189.FKO実証試験 作戦会議
二二〇三年四月二十八日 一六一九 KYT西三十六キロ地点
小和泉は自分の装甲車から降り、空を見上げた。
一年中変化しない分厚く灰色の綿が、地平線まで続く天井の様に覆っていた。この天井は、その先に煌々と輝く太陽がある筈にもかかわらず、その存在を遮断していた。
その為、昼夜の区別はほぼ無い。闇が広がる世界だ。雲がやや明るく照らされることにより、現在は昼間であることが分かった。
小和泉は、太陽の知識を有しているが、実物は一度も見たことが無い。雲の隙間など存在しない為だ。太陽を直視すると目が焼かれ、失明すると知識では知っているが、信じていなかった。この世界にそれ程の照度を持つ光源が存在しないからだ。
軍用の探照灯を直視したところで数分の間、網膜に残照が残り、視力が一時的に失われるに過ぎない。失明することは無い。
青空を知る数少ない生き残りの五十代以上の人々が、大袈裟に言っているものだろうと思っている。
古典映画や記録映像で太陽を見ても眩しそうであるが、目を焼かれる様な印象は全く無いからだ。
ちなみに五十代以上の人間が数少ないのは、大災害から地下都市への避難は若年層を中心に収容され、大半の中高年は地上に取り残された、いや、日本政府に見捨てられたからだ。
地下都市に収容できる人員は定められている。過剰に収容しても食糧不足や居住環境の維持などの諸問題が発生し、閉鎖空間での生活が破綻することが予測されていた。
対象者のみに避難マニュアルが圧縮データとして配布され、避難警報発令時のみ自動解凍され、内容を初めて見ることが出来た。事前に避難口や地下都市の場所を知る場所は、維持管理に携わる少数の者だけだった。
そして、マニュアルを持つ者でも地下都市へ警報発令時に避難できた人数は、日本政府の想定を下回った。収容人員に余力のある地下都市は、衝撃波が到達する間際まで収容できる限りの人間を収容した。
一方で定員に達した地下都市は、資格者が地上に残っていようと門を固く閉ざした。大勢の資格者が閉ざされた門の外で幾ら騒ごうとも開く気配は無かった。
資格者が通勤や通学などで都市間を移動する為、その事態は予測されていた。規程通りに地下都市の管理者達は実行しただけだった。良心の呵責を背負いつつ、地下都市を閉鎖したのだった。収容した人々を護るために。
そして、地上に取り残された人々は、その身を月の欠片の衝突の衝撃波とその欠片に粉微塵に吹き飛ばされ、人生を終えていった。
中高年でも貴重な知識や技術を持つ少数の者だけが、地下都市に収容される資格を持っていた。
その時に様々な事件が起きたのだが、小和泉には興味が無く過去を知らない。
中高年で資格を行使した者が、地下都市KYTで研究者や技術者として、地下深くの研究区画に引き籠っている。
ゆえに地下都市内で年長者に出会うことはほぼ無かった。彼等には若年者に出会う勇気が無かった。誰かの代わりに自分が生き残ったという負い目を背負っていた。
もちろん、何事にも例外はある。先日、小和泉を呼び出した研究者の様に負い目を感じない者も居た。
―あの付き合わされた実験、役に立ったのかなぁ。どうでもいいか。今は目の前の現実に向かい合おうか。―
と研究に熱心であった研究者を思い出したが、すぐに興味を失った。
小和泉は、空を見上げるのを止め、8311分隊の装甲車へと歩み出した。
鹿賀山がいる8311分隊の装甲車に乗り込むと、一番に東條寺が笑顔で小さく手を振ってきた。
周囲の目を気にして、目立たない様に本人は手を振っているつもりだった。
しかし、それは徒労だった。ここに居る全員が気付いた。この狭い車内で気付かれない訳が無いのだ。
何年も厳しい最前線で戦ってきた猛者ばかりだ。些細な変化に気付かないはずが無い。
まだ経験が浅い井守ですら、即座に気がついた。経験が浅いといえども、新兵と比べるも無く、過酷な経験と実績を積み重ねており、古参兵に近い鋭敏な感覚が育ちつつある。
だが、東條寺の行動を非難や注意する者は居なかった。いつ死ぬか分からぬ現状、その程度のことは、第八大隊では許された。
多少の軍紀の弛みに目をつぶるのが、第八大隊の隊風だった。
それは、大隊長である菱村が功利主義、つまり皆が幸せであればそれで良いという考え方を持っていることが影響していた。
蛇喰はその風潮に対して、苦々しく思っていた。しかし、上官の方針である為、表だって反論はしなかった。これが小和泉絡みでなければ、何も感じなかったであろう。
小和泉は、東條寺のヘルメットを窘める様に軽く叩くことで応えた。その対応に東條寺は不満気に口先を尖らせて拗ねた。
8311分隊の装甲車の後部座席は床面に収納されていた。後部座席の部分と荷室を含め広くなった後部空間に鹿賀山と分隊長三人と東條寺達は、補給物資が詰まったコンテナに腰かけたり、床に胡坐をかいたりし、車座になっていた。小和泉が最後であった。
どうやら、外で空を見上げている間に蛇喰と井守は、装甲車に乗り込んでいた様だった。
東條寺に腕を引っ張られ、隣に空いていた空間に座り込んだ。複合装甲を着込んでいる為、胡坐も正座もできない。三角座りを崩した姿勢をとるしかなかった。
「よし、これで全員が揃ったな。会議を始める。議題は廃墟の扱いについてだ。」
鹿賀山は周囲を見渡し、会議の開始を宣言した。同時に床に置かれたモニターには戦術マップが映し出されていた。そこには、831小隊の現在地とその周辺の地形図と廃墟の輪郭が表示されていた。
「現在までの情報は、総司令部へ送信済みです。この戦術ネットワークに構築された三次元情報は、最新の情報を反映させたものを表示しています。」
東條寺が端末を操作し、総司令部が情報解析をした最新情報を呼び出していた。
「やっぱり議題はそれだよね。撤退するか、本隊の応援を待とうよ。あそこ、月人が溜まってそうだよ。」
小和泉は、立体映像の地表から剣山の様にせり出す廃墟を指差す。面倒事を押し付けられることは明白であろう。一番に逃げの手を打った。
「待ちなさい。小和泉大尉。その発言は後ろ向き過ぎます。調査を済ませるのが本筋でしょう。調査をしてから、撤退か応援を呼ぶかの判断をすべきです。」
手を抜きたがる小和泉へ日頃から対抗心を燃やす蛇喰が諌める定番の光景が現れた。
「あ、あのう。自分も、廃墟が有りました。とりあえず、応援に来て下さいは、無理があると、思うので、ありますが。」
と恐る恐る井守が蛇喰を擁護する。
「井守准尉の言う通りです。撤退するにせよ。応援を呼ぶにせよ。具体性を伴うべきです。ゆえに廃墟に近づき、状況を確認すべきでしょう。月人が確認できない場合、内部調査も実施すべきです。」
井守の意見にすかさず蛇喰が同調する。小和泉の消極案を潰したい様だ。
「でもね。こっちは一個小隊十六人だよ。月人が百匹以上居たりしたらさ。ね、怖いよね。だから、大隊の合流を待とうよ。菱村中佐も新兵の実地訓練をしたい頃だと思うなぁ。」
小和泉は、勝てるとも負けるとも敢えて言わなかった。
恐らく装甲車を上手く運用できれば、百匹の月人には勝利できるだろう。だが、それを匂わせるわけにいかなかった。怖いという言葉で誤魔化し、偵察任務が発生しない方向へと意識を向けさせたかった。
「おやおや、狂犬と呼ばれるあなたが怖いと発言するとは悲しいですね。ですが、外からならば、気付かれずに月人の存在は確認できるでしょう。
応援を呼んだとしても月人が駐留しており、先に発見されれば、応援が来るまでに当方に損害が出るかもしれません。先に敵の有無を知るべきでしょう。
ですが、こちらには装甲車が有ります。百匹程度であれば、十分勝算はあります。問題無く、偵察任務を実行できますので、安心して下さい。」
蛇喰に小和泉の考えは、見透かされていた。反論の材料が即座に出てこない。やはり、小和泉には論戦の才能は無いようだ。
しばしの沈黙が続く。今、出された意見をそれぞれが吟味しているのであろう。




