へ散開していった。
この場に月人が居ない保障は無い。どこかに身を隠している可能性は十分に有った。
慎重に行動を起こすべきである。全ての敵が上階に上がり、爆発に巻き込まれたのであれば、月人は存在しないのであろう。
が、その様な都合の良い解釈は、小和泉達にはできなかった。
気配を消し、静かに、そして速やかにリニアモーターカーへ近づいていく。
巨大な空間の床に横たわるリニアモーターカーを肉眼で確認するとその大きさが実感できた。小和泉は、これほど大きな乗り物を見たことはなかった。
―中に五十人位は乗れそうだね。いや、立って乗れば、もっと乗れるのかな。さてと、連結部って、端っこのことだよね。―
小和泉達は、中腰のまま整備台や巨大モーター等の障害物に身を隠しつつ、素早くリニアモーターカーに接触した。
どうやら、この近辺には月人は確認できない様だ。かといって、安心するわけにはいかない。
連結部の壁面を確認すると白い壁面に黒い文字が書かれている箇所があった。長年の放置により埃まみれとなり、文字は読めない。手近にあった整備台の上の布きれで埃を拭き取った。
日本浮上式鉄道㈱
製造 2141年
所属 猪名川総合車両所
形式 L500-4006
自重 21t
定員 60名
黒いインクで書かれた文字が浮かび上がった。おそらく、これが井守の言う銘板なのだろう。
小和泉に具体的な意味は分からない。だが、これが重要な情報になりそうではあった。井守ならば、理解できるのであろう。
ヘルメットのカメラで映像が記録されていることを確認する。静止画として、鮮明に写されていた。
戦術モニターは、装甲車に戻るだけの時間しか残されていないことを表示していた。
小和泉は近くに有った冊子を数冊、適当に脇に抱え込み、装甲車へと戻った。月人と遭遇しなかったことは幸運だった。
「8312帰還。」
鹿賀山へ報告を入れると同時に銘板と思われる画像を転送した。冊子は、後日確認すれば良い為、荷室のコンテナに放り込んだ。
「8314帰還。」
「8311帰還。」
「8313帰還。」
他の隊もほぼ同時に帰還した。
「各隊、我に続け。下層に潜る。」
『了解。』
鹿賀山の命令に従い、四両の装甲車は静かにスロープをさらに地下へと潜って行った。
二二〇三年四月二十九日 〇二五六 KYT西三十六キロ地点
次の層に降りると圧巻の一言だった。
先程のリニアモーターカーが連結され、整然と並んでいた。
一編成につき十二両が連結され、前後は滑り台の様な車両が繋がれていた。どうやら空気抵抗を減らすための工夫であるようだった。
その編成が二十編成程確認できた。
「凄い。凄い。凄い。凄い。車庫だ。圧巻だなぁ。この動画、あとでコピーしよう。あぁ、リニアの運転席に座りたいな。」
小隊無線に井守の興奮する声が流れる。
「井守准尉。死にたいのですか。今は月人が背中を追って来ているのです。いい加減、士官らしい冷静さを取り戻しなさい。あなたは何時になったら士官の自覚をもつのですか。士官とは沈着冷静、質実剛健、日本軍軍人の模範であるべきです。襟を正しなさい。」
「は、はい。申し訳ありません。」
聞きかねた蛇喰の粘着するような叱責に、井守は冷静さを取り戻した。
「では、井守准尉。皆が集めた資料を戦術ネットワークにあげたが、分析して何か分かったか。」
装甲車での移動中に鹿賀山は、井守へ情報の分析を任せていた。その声にわずかばかりの期待が籠っていた。
この微妙な違いに小和泉だけが気付いていた。深い関係ゆえであろう。他の者には、いつもと変わらぬ声色に聞こえていた。
「憶測ではありますが、このリニアモーターカーは、西日本リニアだと思います。」
「それはどの様な物か。」
「西日本リニアは、新潟・富山・金沢・京都・大阪・岡山・広島・博多を結ぶ浮上式高速鉄道、リニアモーターカーです。全線が地下を走行する地下鉄になります。大阪で中央新幹線に乗り継ぎができ、東京方面に向かうこともできます。」
「この場所は分かるか。」
「車庫の名称である猪名川総合車両所から、旧兵庫県猪名川地区と考えられます。」
「その地区がどこかは分からぬが、ここから地下を通って、KYTへ戻れると考えて良いか。」
「地下鉄の崩落や破断が無ければ、可能であると考えます。」
「では、このまま進むしかあるまい。恐らく地上からは戻れまい。敵が多すぎる。今も増えている可能性がある。地下鉄であれば道幅が狭い。上や横からの攻撃は無く、正面からの敵との戦闘に専念できる。勝機がありそうだな。
誰か意見はあるか。兵卒も意見を上げて良い。」
鹿賀山は広く831小隊隊員全員に意見を募るが、誰も声を上げなかった。
沈黙が三十秒程続いただろうか。
「では、肯定と見なす。縦列にてこのまま進軍する。」
『了解。』
鹿賀山の命令に彼等は即座に対応した。
装甲車の列は、スロープの車道からリニアモーターカーの線路へと乗り入れた。多少の段差や付属設備は、六輪装甲車には障害にすらならなかった。
リニアモーターカーの線路にはレールが二本引かれた複線であった。井守曰く、ここは車庫への引き込み線であり、本線ではないそうだ。本線に出なければ、KYTへ帰還することはできない。
井守の説明によるとリニアは、低速走行時はレール上をモーターの力で車輪走行し、高速区間は壁面に設置された常温型電磁性体により、レールから離れ、浮上と前進を行うとのことだが、小和泉には全く原理が理解できなかった。
―もっとも使用できない物を理解したところで何の役にも立たないよね。―
小和泉は、そう割り切り、理解することを放棄していた。
気になるのは、今進んでいる地下鉄がKYTに繋がっているかどうかだった。途中で崩落していないと自身の幸運を信じるしかない。あまり期待できないのだが。
崩落していれば、引き返し月人の大群の中を突っ切ることになる。極めて避けたい事態である。小和泉に英雄願望や破滅願望は無い。
いつしか線路と平行していた車道はなくなっていた。半円形のトンネルを静かに装甲車の車列は進んで行く。
温度センサーに反応は無く、敵の追撃や待ち伏せは無いようだ。だが、どこに敵が潜んでいるかは分からない。小和泉達の警戒心は保たれていた。
線路は二方向へと分岐した。東と南だった。
「井守准尉。どちらだ。」
「恐らく東かと。南は大阪駅ではないでしょうか。」
「では、東へ向かう。」
鹿賀山と井守の判断に小和泉達は任せるしかない。この地下空間では、判断や意見をする材料と知識が無いのだ。
装甲車は、真っ暗なトンネルを進む。複線だった線路は単線へと二本にトンネルが分岐し、リニアモーターカーがギリギリ走れる大きさとなった。
もっとも装甲車はリニアモーターカーより小さいため、走行に支障を来すことは無い。鹿賀山は左側のトンネルを選択し、進軍して行く。
「全車停車。」
鹿賀山が突然命令を下す。低速で走っていた為、追突することなく停車した。
停車した理由は、温度センサーに三十個の反応が現れたからだ。
ここに友軍が居るとは思われない。敵だ。月人の待ち伏せであった。
狭いトンネルの中では、装甲車一両だけが戦闘に参加でき、後続の三両は戦力外と化す。前の装甲車が邪魔となり、射線が通らないのだ。
それは敵も同じだ。側面からの攻撃は出来ず、装甲車の正面に身を晒すことになる。
831小隊は、月人との戦闘が始まろうとしていた。一部を除き、皆に緊張感が走る。
あの先に帰るべき場所があるのだ。絶対に越えなければならない肉壁だった。




