198.FKO実証試験 暴発間際
二二〇三年四月二十九日 〇二三七 KYT西三十六キロ地点
小和泉は装甲車の後部座席にて、ヘルメットの前面を上部に引き上げ、空気清浄された新鮮な空気を吸い込んでいた。
両手には、桔梗に入れてもらったばかりのコーヒーをマグカップの中で回転させていた。
他の三人も自分の席にて、ヘルメットの前面を引き上げ、思い思いにコーヒーを楽しんでいた。
戦闘行動でまともに水分を取っていないのと、深夜となり眠気を取る為にカフェインの摂取を小和泉は部下に命令していた。カフェインによる利尿効果は、し尿パックが受け止める為、問題は無い。
「さてと。皆の意見を聞かせてくれるかな。」
小和泉はマグカップから視線を上げ、三人の顔を見渡した。士気の低下や疲労の蓄積は、表面上認めることはできなかった。網膜モニターに表示させている隊員達の生体モニターも正常値を示していた。ストレスも溜まっていない様だ。
「錬太郎様。地下への探索を具申致します。」
最初に声を上げたのは、やはり桔梗であった。
「はい、続けて。」
「かしこまりました。地上の敵勢力は増加中だと考えます。ゆえに敵が我々の捜索を諦める時間をここで待機するよりも、その時間を地下の捜索に当てるべきであると考えます。
幸いにもこの施設は、車両走行を想定された造りです。装甲車であれば、生身による捜索よりも危険度は下がるものと判断します。なお、我々が取り逃がした月人により、下層より攻め入って来るのは時間の問題です。ここに留まることも危険です。」
―僕と同じ意見だね。やっぱり僕が指導してきたから、思考も似るのかな。正解かどうかは分からないけどね。―
「なるほど。は~い、次の人。」
「隊長。撤退すべき。地上にまばらに展開する数百匹程度ならば、装甲車の全速力で突破可能。地下に閉じ込められる方が危険。敵の増援が来る前に逃げる。」
次は鈴蘭が発言をした。
「鈴蘭は逃げた方が良いということだね。」
―鈴蘭の運転技量ならば、可能だろうね。恐らく他の隊では、高速走行により地面の割れ目に落ちたり、障害物に衝突するだろうね。ちょっと現実的じゃないかな。―
「はい、カゴ。」
「宗家の思われるままに付き従います。」
カゴは、いつもの様に自分の考えを述べなかった。
「カゴ。自分の考えを言っていいんだよ。」
「誠に申し訳ありません。私は宗家の望みを実現することとお守りすることのみ考えております。」
「あっそう。自分の意見を示して欲しかったな。まあ、いいか。桔梗、今の意見を鹿賀山へ上申書として送っておいてくれるかな。」
「分かりました。錬太郎様のお考えは如何でしょうか。」
「そうだね。面白くなる方を選んでねと書いてくれるかな。」
「奏さんが怒りますよ。」
「いいよ。だって本当に思っている事だからね。」
そして、上申書が送信された直後に東條寺から怒りの無線が小和泉へ入った。
それを受ける小和泉は、期待通りだと東條寺との会話を楽しんでいた。
二二〇三年四月二十九日 〇二三九 KYT西三十六キロ地点
時は、小和泉達に選択肢を与えなかった。
小和泉達の判断が遅いのではなく、敵である月人の動きが早かったのだ。
「温度センサーに下層からの熱源を確認。月人と断定。数二百以上。こちらに来ます。」
東條寺少尉の警告が小隊無線に響いた。
―おやおや。向こうが早かったか。さて、鹿賀山はどう判断するのかな。―
小和泉の顔が弛み始める。十六対二百の戦力差。いくら装甲車があろうとも生き残れる保証は無い。激戦が予想された。ゆえに小和泉の頬が弛むのであった。
「全隊、南倉庫の最奥部まで下がれ。」
鹿賀山の声と同時に戦術モニターが更新された。各装甲車の配置図が表示される。それを見るとある一点を中心に装甲車の正面を向け、倉庫最奥部の壁面に後部を押し付け、一塊になることを示していた。
四台の装甲車は、即座に指定地点へと移動を開始し、図面通りに待機した。
「小和泉大尉、あれを狙撃できるな。」
戦術モニターに目標点が表示される。
「ちょいと待ってね。確認するよ。」
小和泉は車載用機銃のガンカメラを操作し、目標を拡大する。
灼熱する目標は、闇の中では良く目立った。目標を狙い撃つには、棚に並べられている用途不明の部品の隙間を通す必要があった。機銃は、弾をバラ撒くことが役割であり、緻密な照準精度は与えられていない。
ここは機銃ではなく、アサルトライフルの狙撃モードが必要な場面であった。
ならば、小和泉ではなく専門家に頼むべきである。鹿賀山も小和泉に声をかけたのは、831小隊最高の狙撃手が8312分隊に所属していることを考えてのことだろう。
「桔梗、射線は確保できるけど狭いね。あの隙間を抜いて目標を狙撃できるかい。」
桔梗は装甲車前面の銃眼にアサルトライフルを挿しこみ、目標をガンカメラの中央に捉える。
「錬太郎様。問題ありません。距離四百。これを外すようでは狙撃手を名乗れません。」
「良い返事だね。聞いたかい。鹿賀山。」
「では、桔梗准尉。こちらの秒読みに合わせよ。」
「了解。射撃姿勢にて待機します。」
そこで小隊無線は沈黙した。
831小隊の兵士達は、戦術モニターの光点に意識を集中させた。静寂が戦場を覆った。
確実にスロープを下層から上がってくる大量の熱源。先に報告があった二百を越えている。
恐らく三百を越えているだろうが、熱源が重なり合い、正確な数字を掴むことはできなかった。
桔梗は静かに狙撃姿勢をとったまま微動だにしない。アサルトライフルを固定する為に助手席の上でお世辞にもお行儀が良いとは言えない姿であった。
両足をダッシュボードに掛け、背中を背もたれに強く押し付け、アサルトライフルの銃床をしっかりと頬に付け、照準をつけていた。
小和泉は桔梗の生体モニターを確認した。心拍数は正常値を表示しており、緊張していない様だ。
大量の熱源は迷うことなく、南倉庫へと雪崩れ込む。通路という通路が月人で溢れかえる。
小和泉のガンカメラで捉えた月人達は、眼は血走り、口許から涎を垂らし、怒り狂っている。
やはり、月人でも仲間を殺されると激しい怒りの感情を持つらしい。
月人の大集団は、時折足を止め、狼男達は遠吠えを行い、兎女は長剣を棚に叩きつける。
狼男の低く唸る遠吠えが装甲車の装甲を震わせる。
兎女が長剣を棚へぶつけた時に発する甲高い音が、こちらの精神を逆立て、苛立たせる。
月人達は、数と音で圧力を掛け、こちらの士気を挫けさせようとしているのだろうか。
月人は、着々と南倉庫へと侵入してくる。車両が走り抜けられる通路が見る見る月人で溢れかえっていく。音だけで無く、その視覚情報も圧力となって831小隊へ圧し掛かってくる。
だが、鹿賀山の秒読みは始まらない。まだスロープに居る月人も南倉庫に引きずり込みたいのであろう。
小和泉は機銃掃射でこの大群を撃ち払いたい誘惑に強くかられる。覗き込んでいる機銃の引き金に指がかかろうとする。
「隊長。駄目。我慢。」
鈴蘭の制止が入る。
小和泉は機銃の操作桿から手を離した。
「ごめんごめん。つい、撃ちたくなっちゃったよ。この引き金を絞るだけで、あいつ等がさ、もんどりうって、地面に転がるんだよ。密集しているから、一斉射で十数匹はいけるんじゃないかな。やつらの苦悶の表情を見るなんて、楽しいじゃないか。分かってくれるよね。」
「隊長の考えは理解。暴発間際。今は待機。私も我慢中。」
「はあい。自重します。」
小和泉は、妄想に酔いつつ、現実を認識し続ける冷静なもう一人の自分と意識を交代する。
小和泉の意識には、常に己の欲望に忠実な自分と第三者の視点で俯瞰する冷静な自分が居た。どちらかに傾いてしまう様では、戦場で楽しく狂う事などできない。
味方が精神的に距離を置く様な残虐行為に狂い楽しむ。その一方で戦場全体の状況を過不足無く正確に判断し、攻め時と引き時を違えぬ冷静さを同時に発揮する壊れぶりだった。
壊れているが、上官である鹿賀山の言葉を忠実に守る犬の様でもあった。
ゆえに狂犬と日本軍では呼ばれていた。ちなみに鹿賀山は、狂犬の飼い主と密かに呼ばれ始めているのだが、831小隊には未だ知られていない。いや、知らせる度胸のある者はいないというべきか。
狂犬である小和泉に首輪がついているからこそ、生かされているのも事実であった。
命令を聞かず暴れるだけの部品は、軍には不要である。
それは小和泉も理解している。ゆえに鹿賀山の命令だけは守るのであった。それが小和泉の生命線であり、日本軍を敵にしないための防波堤でもあった。




