194.FKO実証試験 再評価
二二〇三年四月二十九日 〇一二三 KYT西三十六キロ地点
蛇喰の周囲は、部下に守られているとはいえ、一番に狙われる可能性は否定できない。
指揮官を狙うのは、戦いの定石だからだ。これは月人にも当てはまった。どの様に判断しているのかは不明だが、月人達が現場指揮官を優先して狙う傾向にあるのは事実であった。
戦闘本能に突き動かされ、目の前の敵を襲う者も多数いることも事実ではあった。
指揮官が自然種であり、兵士の多数を占める促成種に比べ、動きが遅く、力が弱そうに見えるのが原因ではないかという仮説があった。
自然種は複合装甲の増幅機能により、元の身体能力の俊敏性と筋力を三倍にまで引き上げ、月人と対等の力を得た。人造人間である促成種は、遺伝子改良により生まれつき自然種の五倍に増幅されている。医学的及び技術的には、もっと高く増幅できるのだが、体組織がその増幅された力の反動に耐えられず、己の力で己自身を破壊することが分かっており、五倍に抑えられることになった。
五倍に筋力などが引き上げられているとはいえ、プロテクターなどの装備重量は百キロ近いため、純粋に五倍の力を利用できるわけではない。複合装甲を装備した自然種と月人より優勢程度に制約されていた。
促成種が複合装甲を装備すると身体機能が増幅されるかといえば、それは逆効果にしかならなかった。複合装甲の最高出力よりも促成種の最高出力が圧倒的に高い。ゆえに装備をしても出力を自然種の三倍に抑える枷にしかならなかった。ゆえに促成種には、増幅機能を取り去ったプロテクターのみが支給されているのであった。
その仮説が、蛇喰の記憶の底から浮き上がり、思考を浸食していく。
再び、自分の心拍数が少しずつ上昇していくのを、心臓が教えてくる。聞こえるはずの無い鼓動音が幻聴として脳内に響く。
―これは恐怖ではありません。興奮しているのです。そうです。戦いに心が荒ぶっているのです。―
視界の片隅に何かが動いた。蛇喰は即座にアサルトライフルを向ける。
だが、ガンカメラには何も映らない。素早く周辺を探すが何も無かった。警告表示も無かった。
―気のせいでしょうか。少し気が昂ぶりすぎですね。この様なことで取り乱すなど恥ずべき事です。気を落ち着け、先に進みましょう。―
蛇喰は息を大きく吸い、吐こうとした瞬間、世界が揺れた。両足首の後ろから強い衝撃を受け、足裏から地面の感触が消失し、空中に浮かぶ。地面からの支えを失った身体は、背中から無様に倒れていく。
先程まで蛇喰の首があったところを棒状の物が凄まじい速度で通過する。仰向けに倒れ始めている為、ヘルメットのバイザーを掠めそうになった。
ゆっくりと蛇喰の身体が背中から床へと落ちていく。蛇喰を襲った棒は、棚の裏側へと消えていく。その間に蛇喰は状況を全て悟った。
背中から複合装甲とコンクリートの床が弾け合う音が響き、時の流れが戻った。
複合装甲が全ての衝撃を吸収し、蛇喰に痛みを伝えることは無かった。
「敵襲。三時方向。棚裏。撃て。」
蛇喰は床に寝たまま命令を下した。クチナワ、カガチ、オロチの三人は、敵がいると思われる場所へアサルトライフルを連射する。
蛇喰も寝転がったまま、棚にある部品の隙間から射撃を加えた。
身体に染みついた反射反応だった。倒れ落ちる間に状況を把握し、正しい命令を無意識に下していた。
「撃ち方止め。クチナワ軍曹、オロチ上等兵は状況確認に行って下さい。」
「了解。棚裏に回ります。」
クチナワとオロチが月人捜索のため、棚を迂回し始めた。
「小和泉大尉。そちらから何か確認できましたか。」
カガチが周辺警戒をしている横で蛇喰は、床から起き上がり体勢を立て直した。棚から距離を取り、攻撃が届かぬであろう場所に立つ。
「蛇喰の見事なこけっぷりなら見たよ。他は確認できなかったかな。」
「小和泉大尉。ふざけない様に。」
「ふざけてないよ。見事な足払いだったよね。さすが、歴戦の勇者クチナワだよね。上手に両足を刈り上げて、攻撃を躱させたよね。」
「そうですか。クチナワ軍曹が私を救いましたか。恐らく、攻撃は兎女による長剣の一振りでしょう。」
「僕もそう思うよ。」
「しっかり見ているではありませんか。やはり、ふざけているとしか思えません。」
「そんなことはないよ。今も敵を追いかけているところだよ。」
しれっと、小和泉は重要なことを告げた。
「あなたという人は。もうよろしい。無駄話はここまでです。あなたの現在位置は、戦術モニターでわかります。敵予測位置を伝えなさい。」
「まだ、わかんないかな。あとでね。」
「では、分かり次第、報告をして下さい。」
「りょ~か~い。」
小和泉の楽しげな声をこれ以上聞くのは不愉快だったため、蛇喰は追及を止めた。
―今、追及したところで何の益もありません。結果をみせてもらいましょう。―
「クチナワ軍曹、問題が無ければ戻りなさい。」
「了解。戻ります。」
―さて、クチナワ軍曹には、キチンと言わなければなりませんね。―
蛇喰はクチナワ達の位置を戦術モニターで確認する。敵と誤認しない為だ。二つの点が近づきつつあった。クチナワとオロチを示す点であった。
「クチナワ、オロチ、戻りました。血痕や肉片は、確認できません。おそらく無傷でしょう。数も不明です。」
戻ってきたクチナワは見てきた状況を報告した。
蛇喰はクチナワの真正面に立つと、右手をクチナワの左肩に手を乗せた。
「クチナワ軍曹。私は物事をハッキリとさせる性格です。」
「はい、存じております。お叱りを受けることは覚悟しております。」
直立不動で答えるクチナワに蛇喰は首を左右に振った。そして、クチナワの眼をしっかりと見据えた。
「感謝します。貴方のおかげで命を拾いました。今後も貴方が最善と考える方法を遠慮なく行使して下さい。私以外にもです。」
「てっきり、お叱りを受けるものかと。」
「なぜ叱る必要があるのですか。貴方は命の恩人です。後頭部から床に落ちようと複合装甲を装備している限り、衝撃は吸収され怪我はしません。何か問題がありますか。貴方もその様に考えたのでしょう。」
「はい、その通りです。」
「ならば、戦友を救う為に全力を今後も出しなさい。私からはこの件について以上です。」
「ありがとうございます。」
「私は貴方に感謝されるいわれはありません。私が感謝しているのです。」
「ありがとうございます。」
クチナワの変わらぬ返事に蛇喰は、堂々巡りになることを感じた。
「よろしい。小和泉を追います。敵はそちらにいるのでしょう。十分注意して進みます。」
『了解。』
蛇喰達は戦術モニターに表示される小和泉達の方へ進軍を再開した。
8314分隊から今までの事務的な雰囲気が薄らいでいた。
蛇喰の事をクチナワ達が思っていた程、自己中心的な人物ではないのかもしれないという思いが生まれつつあった。
常に蛇喰を守る隊列を取ってきたが、それは指揮官として指揮を執りやすい場所にいたのではないか。中心に居るということは、全体に目が届くということでもある。
その様に考え始めると、職務に忠実な士官であるように思えた。
「おい、オロチ。お前どう見る。」
カガチは後輩であるオロチ上等兵へ直通無線を送った。
「わかんないっす。あれ、マジっすか。聞き間違えかと思ったっす。」
カガチとオロチも蛇喰が素直に感謝を表すとは思っていなかったのだ。
「俺達は、分隊長を勘違いしていたのか。」
「いやいや、一回で決めなくてもいいっしょ。たまたまっすよ。」
「そうだな。判断は保留にしておくか。」
「そっすよ。この賭けのチップは、俺達の命っすから。」
「違いない。命を託せる程の成果や実績を見せてもらってない。」
「かといって、狂犬の下に付くのはお断りっすね。」
「あれは、化け物だよ。化け物に付けるのは化け物だけさ。」
「ですよね。8312は規格外っすよ。小隊長も8312が特異すぎて編制替えできないって、本当っすか。」
「恐らく事実だろうな。だから、菱村大隊長も編制替えしないんじゃないか。狂犬についていける兵士なんて、あいつ等しかいねえよ。」
「二人とも作戦中です。直通無線は止め、任務に専念なさい。」
唐突に蛇喰の声が分隊無線に響いた。
「申し訳ありません。任務に専念します。」
カガチとオロチの雑談は強制終了し、探索任務へと戻った。




