196.FKO実証試験 複合装甲故障
二二〇三年四月二十九日 〇一五一 KYT西三十六キロ地点
拳銃から発せられる光弾は、狼男の頭部に命中し蒸気で包まれていた。肉体の水分が蒸発している為だろうか。
水蒸気により狼男への攻撃が有効であるか判断がつかなかった。
しかし、蛇喰を押し潰そうとする力はまだ弱まらない。
次々と複合装甲の整備ハッチが弾け飛び、人工筋肉はゴムが切れる様な音とともに弾け散る。
複合装甲の機能不全が始まったのだ。
―早く死になさい。死ぬのです。―
整備ハッチから噴き出す赤い栄養液が狼男に降り注ぎ、水蒸気が激しくなる。
―しつこい。死になさい。斃れなさい。―
蛇喰は心の奥底にて声に出さずに叫ぶ。
声に出せば、音声認識が誤作動するかも知れない。生死の狭間にいる状況で誤作動は致命的である。ゆえに声を出すことは許されない。
【負荷減少。】
狼男と蛇喰の力比べは、唐突に終わりを告げた。
狼男の押す力が突然途切れ、モニターに表示されていた複合装甲の赤い警告表示が少しずつ減り、代わりに黄色の警戒表示へと置き換わっていく。蛇喰へと圧し掛かる力は、狼男の体重だけになった。
ヘルメットのモニターに表示された一行は、この数分間、蛇喰が待ちに待ち望んでいたものであった。
長時間引き続けていた引き金から、苦労しながらも指を離そうとする。光弾の発射は止めることがかろうじてできたが、強く握っていた為だろうか。指が固まっていた。己の意志だけで右手の人差し指がそれ以上動くことは無かった。
狙い続けていた狼男の頭部から蒸気が消え去り、蛇喰の視界は鮮明になった。
いや、無我夢中であった為に視野狭窄に陥っていたのかもしれない。
目の前の狼男の頭は消し飛んでいた。首の断面は光弾により焼き潰され、炭化していた。
狼男は膝を屈さず、蛇喰をアサルトライフルと棚の間に押し潰す姿勢のまま力尽きていた。
―生き残れましたか。この様なことは二度と御免です。さすがに敵の生死を確認する必要はないでしょう。首無しで生きていたならば、私に殺しようがありません。ふう。―
蛇喰は一息つくと現状確認のため、戦術モニターを確認した。
部下三人は現在も交戦中であり、こちらに救助依頼、いや応援を呼ぶことはできそうになかった。一人で対処するしか無いようだ。
戦略モニターには情報の更新は無く、戦術モニターに新しい敵の表示も無い。
この隙に蛇喰自身の状況を改善すべきであろう。
右手に握る拳銃は真っ赤に灼熱していた。いつ、イワクラムの内部に蓄積されているエネルギーが暴発してもおかしくない様な状況だった。
拳銃が暴発すれば、間違いなく蛇喰の全身を粉砕し、灰と化すことは間違いなかった。
―これは参りました。衝撃を与えると爆発するかもしれません。かといって、冷却する手段もありません。放置するほか対処はないでしょう。とりあえず、少しでも遠い所に離すべきですね。―
「関節固定解除。スパイク収納。」
モニターの人型表示から黒点が消失し、足裏のスパイクが収納された。その瞬間、蛇喰の左手に鉄狼の全重量が圧し掛かり、そのまま抱き止める形となり、背後の棚にもたれかかった。
蛇喰は無造作に狼男の死体を床に打ち捨てる。狼男は死してもアサルトライフルを離さず、一緒に倒れていった。
「音声認識終了。」
モニター上部から【音声認識中】の表示が消えた。
蛇喰は右手の拳銃を離そうとするが、未だに指は硬く握ったままだった。いつ暴発するとも知れぬ拳銃を早く手放したかった。
焦る気持ちを抑え、深呼吸を行い、息を整える。
先程まで肩で息をしていた蛇喰の呼吸が落ち着いていく。
左手で右手の指を一本一本丁寧に開いていく。時間をかけて掌を開き、拳銃を左手でやさしく摘まむ。こちらは複合装甲に包まれている為、熱さは感じない。
右手の野戦用手袋には銃把に刻まれている滑り止めの模様がくっきりと焼印の様に残っていた。
拳銃を可能な限り手が伸ばせる遠くの棚にそっと優しく置き、安全と思われる距離をとり、ようやく人心地がついた。
―これだけ離れれば、暴発しても複合装甲が守ってくれるでしょう。さて、怪我はどの程度で済んだのでしょうか。―
怪我の具合を確認する為に手袋を脱ごうとする。蛇喰の掌に激痛が走る。今頃、興奮状態が覚め、痛覚が戻ってきたのだ。同時に額に脂汗が浮く。
手袋を引っ張ると掌の皮膚も同じ様に引っ張られた。手袋を脱ぐことは諦めた。
―手袋と皮膚が癒着しましたか。参りましたね。痛覚があるということは、火傷は深度Ⅱでしょう。その程度で済みましたか。では、後遺症の心配は無いでしょう。しかし、この火傷では複合装甲を再装着できませんね。それ以前に真面に複合装甲が動作するのでしょうか。―
蛇喰はバイザーのタッチパネルを左手で操作し、複合装甲の自己診断をかけた。
・防刃性能 正常
・衝撃吸収 二割
・増幅機能 三割
・歩行機能 可
・走行機能 不可
・人工筋肉 断裂多数
・関節機構 破損
・栄養液 二割損失
など、モニターに次々と現在の状況が、下から上へ流れる様に表示されていった。
表示された情報を統合すると、歩くのが精一杯であることが判明した。
だが、防刃機能は正常である為、長剣や牙に対しての防御能力はある。ゆえに破棄するよりも装備しておいた方が良いのは確かであった。
―ナイフを振るうこともできず、歩くしかできない。これでは部下の支援もできません。これは待つしかないようです。ここには狼男の死体があります。念の為、ここからもっと離れた方が良いでしょう。―
そこで、蛇喰の意識は途切れ、暗闇に飲まれた。
しかし、分隊長としての責任感が、己自身を楽にすることを許さなかった。
右手から走る激痛が蛇喰の混濁した意識を掻きまわし、闇から現実へと引き戻す。
―くう。気を失う訳に参りません。私はこの分隊を。いえ、半個小隊を指揮する責務があるのです。―
蛇喰は、休息を求める身体を意識の力で抑えつけた。重い体を引き摺る様に安全な場所を求めて移動を開始すると同時に小隊無線で小和泉に呼びかけた。
「小和泉大尉。戦闘から離脱して下さい。一時撤退をします。」
「え、何でかな。楽しいのはこれからだよ。」
小和泉の声は弾んでいた。余程、戦闘が楽しいのだろう。蛇喰にその思考は理解できなかった。
「私の複合装甲が故障しました。修理のため下がります。」
「そうなの。なら仕方ないね。撤退するよ。先に下がっていいよ。そちらの動きに合わせるから。」
「では、任せます。8314、8312撤収します。月人を殺す必要はありません。速やかな離脱を優先しなさい。」
『了解。』
隊員達から了解の返答が入るが簡単には離脱できないことは理解していた。
蛇喰には全員が集合することを待つしかできないのだ。
二二〇三年四月二十九日 〇一五三 KYT西三十六キロ地点
「追跡中止。蛇喰の元へ戻るよ。敵に悟られない様に静かに戻るよ。」
小和泉は、月人二個分隊の尾行を取りやめ、蛇喰の元へと命令に従い素直に戻ることにした。
『了解。』
部下である三人から返答が入る。続いて、桔梗から問い合わせが入った。
「錬太郎様らしくありません。蛇喰少尉を無視して戦闘を楽しまれるかと思いました。」
「それは心惹かれる提案だね。今からでも命令を撤回してもいいかもね。
でもね、蛇喰の複合装甲が戦闘で故障した訳だし、衛生兵が必要だと思うのだよね。」
「故障であれば、衛生兵は必要ないかと思いますが。」
「あの蛇喰だよ。自尊心が邪魔して、負傷しているのを黙っていると思うよ。」
「わかりました。そこまでお考えでしたか。失礼致しました。ですが、排除する機会ではありませんか。」
「無能なら既に排除しているよ。まあ、少しばかり僕への意識が高い様だけど、蛇喰程度に絡まれても何も感じないよ。何だかんだで付き合いは長いし、戦友とは思っているけどね。だから、死なれたら後味が悪そうだよね。」
「隊長なら気にしない。そう思っていた。」
一個小隊に一名しか配属されない衛生兵である鈴蘭が告げる。
「そうでしたか。錬太郎様の御心に気付かず申し訳ありません。今後は蛇喰少尉への対応を上方修正致します。」
「よろしくね。」
「かしこまりした。」
「宗家。敵の気配が遠く離れました。離脱可能です。」
そこへカゴが話に割って入った。
「はい、じゃあ8314分隊の所に戻るよ。行動開始。」
小和泉はそう言うと静かに蛇喰達の元へ大回りする様に戻り始めた。
月人に追撃された場合に蛇喰達の位置を特定されない為の工夫であった。




