179.〇三〇四一四演習 悪鬼羅刹
二二〇三年四月十九日 一六三一 KYT 西部塹壕
戦術モニターの表示によると後続の分隊は未だ小和泉達に追い付かない。鹿賀山達は、銃撃を丁寧に避ける様に塹壕を縦断しており、合流は小和泉が立ち止まらない限り不可能な様だ。
小和泉は後続を一瞥もせず、進撃を続ける。塹壕を走る足は止まらない。
小和泉は、最初から二個中隊を8312分隊だけ処理するつもりであった。四月一日に投入された正規の教育をされた促成種の正規兵と教育課程を一年分飛ばされた促成種の即席新兵では、戦闘力、いや兵士として大きすぎる違いがあった。たった一年の教育課程の有無が兵士の質を大きく変えていた。
―一年で見違える程、鍛えられるのか。鍛錬に取り入れられたら、僕はもっと強くなれるかな。まぁ、すぐに殲滅できる程度なら知らなくてもいいかな。―
最終年度の促成種の兵学校は、どれほど厳しい教育を施しているのか小和泉は気になったが、促成種の育成方法に関しては、軍事機密になっており、情報公開は一切されていない。
また、促成種の兵士に教育方法をたずねる事すら禁止されている。
十二分に8312分隊のみで二個中隊を壊滅させる自信、いや勝算が有った。古参兵、正規兵、新兵を標的の優先順位にすれば、問題無く殲滅できる。
正規兵は童貞では無かった。間違いなく人を殺している。一人や二人では済まないだろう。古参兵の経験に基づいた考えや動きに対応している。例年通りの性能を発揮しており、即戦力と呼べる力を持っていた。これは毎年補充されている正規兵と同じ基準を満たしており、古参兵達は何も疑問を感じなかった。それが当たり前だからだ。
対して、新兵は違った。完全な童貞だった。古参兵や正規兵の考えが理解できず、戦闘教本に準じた動きをした。
全ての動きが戦闘教本通りであり、誰の目にも動きが予測できる拙いものであった。そして、人を撃つという行為に躊躇いが感じられた。必要な時に迷うことなく引鉄が引けねば、自分をそして戦友を危険に晒すことが分かっていない。
これでは戦力としての価値は無い。このまま、月人と戦争を行なえば、戦線が簡単に瓦解することは明白だった。
こんな中途半端な戦力がなぜ投入されたのか、古参兵の間で疑問が生じていた。しかし、どこに問い合わせようが、答えが返って来る事は無いことも同時に理解していた。
第八大隊の兵士達は、正規兵と新兵の大きな違いをこの数日の演習で嫌になる程、理解させられた。
大隊司令部が新兵を早く使い物になるように演習を続ける理由が痛いほどわかった。
今のままでは、月人と一度合戦するだけで簡単に綿菓子の様に第八大隊が溶け去ることは明白だった。自分達の生命の危機だった。
一日でも早く、新兵を盾程度に使えるようにしなければならないという共通認識が、大隊司令部と古参兵の間で芽生えていた。
先の戦闘で爆破された西部塹壕は、一から作り直され、今まで以上に複雑に折れ曲がったものになった。
折れ曲がった塹壕は、敵の速力を落とし、爆風を曲がり角によって抑えることにより被害の拡大を防ぐことができる。
だが、見通しが悪く、不意の遭遇戦になりやすく、隣の戦区の状況を即座に把握できない。
静かに敵に侵入された場合、気付かない事も有り得るだろう。知らぬ間に隣の戦区が全滅している可能性があった。
それに月人は爆発物を使わない。爆風避けは不要だ。
言ってしまえば、明らかに設計ミスだ。設計者は対人戦の塹壕を作ってしまった様だ。総司令部もこの様な塹壕の設計に承認を与えるなど無様なことをしたことに気付いていない。
だが、菱村率いる第八大隊司令部はこの欠陥に気付いている。
作業前に意見具申をしても通じない事も分かっている。
前線を知らぬ者と知る者の差だ。この差は絶対に埋まらない。
ゆえに命令通りに土を掘ったが、土の硬化処置や複合セラミックス板等を使用した補強作業には入らなかった。作り直す必要があるからだ。
そんな欠陥塹壕の弱点を利用した小和泉は、出合い頭の兵士を続々と無力化していく。新兵の手足が逆方向に折れ曲がろうが、内臓がはみ出そうが気にしない。ただ、首と背骨を圧し折る事だけは控えた。これは死にやすい。生き残っても重大な障害が残る恐れがある。それだけが理由だった。
痛みに苦しもうが、恐怖を感じ様が小和泉の感知する事ではない。人を壊してよいという命令に忠実に従っているだけだ。
こんな楽しい命令を無視するはずがない。小和泉は活き活きとしていた。
例外が一つだけあった。小和泉は、衛生兵を表す腕章を着けている兵士を放置し、一切手を出さなかったのだ。
衛生兵達は、苦痛で地面にのたうつ味方の応急手当に忙殺され、演習どころではなかった。さすがの小和泉も衛生兵まで無力化する様な無慈悲さは、持ち合わせていない。それに怪我されても、死なれても困る。
衛生兵の育成には、手間暇がかかることを小和泉も良く知っていた。医療知識と専門技術の習得には金と時間がかかる。銃を渡せば人殺しには簡単になれるが、救急セットを渡しただけでは使いこなせない。それが兵士の重要度の違いとなる。
幾らでも補充が効く新兵ならば、多少消耗しても良いだろう。だが、衛生兵をこの様なくだらない演習で壊すのは勿体ない。逆に救急技術の練度上昇の為に、練習する機会を提供できたと、自分勝手な結論に落ち着き、安心して新兵を壊していった。
小和泉は手加減を止めただけで、知性や冷静さを捨てた訳ではない。真面目に新兵を壊しているのだ。それが今回与えられた命令であるからだ。
小和泉の進撃速度は緩まない。曲がり角で出会う新兵を次々と斬り捨て、殴り潰し、蹴り壊す。銃剣の切れ味が落ちると敵の新品の銃剣と交換した。
小和泉は全力を出すと宣言したのだ。
死ななければ良いとも菱村大隊長から聞いている。遠慮は不要だ。
出会う兵士を効率を最優先し、笑顔を浮かべながら戦闘不能へと変えていく。
小和泉は全身にもれなく返り血を浴び、複合装甲の荒野迷彩はドス黒いものに浸食され、塗り替えられていた。攻撃の為ならば地面にも遠慮なく転がるため、さらに土や泥を全身に被り、複合装甲に付いた濡れた返り血が土を離さなかった。
ヘルメットに着けている白く長い兎耳もドス黒く染まり、可愛らしさは消えている。まるで鬼の角の様にしか見えない。
悪鬼羅刹。
姿形は、その言葉が相応しいのだが、誰の頭に浮かぶ言葉は、『狂犬』の二つ名だった。
鬼の恐ろしい顔ではなく、好青年の笑顔がヘルメットのバイザー越しに見えるのだ。
笑顔ゆえに狂気を感じ、鬼とは思えなかった。ゆえに『狂犬』。日本軍に小和泉の二つ名は深く浸透していた。
前回までの演習は、スポーツをしているかの様だった。
「次は勝つぞ。」
「連携はさっきより良くなったよな。」
と、牧歌的な雰囲気があった。
それが小和泉一人の本気により修羅場と化した。
「狂ってる。たかが演習だぞ。」
「ここまでやるか。」
「やり過ぎだ。狂った犬め。」
「囲め。四方から同時にかかる。」
「絶対に逃がすな。」
「狂犬をぶち殺せ。」
「狂犬は八つ裂きだ。」
「仲間の仇をとる。」
「たかが自然種が。」
今回の演習から、ようやく新兵は本気になった。殺気立ち、怨嗟、怒り、屈辱の声が大隊無線に溢れかえる。
つまらない演習を今すぐ終わらせたいという小和泉の些細な願望が始まりだった。
その願望がきっかけとなり、本当の戦場と見紛うばかりの殺伐とした世界、修羅場を生み出した。
西部塹壕の中は、第八大隊第一中隊所属の新兵による阿鼻叫喚に埋め尽くされていた。
小和泉の進攻を阻める者は存在しない。
古参兵は、待ち伏せや早い反応により即死扱いになることはほぼ無かったが、小和泉の重い拳と数合重ねるのが精一杯だった。
小和泉は、一撃目が防がれた場合、その防御で癖を読み、二撃目で虚を混ぜ、三撃目で必至を放った。必死ではなく、必至で留めたのは演習だからだ。必至は、必ず戦闘不能に至る攻撃だ。命までは取らない。
月人であれば、必ず死を迎える必死の一撃を放っている。
長く戦場にいる古参兵が三撃目で地面へと簡単に沈んでいく。
さすがに新兵ほど脆くは無いのだが、重篤な傷を負う前に自分から倒れていく者が多かった。
ここまでの力量差を見せつけられれば、古参兵は小和泉に勝てない事を、そして負傷する無駄を即座に悟るからだ。それに狂気に満ちた笑顔程、この世に恐ろしいものは無い。
単純にこんな演習で怪我をするのは馬鹿らしい。古参兵なりの正しい手の抜き方だった。
小和泉もその気持ちは理解できた。ゆえに自分から倒れた者には、追い打ちは加えなかった。
降参した者には用は無い。次の獲物へ向かう。
だが、新兵は身体能力に優れている促成種が、自然種に、それも肉体性能が物を言う格闘戦で蹂躙されることを良しとしなかった。何が何でも勝たねばならぬと意地になっていた。人類の進化の頂点である促成種が、自然種に負けるなど有り得ない事だと思い込んでいた。
もっとも、その意気込みも小和泉の前では、意味が無いものだ。出会う瞬間に一合で斬り伏せられるか、拳や蹴りの一撃で意識を刈り取られた。小和泉の後ろに残されるのは、戦友の血や己の血の海に沈む新兵達の姿だった。




