191.FKO実証試験 蛇喰失態
二二〇三年四月二十九日 〇〇一一 KYT西三十六キロ地点
蛇喰達は廃墟を中心に広がる割れ目を利用し、荒野を静かに、そして速やかに移動した。
絶対に地表に身体を晒すことは無く、姿勢を低くし、廃墟へと確実に近づいていく。
その後ろ約百メートル離れ、小和泉達は追随していた。こちらはさらに静かに素早く移動し、蛇喰達の距離が詰まりそうになると一度立ち止まり、一定距離を保ち続けていた。
蛇喰は、相変わらず分隊の中心に居た。前に二人、後ろに一人に部下をつかせ、己の安全を保つ隊形をとっていた。
一方で小和泉は出撃に際し、戸惑ってしまった。
命令を出そうとすると、いつもの先鋒がいなかったのだ。
口から飛び出そうとする命令を即座に飲み込んだ。
―眠りし者に命令を出そうだなんて酷いよね。ごめんよ。君の事を忘れていない証拠だと思って許しておくれ。―
小和泉の脳裏に彼女の花の様に綻ぶ笑顔が浮かんでいた。
ここは戦場、感傷に浸る訳にはいかない。小和泉は呼吸を整え、気持ちを切り替えた。
「カゴ、僕、鈴蘭、桔梗の順で進む。」
『了解。』
その命令に従い、小和泉達は慎重に静かに気配を消して進んでいく。
周囲に動く物は無いか。何か音は聞こえないか。光る物は無いか。違和感は無いか。
蛇喰達の背を自分達の身を守るために、四方に気を配った。
だが、異変を感じることは無かった。他の分隊も同じ様であり、小隊無線は沈黙を保っていた。
何事もなく、蛇喰達8314分隊は廃墟の外壁近くの割れ目まで侵出した。
小隊無線に蛇喰達の荒い呼吸音が流れている。それが、緊張のためなのか、単なる息切れかは分からなかった。
この先からは荒野に全身を晒さなければ、廃墟に近づくことはできない。
息を整えるのと同時に改めて周囲の状況を確認する為に足を止めた。
「周辺警戒を更に厳にしなさい。少しでも見逃してはなりませんよ。」
『了解。』
蛇喰の命令に部下が反応する。続いて、小和泉へ確認が入った。
「8312。そちらの状況は。」
「8314の後方五〇にて待機。現在のところ、変化は認めず。」
「了解。安全確認後、外壁へ取り付きます。援護を頼みますよ。」
「了解。援護する。」
二人の会話は、それだけで終わった。蛇喰が一方的に小和泉への対抗意識を燃やしている。
士官学校の同期でありながら、大尉と少尉の階級差は大きかった。鹿賀山も同期で少佐になっているが、その素行と仕事へ取り組み、その能力において妥当だと判断していた。
しかし、小和泉は違う。前線では好き勝手に行動し、幾度も懲罰を受け、挙句に憲兵と顔なじみになる様な素行不良者だ。その様な者が大尉の階級にあることが許せなかった。
一方で戦闘力の高さと勘の良さだけは、悔しいことだが蛇喰も認めざるを得ない。ゆえに小和泉への当たりが強くなってしまうのだった。
さすがに、仕事中にその様な感情は一切持ち込まない様にしていた。
その様な感情に気を回す余裕があるのであれば、その余裕を己の安全に使うべきだと蛇喰は考えていた。
もっとも蛇喰が安全であるには、8314分隊が安全であることが必須であり、831小隊も安全であることが理想だった。
ゆえに仕事中の蛇喰に関して、小和泉達は不安要素を持ち合わせていなかった。
ただ、安全性を確保するのに誰の眼から見ても過剰な慎重さは、いただけなかった。のだが、結果として分隊は上手く機能しており、831小隊では現状を維持することにしていた。
「8314。これより外壁へ取り付く。」
「8312。了解。」
蛇喰の8314分隊が、地面の割れ目から慎重に身体を晒し、地表を匍匐前進し始める。目視面積を減らし、月人から見つからぬ様にしているのだろうか。
―あらら。慎重さも度が過ぎると滑稽だよね。外壁の死角へ走り込んだ方が身を晒す時間が少なくて安全だろうにね。射撃される可能性を忘れているのかな。それとも被弾面積を減らすために匍匐前進しているのかな。―
小和泉は蛇喰が地面にへばり付き、進む様子が名前の通り蛇の様に見えた。
―自分が蛇を喰うのではなく、蛇になるのか。名前負けしているよね。―
と、最前線ではあったが、蛇喰の微笑ましい動きにほっこりしてしまった。
小和泉は首を軽く回し、気持ちを切り替え、仕事に戻る。
「8312、裂け目終端まで前進。」
『了解。』
8314が待機していた場所へと、即座に移動を開始する。
無意識にアサルトライフルをいつでも撃てるように引鉄のすぐ上の本体へ指を伸ばして乗せる。日本軍の全員が漏れなく実行する。射撃時以外に引鉄に指をかけることや、トリガーガードの中に指を入れることは絶対に無かった。誤射をしない為に身体に染みついた習慣だった。
小和泉達は、四方に目を配りつつ、狭い割れ目を一列になって進み、8314が居た場所に辿り着いた。
「こちら8312。8314の後方二〇に待機。」
「8314了解。」
小和泉は割れ目からアサルトライフルの先端だけを出した。銃口の真横に付けられた照準用のガンカメラの映像を網膜モニターに投影し、周囲の様子と蛇喰達を確認する。
周囲に月人は映らず、蛇喰達が廃墟の外壁にへばりつく様子が映し出された。
そして、この割れ目から蛇喰達の元へ真っ直ぐ続く匍匐前進の跡が荒野にクッキリと残されていた。
「ここは駄目だ。8314の右二〇の外壁まで走る。二、一、今。」
小和泉の突然の命令と合図に桔梗、鈴蘭、カゴは遅れることなく、即座に反応した。四人は指定ポイントへ目指し一直線に走る。最前線で命令が下されれば、そこに疑問を挟む余地は無い。即座に実行に移すだけだ。
それに小和泉が「ここは駄目だ。」と言ったのであれば、間違いなく危険なのだ。桔梗達がその言葉を疑うことは無い。
小和泉は、月人に見つかろうと狙われようとも構わなかった。その場所に留まる事の方が命に係わると感じたからだ。
蛇喰達が残した跡は、小和泉達の居場所を遠くからでも教える目印になっていた。
危険しか感じなかった。外壁に貼りついた方が安全であるとしか思えなかった。まずはここから離れることが最優先事項であった。
ゆえに周囲を確認せずに、全身を晒す様な無謀な行動を起こした。
小和泉達は、予定ポイントの外壁へスライディングするかの様に全速力で滑り込んだ。
四人は素早く四方へ展開し、周囲へ気を配る。今の行動により、小和泉達の存在が月人に知られたはずだ。
―肉弾戦か。射撃戦か。どこから来る。―
831小隊に緊張が走る。些細な変化を見逃すまいと831小隊16名が警戒レベルを上げる。
背筋に寒気を感じる者、額に汗を浮かべる者、目を大きく見開き見透かそうとする者など、兵士達は様々な反応を示した。
息を潜め、二分程経過する。ただただ、見えない敵に恐怖する。
「報告。」
小和泉が一言だけ発す。
小和泉が何も指示しなくとも皆が役割を理解していた。
「桔梗、異常無し。」
「鈴蘭、異常無し。」
「カゴ、異常無し。」
小和泉の意図を理解した三人は、周囲の哨戒を終えており、状況報告を即座に上げた。
「僕も異常無し。警戒を継続。」
『了解。』
この無線通信により、831小隊の緊張は解けた。
小和泉が異常無しと判断したのであれば、問題は無いのであろうと皆考えたのだ。無論、それで油断をするような無能は831小隊には居ない。
一方で状況の一部を理解できていない者がいた。
「小和泉大尉。何の真似です。私達を殺す気ですか。」
蛇喰の怒気の混じった無線が入る。
「蛇喰。自分が通った跡を見てみたら。それから話を聞くよ。」
「いったい、なに、を。」
そこで蛇喰の無線がそこで途切れた。己の失態を理解したのだ。
「内部へ突入。隠れよ。」
蛇喰は、命令を最優先で下す。8314分隊は、即座にガラスも窓枠も無くなっている窓から飛び込み、または、かろうじて入口にぶら下がっている扉の隙間から中へ飛び込んだ。
「周囲を索敵。安全を確保。」
「クチナワ、異常無し。」
「カガチ、異常無し。」
「オロチ、異常無し。」
「よろしい。警戒を続けて下さい。」
と、蛇喰は言うと咳払いをし、小和泉への無線を続けた。
「ゴホン。申し訳ありません。私の失態です。ですが、ここから挽回してみせます。」
廃墟内部で上手く隠れたらしい蛇喰から詫びが入った。
「分かってくれたらいいよ。僕らも中に入るけど、撃たないでね。ちなみに中の状況はどうなのかな。」
「了解しました。内部は、広大な事務室の様です。敵影は確認できません。突入のタイミングはお任せ致しましょう。」
「はいは~い。じゃあ、入るよ。三、二、一、今。」
小和泉の掛け声に合わせ、8312分隊も同じ様に外壁に空いた穴から屋内へ飛びこんだ。
小和泉は、床にしゃがみ、周囲を見、近くに有ったスチール机へ素早く身体を隠した。視界の隅で部下の三人も小和泉と同じ様な動作を行っていた。
小和泉は、落ち着いて廃墟の内部を観察し始めた。
天井まで三メートルも無いが、体育館の様に広い部屋だった。コンクリート製の壁には窓や扉が幾つもあったが、原型を保っている物は何も無かった。ガラスや扉は吹き飛び、穴が開いているだけであった。
数十ものスチール机とスチール椅子が、乱雑にそして無造作に転がっていた。スチール机やスチール椅子も原型を保っている物は皆無だった。凹み、折り曲がり、ばらけ、そのまま本来の機能を全うできる物は無いようであった。
事務所には必須であろう情報端末やモニターの類は、何も見当たらなかった。残骸らしき物すら存在しなかった。小型、薄型、軽量であることが裏目に出たのであろう。
大災害の折に凄まじい暴風が吹き荒れ、砕かれたか、外へ吹き飛ばされたのだろう。もしくはその両方だろうか。
ゆえに暴風に舞う軽い物は、この部屋から全て消え去っていた。情報を引き出せるものは、何一つ残されていない様だった。
この部屋が、この廃墟が、何に使われていたのか推測させるものは何も発見できなかった。
ただ、死傷確率が確実に上昇しつつあることは間違いないだろう。




