187.FKO実証試験 未踏領域進出
二二〇三年四月二十八日 〇八五六 KYT 第八大隊控室
昨晩、鹿賀山からの要請を受け、菱村は安全性を考えた結果、第八大隊にて出撃し、試験小隊である831小隊を護衛するつもりであった。
新兵の訓練は終わっていなかったが、実地訓練にすれば良かろうと考えていた。
小和泉の喝により新兵の心構えもマシとなり、ようやく前線に何とか出せるレベルには鍛え上げていたためだ。
また、一切進んでいない水上試験は、地下都市の最下層にある水量豊富な長蛇トンネルを使用すれば良いだろうという結論に二人は達した。
その様に総司令部へ夜のうちに上申書を提出したのだが、翌日の始業前には返信が入っていた。
菱村が予測していない総司令部の反応の速さであった。
「即断即決はありがたいが、この速さは期待できんな。検討したのか疑問が残る速さじゃねえか。」
大隊控室の大隊長席でコーヒーを飲みながら、菱村は呟いた。
その声は副長の耳に届いたが、反応すべきではないと判断し聞き流した。
上層部の判断が速い時は、得てして望まぬことが多いからだ。
―二十四時間眠らん総司令部ゆえに検討する時間はあったんだろう。
しかし、十時間もかからず決断するってえのは頂けねえ。将官クラスまで稟議は上がったのか。当番の佐官が決めたんじゃねえだろうな。
まぁ、それはねえか。さてと、総司令部の返答はっと。―
端末を操作し、総司令部からの返信を開いた。
総司令部からの返信は次の通りだった。
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二二〇三年四月二十八日 〇八〇〇
発 日本軍総司令部
宛 第八大隊大隊長菱村中佐
題 上申書に対する回答
第八大隊は早急に編制訓練を終え、月人の襲来に備えるべし。護衛の必要性を認めず。
831小隊は、単独にて現在の任務を継続せよ。
831小隊が敵対勢力と遭遇した場合は、全力にて戦闘を回避し、敗色濃厚であると判断される場合は帰還を認める。確実に敵を撃破できる場合、または偵察の必要があると判断される場合は、小隊長の判断に一任する。この判断に総司令部は、異議を申し立てない。
総司令部は、この試験を速やかに完遂されることを期待する。
上申を却下した理由は、次の通りである。
831小隊単独出撃であれば、その身軽さ及び実力をもって戦闘回避を確実にできると考えられる。また、試験結果及び試験体の持ち帰りを実施できると判定する。
現在の未熟な新兵を含む第八大隊では、それらは困難なものになるであろう。
ゆえに第八大隊全隊による出撃は却下し、831小隊の単独出撃を続行とする。
なお、長蛇トンネルの使用は却下する。この却下理由は開示できない。
試験の成功を祈る。
以上。
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「はぁ、参った。やっぱりか。」
菱村は後頭部の髪を掻きながら、鹿賀山へ総司令部からの回答書を転送した。
それに気付いた鹿賀山は、すぐに回答書を開き、目を通すと落胆した。だが、すぐに背筋を伸ばし立ち上がった。予測される内容であったのだろう。
しっかりとした足取りで鹿賀山は菱村の前に立った。
「了解致しました。831小隊は〇九〇〇。昨日同様に出撃致します。」
「すまんな。力になれんかった。気つけて行けや。いつでも援軍を出せるようにはしておいてやる。」
「ありがとうございます。その時は、遠慮なく宴にお呼び致ししましょう。」
「おう。暴力に酔いつぶれた坊ちゃん達を迎えに行ってやる。」
「では、失礼致します。」
鹿賀山は敬礼した後、振り返り、部屋の壁が震える様な大声で命令を発した。
「831小隊、出撃。」
『了解。』
831小隊隊員が一斉に立ち上がり、鹿賀山へ敬礼をする。その衣擦れの音が控室の空気を引き締める。
831小隊の一日が始まったのだ。
二二〇三年四月二十八日 一五一四 KYT西三十五キロ地点
831小隊は、昼過ぎに補給のため一時的に地下都市KYTへ戻り、KYTの西方三十五キロ地点まで再進出していた。
今も小和泉が苦手とする、地味な作業で主業務である通信ケーブル敷設作業に従事していた。
といっても、小和泉がするべき事は無い。運転は鈴蘭。敷設作業は桔梗。哨戒はカゴが担っているからだ。
装甲車から降りて作業するのは、装甲車の後部に繋がれたケーブルの終端と敷設済みのケーブルの終端を手作業にて接続する数分だけだ。この時、接続作業をする桔梗の護衛として小和泉も装甲車から降りる。それまで、特に出番は無い。薄暗く塵が空中に浮遊する岩と砂の荒野を眺める位しか、すべきことは無かった。
これも哨戒任務と言えないこともない。
以前であれば、早く月人と対峙し、格闘戦を行うのを楽しみにしていた。だが、その様な気分にはならない。恐らく、今後も楽しむことはないのだろう。
が、安全を確保してからの兎女への楽しみは別の話だ。こればかりは止められそうにない。人間とは全く違う抱き心地が、理性より色欲が上回った。
しかし、月人と戦闘になれば、気付かれる前に即座に斃す。小和泉はそう決めていた。
今までは、遊び過ぎだった。鉄狼との死闘ですら心の隅では、正面切っての全力格闘に喜びを感じていた。持てる技を発揮できるからだ。
今後は、派手な技は使わず、表の金芳流空手道ではなく、裏の錺流武術で暗殺者めいた戦いをするのだろうと考えていた。
これ以上失わぬ為に。
831小隊は、過去最遠の進出記録を達成した。日本軍で西方三十五キロ地点に達したのは初めての事だった。
もしかすると、過去に誰かが達成しているのかもしれない。しかし、帰還した者がいないため、未達と同じことだった。
「傾注。これからは未踏領域に入る。今まで日本軍、いや生存人類が足を踏み入れたことが無い領域へと進出することになる。進出速度は通常の半分に抑え、装甲車が巻き上げる砂塵を出さぬ様に注意せよ。また、全周囲警戒を密にせよ。通信ケーブルは真っ直ぐに伸ばすだけで良い。網の目に張る必要は無い。総司令部と通信ができれば良い。
なお、実証試験は中断とし、灯火管制を実施せよ。偵察任務及び現地調査を主目的とする。
敵に気取られるな。こちらが先に見つけよ。些細なことでも即時報告を上げよ。
以上だ。」
小隊無線から鹿賀山の落ち着いた声が流れてきた。
「8312了解。」
「8313了解。」
「8314了解。」
各分隊長は即座に応答した。予想された命令であったため、戸惑いは誰にも無かった。
「速度半速へ。外部照明、全て消灯。全銃眼及び開口部の閉塞。外部カメラ及びセンサーの光源も落とせ。」
鹿賀山の命令に従い、小和泉は指示を出す。
「時速二キロに低下。外部照明、電源切断確認。外部映像、全周囲モニターから網膜モニターへ切り替え。」
鈴蘭は装甲車の速度を落とすと同時に、前照灯や尾灯等の電源を切った。これでブレーキを踏んでもブレーキランプが点灯することは無い。窓ガラスの様に外の景色を表示していた装甲車の全周モニターは電源が切られ、車内は一気に薄暗くなり、四人の手元を照らす車内照明のみとなった。
全周モニターが切られた為、装甲車の四方の壁はただの複合装甲板になってしまった。
鈴蘭の網膜モニターには運転に必要な外部映像と速度計、方位計、車両傾斜計が表示された。首の動きに連動して網膜モニターの外部映像は追随する。視界は狭くなったが、時速二キロという低速であれば、運転に支障は無かった。戦闘機動であれば、恐らく狭い視界から目標が即座に消え、運転に支障をきたすのは明白だった。
「全銃眼及び開口部の閉塞を実施。作動確認。車内の光源は外部に漏れません。」
桔梗は、装甲車に備え付けられている銃眼及び開口部の閉塞状態を目の前の端末にて操作し確認する。開口部であるカメラに不都合が生じた時の覗き窓や装甲車側面に付けられている半球形の索敵用アクリルドームなどが装甲板に包まれていく。
「装甲車付随の各種光源、切断を確認。索敵能力が大幅に低下。目視のみによる哨戒に移行します。」
カゴは、装甲車の各部に取り付けられているカメラの状態を確認し、光源を発するセンサー類の電源を切っていく。目視は車載機関銃の照準用カメラを流用している。これも網膜モニターに投影し、操縦桿で機銃の旋回やカメラの望遠、広角の操作を行う。発砲を必要する場合、照準を兼ねている為、引鉄を引くだけで即座に攻撃を開始できる。
それぞれが役割を果たし、その結果報告を上げた。
三人の報告を聞き終えた小和泉は、装甲車内に残った手元を照らす四つの照明灯を消した。
車内は情報モニターと各種スイッチの明かりにより四人の輪郭が見える程度になった。
この暗さであれば、銃眼から射撃戦を行っても車内の明かりは漏れないだろう。
それに暗視機能は、全てのカメラに内蔵されており、画質は落ちるが視界を確保するのに問題は無い。
「さてと。みんなが聞いたようにここからは僕達が知らない世界だね。地図も無いし、頼りになるのは、今まで自分達で引いてきた通信ケーブルだけになるね。これが切断すると援軍も呼べないし、帰還する事すら難しくなるから、充分注意していこう。深く静かに進むよ。」
『了解。』
831小隊による未踏領域への進出が始まった。




