197.FKO実証試験 831小隊合流
二二〇三年四月二十九日 〇二二四 KYT西三十六キロ地点
敵の追跡や遭遇もなく、小和泉は蛇喰達8314分隊の元へと戻った。
月人達は、小和泉達を捕捉することができなかった様だ。いや、本隊へ侵入者の存在を知らせに行ったのかもしれない。
それを小和泉達に判断できる材料は無かった。
蛇喰は戦闘を行なった場所から入口寄りに大きく移動していた。月人の死体が転がる場所で待機する愚行は取らなかった。血の臭いで敵が集まる可能性があるからだ。
部下に守られている蛇喰の姿は、小和泉の眼から見ても故障の一言で済ませるわけにはいかぬ酷い有り様であった。
床に座り込んだ蛇喰の複合装甲は、整備用パネルが弾け開き、中に詰まっている白桃色の人工筋肉が露出していた。
人間の筋肉と見た目が変わらぬ人工筋肉は千切れ飛び、開口部から垂れ下がっていた。
人工筋肉を動かす赤褐色の栄養液が、開口部や隙間から血の様に複合装甲の表面を伝い落ち、床に血溜まりの様な液たまりを作っていた。
それらは、全て複合装甲の損傷であることを理解していたが、蛇喰自身の怪我であるかの様な錯覚を起こさせた。
さらに複合セラミックスで作られた装甲にも亀裂が全身に入り、それは格闘戦をしたゆえに凄まじい負荷がかかったことを示していた。
この複合装甲は、性能を最後まで発揮し、装着者を守り切ったのは間違いなかった。
が、その実力をもう発揮できないことは、誰の目にも明らかだった。
小和泉であれば、何の感慨も感じることなく、複合装甲を解除して全損扱いで廃棄していたであろう。
最も今回の戦闘で酷い被害は、蛇喰の右手だった。
深い火傷を負っていた。真っ赤に灼熱した鉄の棒を握り締めたかの様に焼けていた。野戦用手袋には焼印の様な銃把の跡が残り、手のひらは一回り以上大きく腫れ上がり、肉が手袋に喰い込んでいた。
流水で冷却するのが理想だったが、最前線に清浄な水が豊富にあるわけが無い。
「鈴蘭、手当てを頼めるかな。」
「了解。」
小和泉の一声で衛生兵である鈴蘭が蛇喰のもとへ駆け寄った。
救急セットからビニール袋を取り出す。その中に焼け焦げた野戦用手袋をはめたまま蛇喰の右腕を突っ込ませた。
次に手のひらサイズの保冷剤を取り出し、表面を強く叩く。衝撃によって内部の袋が破れ、二液が混じり合い急速に温度が下がっていく。保冷剤に霜がついていく。それをビニール袋に入れ、水筒から飲料水をなみなみと注いでいった。
水が零れぬ様に袋の口を腕ごとテープにて強く、水が漏れぬ様に巻き付けられ固定された。蛇喰の腕先は、水風船に包まれたかの様になった。
蛇喰は小和泉達と合流する前に、鎮痛剤を飲んでいたために痛みは薄れており、応急処置に対し痛みを訴えることは無かった。いくら薬が効こうとも痛みは多少感じている筈だ。自尊心の高い蛇喰は、やせ我慢をしているのであろう。
「蛇喰少尉の応急処置、完了。念のため、抗生物質の摂取を推奨。」
鈴蘭が蛇喰に錠剤一錠を手渡す。蛇喰は迷うことなく口に放り込み、水筒の水で流し込んだ。
「ご苦労でした。感謝します。鈴蘭上等兵。」
「失礼します。」
鈴蘭は、周囲に広げた治療の痕跡を片付けると、小和泉の横へと無意識に戻っていった。
小和泉は蛇喰の正面に立った。蛇喰を見下ろすような状況であったが、蛇喰はそれに文句を言える状況ではなかった。狼男との力比べによる疲労の蓄積が大きかったのだ。
「らしくないね。戦いの矢面に立つなんて。どうしたのかな。心境の変化かな。」
小和泉はからかう様に声をかけた。
「軍人として臨機応変に対応したまでです。貴方に評価して頂く必要はありません。」
蛇喰はおもちゃにされそうになっている気配を察し、小和泉の言葉を切り捨てた。
小和泉はその反応に残念そうに肩を落としたが、すぐに気持ちを切り替えた。
「さてと、僕から報告したらいいのかな。それとも聞いた方がいいのかな。」
「先に報告を聞きましょう。」
「了解。月人二個分隊を発見。発見されぬように尾行。敵はスロープに戻り、さらに地下へ潜ったよ。この一層下にも広大な空間が広がっている様な反響音がしたね。これ以上の進出は危険と判断して撤収。後は分からないよ。」
「そうですか。こちらは一個分隊と遭遇。格闘戦に移行。月人四匹撃破。重傷一名です。重傷とは私のことですが、何か意見でも。」
「何もないよ。蛇喰って格闘戦もできたんだなぁって。」
「侮らないで頂きたい。士官学校では常に上位の成績でした。」
「そうだったかなぁ。覚えてないなぁ。」
「あなたという人は。いえ、そうでした。士官学校時代からそういう性格でした。あなたは自分自身にしか興味がない。」
「そんなことはないよ。魅力的な人には、積極的に密なお付き合いをしているよ。性別問わずね。」
「あなたと仕事以外の話をしようとした私が間違いでした。」
「えぇ。仲良くしようよ。」
「その様な素振りを見せて頂いた覚えはありません。それに私は貴方と仕事以外に慣れ合うつもりはありません。」
と、蛇喰がハッキリと宣言した直後、戦術モニターに光点が四つ表示された。
この場に居る八人は、一言も発さず物陰に隠れ、迎撃態勢をとった。棚の陰に隠れアサルトライフルを構える。蛇喰は慣れぬ左手でコンバットナイフを構えた。数年も一緒に戦っていればこその連携であった。
光点は831小隊の装甲車を示す物だった。建物内に入りスロープを静かに下って来ている様だ。
「小和泉、蛇喰、応答せよ。誰か、返事をせよ。」
小隊無線に鳴り響いたのは、鹿賀山の声だった。その声は、少し切迫した雰囲気を感じさせた。
「はいはい。小和泉ですよ。どうかしたのかな。」
「全員無事か。建物に入ってから連絡がとれなくなっていたことに気付いていなかったのか。」
「通信障害は気づかなかったよ。ごめんね。ちなみに蛇喰が重傷。右手を大火傷。他は健在だよ。」
鹿賀山は重傷と聞いても詳細を聞かなかった。
重傷とは命に別条がなく、三十日以上の治療を要する怪我を意味するからだ。現在の再生治療であれば、重傷ならば怪我の痕跡も残さず綺麗に治癒する。ゆえに詳細な報告を求めなかった。現状では必要な情報では無かったからだ。
8314分隊の一名が戦力外になったことが分かれば良かった。
小和泉は情報端末の履歴を遡った。
確かに鹿賀山の言うように地下に潜ってから、戦略情報の更新はされていなかった。どうやら地上と地下は、電波が通じない様だ。
戦略情報が更新されていないのは、状況変化が無いためだと思い込んでしまっていた。
この二個分隊の指揮官である蛇喰に丸投げしていた小和泉のミスでもあった。
蛇喰に任せ、月人狩りを楽しんでしまった様だ。
―あと少しで兎女を無傷で捕獲できたのになあ。残念だよ。久しぶりに楽しめると思ったのに。―
と反省はしていなかった。
「まったく、お前達は。」
鹿賀山はため息を一つつき、話を続けた。
「では、状況を説明する。この建物を中心に月人が集結を始めている。数は数百匹になる見込みだ。そこで見つかる前に装甲車を建物内に隠すことにした。現在、そちらに向かっている。というか、着いたな。」
鹿賀山の安心した声と同時に小和泉達の前に無灯火の装甲車四台が急停車した。
小和泉の装甲車からは愛兵長が、蛇喰の装甲車からクジ一等兵が降りた。この二人が小和泉達の装甲車を代わりに運転してくれたようだ。
装甲車から降りた二人は、本来、自分が乗る装甲車へ走って戻った。
「各隊、乗車。安全のため車内にて、小隊無線にて今後の方針を決める。」
『了解。』
小和泉達八人は、自分達の装甲車へと素早く乗り込んだ。
二二〇三年四月二十九日 〇二三四 KYT西三十六キロ地点
小和泉達の装甲車は、存在が目立つスロープから南倉庫内へと姿を分散して隠していた。
車両が中へ入ることを前提に作られている倉庫である為に可能なことであった。
「地下の状況は理解した。では、地上の状況を説明する。」
戦略及び戦術ネットワークの情報更新により、最新情報の共有は済ませている。
鹿賀山は説明を淡々と続ける。
「小和泉達の突入後、月人の反応が出現。恐らく発見されたのだろう。こちらの捜索を開始した模様だ。だが、発見できない為か徐々に増員され、百匹を超えたところで現地に留まる事は危険と判断。合流する事とした。
発見されぬ様に迂回しつつ接近し、スロープのシャッターを静かに開けるのに手こずり、今の合流となった。その間、敵は増え三百匹以上の月人が荒野を彷徨っている。
数は、増加している可能性が高い。逆に捜索を諦めて減っている可能性も否定はしない。が、これは希望的観測だな。
なお、小和泉達が地下に潜ってから小隊無線は通じず、こちらの呼びかけに無反応であったことを付け足しておこう。以上だ。」
鹿賀山の報告は終わった。話の続きは無いようだ。誰も無線を使用しない。
この沈黙は、今後の方針を考える為の時間であった。




