195.FKO実証試験 蛇喰の戦い
二二〇三年四月二十九日 〇一三八 KYT西三十六キロ地点
蛇喰達8314分隊は、南倉庫の棚区画を小和泉が居る方向へと進んでいく。
先の襲撃で戦力が分断された為、合流することを第一目標に定めていた。
全周警戒をしているため、歩みは遅い。月人が再び襲ってくる確率が非常に高いからだ。
保管棚の角に来る度に足を止め、死角を窺う。その繰り返しを行う為、小和泉との距離が中々縮まらなかった。
「小和泉大尉、そちらの状況はどうなっているのです。合流を待てないのですか。」
蛇喰は距離が縮まらない事に苛立ちを感じ始めていた。
「それがさ、月人二個分隊と交戦中なんだよね。敵の動きに合わせて移動しているから、そっちと離れちゃうね。」
と、倍の敵と戦闘中にもかかわらず、緊張感も無く、息を乱さず、普段通りに小和泉は答えた。
「わかりました。深追いは厳禁です。合流を最優先にして下さい。よろしいですね。」
「了解。」
蛇喰は小隊無線から分隊無線へと切り替えた。
「8312は交戦中のため、接近して誤射されぬ様に今の距離を保ちます。では、前進なさい。」
「援護に向かわなくともよろしいのですか。」
クチナワが皆の疑問を代弁する。
「不必要です。8312に近づけば、こちらが巻き込まれるだけです。
腹立たしいことですが、小和泉の動きを制限することになる可能性もあります。捨て置きます。理解できましたか。」
「了解しました。」
クチナワは、口では蛇喰の言い分を認めた。
―小和泉大尉の力量であれば、接近しても誤射の恐れは無いと思うのだが。―
声には出さず、心の中では蛇喰の判断を支持していなかった。それは、カガチもオロチも同じことを考えていた。
そんな8314の間に発生した些細な不協和音の隙を突かれた。
棚の上から四体の陰が落ちる。
蛇喰は咄嗟にアサルトライフルを両手で頭上に掲げ、攻撃を受け止める。
クチナワは、アサルトライフルを三点射し、敵の特攻を静止させる。
カガチは、大きく後ろに跳び下がり、飛び蹴りを避ける。
オロチは、振り降ろされる長剣を地面の上を転がり避ける。
月人の急襲により8314分隊は分散させられ、一対一の勝負へと引きずり込まれたのであった。
「警戒は何をしていましたか。」
「申し訳ありません。見逃したようです。」
「集合して戦線を形成します。」
「不可能であります。今、背を見せることはできません。」
「仕方ありません。各個で撃破し、すぐに応援に入りなさい。」
『了解。』
8314分隊は、月人に格闘戦へと引きずり込まれてしまった。
蛇喰は狼男の右貫手をアサルトライフルの銃身で受けていた。
狼男は即座に銃身を掴み、左貫手を放つ。掴まれた銃身を支点に銃床で貫手を受けた。狼男は銃床も掴み、蛇喰を力任せに押し出し、棚とアサルトライフルにより挟み潰そうとする。蛇喰は銃把から手を離し、銃身と銃床を握りしめる。不本意ながら、蛇喰と狼男の力比べの構図となってしまった。
部下達も一対一の格闘戦を繰り広げており、救援に入る筈の小和泉率いる8312分隊も違う場所で戦闘行動を行っているはずだが、周囲の状況を確認する余裕も無い。
今、目の前の狼男に対処できるのは己自身だけだった。誰にも頼れないのだ。
蛇喰は、懸命にアサルトライフルを押し返し対抗する。
アサルトライフルを挟み、懸命に押し返す蛇喰だが、足裏を滑らせる様に少しずつ後退していく。狼男は鋭い牙が並ぶ咢にて何度もアサルトライフルを越えて噛みつこうとするが、蛇喰はアサルトライフルを少しずつ持ち上げ、角度を変え、狼男の攻撃を邪魔する。
蛇喰はモニターを一瞥する。複合装甲の機能は正常に稼働し、最大出力を発揮していた。
―この私が格闘戦に陥るとは不覚です。それも獣風情に押し負けるなど許せません。―
蛇喰は狼男の力に拮抗できる姿勢を無理に作りだした。
「音声認識開始。」
モニター上部に音声認識中と表示される。
「スパイク展開。」
音声に遅れることなく、複合装甲の足裏から振動が伝わる。
滑り止めに使用する数本のスパイクが靴裏から飛び出し、床面に深く突き刺さった。蛇喰の後退が止まる。その分、各関節への負荷が一気に増大する。
「全関節固定。姿勢維持。」
モニターに表示されている人型の関節部分が全て黒く塗り潰され、関節固定と表示された。
これにより蛇喰が力を抜いても複合装甲は現在の姿勢を全力で維持し続ける。
「右腕、複合装甲解除。」
蛇喰の右腕が複合装甲から解放された。手袋の様になっている指先を素早く複合装甲から引き抜いた。蛇喰のその姿は、三本腕の人間の様だった。
「小銃機関部、固定解除。」
アサルトライフルから小さなモーター音と共にカチッという音がした。
すでに蛇喰の右腕はアサルトライフルの銃把を掴んでおり、一気に引き抜いた。
銃把と共に引き金と直方体が抜け、アサルトライフルから現れたのは拳銃だった。
蛇喰は即座に狼男の心臓に照準を合わせ、引鉄を引いた。
直方体の先端にある銃口から光弾が三発発射され、狼男の胸部の獣毛を黒く灼く。しかし、獣毛は防弾性能を発揮し、致命傷どころか皮膚にも達しなかった。
アサルトライフルには、エネルギーの増幅機構や冷却機構等が組み込まれている為、月人を貫通することは容易い。しかし、拳銃はエネルギーを発射するだけの機能しかない。人間を殺すには十分な威力を持っているのだが、月人に対しては明らかな威力不足だった。蛇喰が選択できる武器はこれしかなかったのだ。
銃剣やコンバットナイフでは、人間の通常の筋力では月人の皮膚を貫けないことは明白だった。
「死になさい。」
蛇喰は何度も何度も繰り返し、拳銃の引き金を引く。一度引く度に三発の光弾が狼男の胸を抉る。すでに数十発の光弾が狼男の胸に叩き込まれている。
威力が足りないのであれば、数で補うしかない。
「グォッ。グフ。」
狼男が苦痛の鳴き声を上げる。しかし、蛇喰を押し潰そうとする力を緩める気配は無い。
攻撃を緩めた方が負ける戦いであり、負けた者には死しか待っていない。
蛇喰は狙いを切り替えた。アサルトライフルの上に拳銃の銃口を乗せ、狼男の顔を狙い、引鉄を絞り続ける。威力が足りないのであれば、弱点となる耳鼻口の開口部や眼球などを狙えば良いのだ。
次々と銃口から光弾が発射され、狼男の顔へと叩き込まれる。鼻を焼き、眼球を蒸発させ、牙を溶かし、耳を吹き飛ばし、舌を焼き千切る。
みるみる狼男の顔が破壊されていく。だが、狼男は腕の力を弛めない。蛇喰を挟みつぶそうと全体重をかける。複合装甲の関節から可動部分が擦り合わさる軋む音が聞こえる。
『過重負荷増大中。危険域突破。』
モニターの複合装甲の関節部に赤い表示が一斉に点る。それは複合装甲の悲鳴だった。
拳銃は、短時間の間に連射しているためか、銃口部分が灼熱化し、銃把にまで熱が伝わり始めていた。拳銃も悲鳴を上げているのだ。
それでも蛇喰は引き金を引き続ける。
光弾は狼男の顔の獣毛を焼き尽くし、筋肉も焦がし尽くした。頭蓋骨が剥き出しとなるも蛇喰は引き金を引き続ける。
何十発目かの光弾が、ようやく骨を砕き、脳髄を吹き飛ばし始める。それでも蛇喰は熱さに耐え、引き金を引き続けた。狼男の力が弱まらなかったのだ。
蛇喰は、引鉄を引き続ける。野戦用手袋をしていても拳銃の熱が掌を焼き始める。
だが、脳を失っても狼男の力は弱まらない。複合装甲の内部から糸が切れる様な音が次々と響く。
複合装甲の各所に赤い光が点る。故障個所の増加が止まらないのだ。
『警告。破損個所増大。機能低下及び喪失。』
モニターに警告表示が出る。
これ以上、故障個所が増えれば、複合装甲の機能停止も目前だった。複合装甲の機能が止まれば、目の前の狼男が息絶えねば、蛇喰は殺されるのだ。
「しつこいです。死になさい。私はここで死ぬ男ではありません。」
蛇喰は掌が焼ける苦痛に耐えながら吠え、引き金を絞り続ける。
光弾は狼男の頭蓋骨を削り続けた。




