20.病室と育成筒
二二〇一年十月十日 〇八三二 KYT 日本軍立病院
小和泉達は、編成された救出部隊に無事回収され、月人と出会うことは無くKYTへと生還した。
小和泉達1111分隊は、地下都市KYTに入るまで気を張っていたが、舞と愛は回収と同時に失神していた。
潜って来た修羅場の数が違うのであろう。仕方がないことだ。かく言う小和泉もKYTに入都し、安全を確認したあと気を失ったので、五十歩百歩と言っても差支えないだろう。
生きて帰ったという安心感、愛する三人を無傷で帰還させた達成感が小和泉の凍りついた心を溶かしたのだろう。
桔梗、菜花、鈴蘭は、KYT入都と同時に小和泉に寄りかかる様に気を失っていた。
小和泉は目を覚ました。体が重い。筋肉が悲鳴を上げている。酷使し過ぎた為だろう。だが、表情には出さない。この程度の筋肉痛は、自分の意思で感じない様に出来る。
小和泉が周りを見渡すと、淡い桃色の壁に無機質な個室のベッドの上に、簡素な淡い青色の入院着で寝かされていた。
ベッドの正面には大型モニターが、緑豊かな山麓の景色を映して出している。心を落ち着かせる為の演出だ。
左手には栄養と水分補給の為の点滴が繋がれ、脈拍や血圧等を計る計測器が手首に巻かれていた。計測器で読み取った情報は、大型モニターの右隅に色々と表示されていた。
小和泉には、その様な数字は意味が無い。己の内面と向かい合い、自己の状況を確認していく。
手足の指、全て動く。
手首、足首、異常なし。
両手、両足、動作問題無し。
頭部、首、背部、異常感じず。
腹部、胸部、肋骨の一部にヒビを感知。二週間放置で完治。
局部、ある。
小和泉にとって最後の確認事項が重要だった。極端な話、身体の大部分は生体有機物か、機械無機物に代替できる。
しかし、局部だけは生体有機物に付け替えても排泄専用の器官になってしまう。
局部を失えば、生殖能力が無くなるのだ。その為、身体確認の一番最後となり、無事であることに安堵した。
ベッド際のサイドテーブルには、卓上時計、水差しと白い封筒が置かれていた。水差しから水をゴクゴクと飲む。渇いたのどに染み渡っていく。腹具合といい喉の渇きといい、かなりの間、眠っていたのであろう。
卓上時計で作戦から三日経過していることを小和泉は知った。
―鉄狼との戦いで無理がたたったかな。予想以上に疲労していた様だ。三日も無防備に眠ってしまうとは予想外だったかな。さて、この封筒は桔梗かな。いや、鹿賀山だね。シンプルな封筒だからな。桔梗達ならば、もう少し可愛げのある物を使うだろうね。―
小和泉は封筒を手に取り、糊付けされていない蓋を開ける。
中には、A4サイズの白い無地の紙が一枚入っていた。
『救援を出せずすまなかった。謝って許しをもらえる問題ではないと理解している。
しかし、俺には謝る事しかできない。
だが、小和泉が無事に帰還した事は俺にとって最高に嬉しい事なのは間違いない。
ありがとう。帰って来てくれて。
ありがとう。分隊全員で帰還してくれて。
ありがとう。無傷でいてくれて。
ありがとう。二人も多く帰還させてくれて。
ありがとう。俺は、ただただ嬉しい。
ゆっくり休んでくれ。他の五人も軽傷だ。検査入院でゆっくりしている。
安心してくれ。
鹿賀山清和』
ボールペンで几帳面な文字で書かれた手紙は、鹿賀山からの物だった。
鹿賀山が、敗戦処理で忙しいことは想像できた。その合間にお見舞いに来たのであろう。
小和泉にとってこの手紙は嬉しかった。鹿賀山が心配してくれたこと。部下達も心配してくれたこと。そういう気持ちが行間にあふれている事も感じ取れた。
プリンタ印字では、汲み取れない気持ちだろう。手書きならではだ。
軍では敗戦も有り得ることだ。今まで敗残者にならなかった事の方がおかしかったのだ。
これは小和泉だから素直に割り切れることであろう。
他の人間であれば割り切る事はできないであろう。軍を恨み、作戦立案者を恨み、作戦承認者を恨み、見捨てた仲間達を恨んだことだろう。
この作戦で死んだ戦友達の家族は、その気持ちで一杯であろう。それは理解出来る。
小和泉の考え方は、生き残ればそれで良い。後は人生を楽しむだけだった。他人の人生に干渉するつもりはない。特殊な家庭環境が小和泉の独特な人生観を産み出したのであろう。
だが、鹿賀山へペナルティーを科す事とは別の話だ。どの様なペナルティーをくれてやろうか。思わず、舌なめずりをする。それを色々と考えている内に小和泉の意識は、いつの間にか微睡へと落ちていった。
二二〇一年十月十日 一〇〇一 KYT 促成種育成機関(通称 研究所)
自然種である多智薫子は、明るく天井が高い体育館の様な場所に居た。
その広い空間には透明の強化プラスチック製の円筒数十個が規則的に並び、有機的な配線やパイプがその隙間を所狭しと埋めていた。その上には歩行用の鉄板と防音用のカーペットが敷かれ、簡素な手すりがついていた。
カッターシャツにチノパンを着用し、上に羽織った白衣のポケットに両手を突っ込み、奥へと歩いて行く。歩く度に胸が揺れ、ブラジャーをつけていない事がカッターシャツの上からでも分かった。胸が締めつけられて苦しいという理由で多智は着けていなかった。
ポニーテールを丸く固めたシニヨンの髪型は、簡単にでき研究の邪魔にならない為、多智は好んでこの髪型をしていた。髪を切る事も考えたが、それも面倒な為、伸ばしたままだった。
化粧も一切していない。
多智にとって、お洒落とは面倒事であり、研究の邪魔にしかならないからだ。
婚約者の鹿賀山には、たまには着飾ってはどうかと言われるが多智には興味が無いことだ。お洒落に時間を割くならば、その時間で研究をしている方が有意義だと考えていた。
だが、化粧品を使用したことがない肌はきめ細かく白磁の様だった。美女に分類される容姿をもっているのだが、その様な些末な事に気を割かない多智の性格と服装の為か、周囲の人間は気づいていなかった。
もっとも、婚約者である鹿賀山は幼馴染である為、多智の変化を観察し外面だけでなく内面もよく知っていた。逆に小和泉は、美女であるとすぐに気がついていたが親友の婚約者という事で手を出すのは自重していた。
多智は、十六歳の時に高校課程から大学の医学部へ飛び級し、二年で卒業した才媛だった。卒業と同時に医師免許を取得していた。その高い能力を見込まれ、促成種育成機関、通称研究所に配属された。配属されて二年が経過し二十歳と言う若さで、プロジェクトリーダーに抜擢されていた。計画内容は部外秘の為、誰にも漏らしていない。もちろん鹿賀山も計画を聞く様な無粋な事はしなかった。
現在は、研究の方が面白い為、親が決めた鹿賀山との結婚は急いでいないし、恋愛関係を進める気も特に無かった。親は孫の顔が見たい様な事を言っているが、妊娠でもすれば研究ができなくなる。それこそ、多智が最も忌み嫌うものだ。研究の邪魔になるものは一切不要だ。
結婚は嫌であったが、鹿賀山の事が嫌いという事では無い。むしろ好きな方だ。正確には、相思相愛と言えば良いのだろう。多智の事を深く理解している他人は、鹿賀山を置いて他にはいない。
これ以上良い物件を探すのは難しいだろう。
何よりも幼い頃から大切にしてくれる鹿賀山を嫌いになれるはずも無かった。
多智は研究の虫だが、気分転換の有効性は認めており、鹿賀山との逢瀬は何度も重ね、愛情を深めていた。いわゆるプラトニックラブだ。
小和泉から見れば、オママゴトでむず痒いものだった。
鹿賀山の士官学校時代、つまり多智にとっては大学生になってからは、小和泉を含めた三人で遊ぶこともあった。
その小和泉の部下達がこの先の育成筒にて傷を癒している。促成種達は、この育成筒で生まれ、そして一年間かけ一人前へと一気に育っていく。
怪我や病気をした時や年に一度の健康診断には、この育成筒に全裸で入る。呼吸用のマスクと流動食を胃に流し込むカテーテルを鼻と口に装着し、額の端子にはデータ送受信用のアンテナを接続した状態で生命の水に身体を浮かばせる。
生命の水は、体温とほぼ同じ温度に保たれ、育成筒の下からゆっくり噴き出す酸素と混合されている。生命の水は、怪我や病気の治療や排泄物の分解などを行う栄養素や細菌・微生物によって構成されている。下から噴き出す酸素は、その細菌や微生物が死滅しない様に噴出している。
胎児時代を思い出すのか、身体を小さくたたむ個体が多い。中には菜花の様に大の字になり浮かぶ者も稀だが居た。
浮かぶ姿は、育成筒から出た後の経験による誤差の範囲だと研究結果は示しており、多智にはその様な些事には興味は無い。
多智の興味は、促成種の脳から抽出される経験データだ。
特に今回収容された五人は、〇一一〇〇六作戦を生き残った強運の持ち主だ。
どの様に戦闘をし、生き残ったのか。
では、その戦闘能力は、どの様な訓練もしくは生活習慣から生み出されたのか。それは多智の興味をそそるものだった。
そのデータが他の促成種にも活かせる場合は、余分な部分を削ぎ落とした学習データとしてプログラムし促成種の全員に書き込まれる。もっとも身体能力に個人差がある為、そのまま活用する事はできない。
あくまでも知識として書き込まれるだけだ。経験ではなく知識だけだが、無知は罪に等しいと多智は考えている。人は生き続ける限り、知り続けなければならない。情報を制する者は、全てを制するという言葉を信奉していた。
桔梗達が育成筒に入る前の事情聴取で鉄狼という初めて聞く単語が出た。
かなりの脅威の敵であることは理解できた。この情報を知る者と知らぬ者では生存率が大きく変わるであろうことは、簡単に推測された。
研究所と軍の上層部は、鉄狼のデータに興味がある様だ。普段の研究に割り込み、鉄狼のデータ解析を優先する様に多智へ指示が出た。これは多智にとって稀な事だ。多智の研究を邪魔する輩はいない。それだけの成果を出し続けていたからだ。
それを根拠に断っても良かったのだが、友人である小和泉が大きく関わっていると聞き、気が変わった。さらに小和泉の部下であるならば、研究対象にしても良いだろう。他の凡人共に脳をいじくりまわされて、廃人にされては小和泉へ顔向けができない。
幸い促成種の五人は、軽度の打撲と裂傷だ。すぐに育成筒の力だけで治癒するだろう。多智による外科手術の必要性は無い。
脳に負荷をかけぬ様にゆっくりと記憶を吸い出していく。
多智は、五人の状況を観察し、正常に育成筒が動作している事を確認した。
それまで無表情だった多智に微笑が浮かぶ。
―小和泉、お前は何をした。見せてもらうぞ。その力を。―
多智は身を翻すと研究室へと戻っていった。




