174.落ちていく日本軍
二二〇三年四月一日 一〇〇五 KYT 西部塹壕
総司令部は、正式な育成教育を終えた促成種の正規兵を予定通り投入した。
今回は、自然種の正規兵の投入は無期延期された。質が大きく違う兵士を同時に投入することは危険であると判定された。
まず、数の多い促成種を一人前に育て上げ、戦闘に使える様にすることが先決とされた。その間、自然種は士官学校及び兵学校にて訓練の日々を送ることになる。
自然種は、知識を機械的に書き込めない為、知識の習得に時間がかかる。軍を再編するにあたり、自然種は足を引っ張ると判断されたのだ。現場に投入するよりも教育に時間をかける方が現場の負担を抑えられ、投入時にはレベルの高い状態での働きが期待できた。
補充された正規兵よりも損失の方が大きく、日本軍を立て直すまでに至らなかった。
そこで総司令部は、早急に兵を補充する為、来年度投入予定である育成中の促成種を新兵として、一年前倒しで投入した。
これは諸刃の剣である。来年度に補充できる人員が居ないことを指し示していると士官を含む兵達は思った。
さらに総司令部より悪い知らせを受けていた。
補充される新兵の促成種は、肉体能力や戦闘知識に関しては問題無い。本来、一年かけて行うサバイバル訓練と戦闘訓練を行わない為、実戦能力が促成種の正規兵より数段劣るとの説明を受けた。
本日より投入された正規兵は、即戦力になる実力を持っていた。これは例年通りの実力を発揮し、古参兵を納得させた。
しかし、緊急投入の新兵は、即戦力にならない可能性があると総司令部のお墨付きがついてしまった。
総司令部は、人的補充に苦心していたのだった。それでも、その労苦は現場には理解されなかった。
例年より質の悪い新兵を引き渡された苦情が、大量に舞い込んでいたのだった。
今までの様に即戦力とはいかない新品の兵士が大量に配属されたことに兵士達の多数は頭を抱えた。自分達の命に係わる重要事項であり、容易に見過ごせない事態であった。
かといって、補充が無い定員割れのボロボロの隊では、日常任務の遂行すらおぼつかないことも明白だった。
総司令部は、不足している戦闘訓練を実戦で補うつもりだった。
だが、戦場の兵士達は実戦で生き残る為に、その事態は避けたかった。
月人が本格的攻勢を仕掛ける前に、正真正銘の新品で包装すら解けていない新兵を半人前以上に仕上げなくてはならない。実戦を生き残って、ようやく一人前と呼んでも差し支えは無いだろう。
急遽、促成種の新兵を放り込まれた各隊は、新兵教育に追われている。まず、軍の基礎から叩きこみ直し、いつ襲来するか分からない敵へ備えなければならなかった。
意外だったのが、狼の様な古参兵の中に放り込まれた哀れな子羊である促成種の数が、例年より五倍以上の人員であることだった。これにより第一から第七歩兵大隊と砲兵大隊等は定員に達した。
今までの戦闘で消滅した大隊は、新設大隊に等しく初陣では土嚢程度の盾にしかならないだろう。
しかし、一度でも実戦を経験し正気を保っていれば、使い物になることは長年の経験で分かっている。どれだけ生き残るかは不明ではあるが。
第八大隊には、第一・第二中隊のみ新兵が補充された。残念なことに喉から手が出るほど欲しい正規兵の補充は無かった。
それは、士官が他の大隊に比べ充足しており、戦闘力の高い正規兵を配属させるよりも新兵をあてがう方が、日本軍全体の質の低下を抑えられるという総司令部の判断だった。一個大隊だけが抜きんでた戦力を持つよりも均質化させるべきであるという戦略的概念から導き出された結果だった。
これには、菱村も納得せざるを得なかった。ゆえに上申書を上げることなく、総司令部の意向を受け入れた。もちろん、渋々であった。
小和泉が所属し、鹿賀山が率いる831小隊は、小隊として定員を満たしている為、新兵の補充は無かった。もともとカゴの加入により定員越えしていたのだ。一名の戦死者が出ても補充はされない。
この時、第八大隊を半個大隊から正規大隊への編成替えも総司令部で検討されていた。
しかし、兵士だけでなく、士官の戦死者数も多かった。指揮官が日本軍全体として不足している状況であった。
消滅した大隊に既存の大隊から士官を割り振るだけでもかなりの無茶をしていた。中隊や小隊の指揮経験が全く無い者までが任命された。
各大隊から小隊長や分隊長が少しずつ引き抜かれ、新設大隊の士官に仕立て上げなければならなかった。
その為、新兵の補充だけで済む様に、第八大隊は現状維持の半個大隊のまま据え置かれた。
総司令部もこれ以上の面倒事を抱え込みたくなかった。すでに過重労働であった。
数字の上では、日本軍は復活した様に見えた。
この促成種の大量増員が可能だった理由について、総司令部は頑なに口を閉ざした。
また、戦友である促成種の者に聞く者もいたが、同じ様に促成種達は、この件に関して一切の発言をしなかった。
それは、桔梗、鈴蘭も同じだった。
「なぁ、桔梗。今年は何でこんなに新兵がいるんだい。」
桔梗は小和泉と視線を合わせるが、表情も変えず、口も開かない。まるで普段の鈴蘭の様だ。ならばと標的を変える。何事も臨機応変さが重要だ。
「鈴蘭は、何か知っているのかい。」
鈴蘭は視線すら合わせず、口を開かなかった。まるで聞こえていないかの様な反応だった。
いくら小和泉がたずねても口を一切開かず、ヒントになる様な単語すら引き出すことはできなかった。それは、まるでマインドコントロールを受けているかの様にすら思えた。
小和泉は二人が理由を知っていることと、このことを絶対に話す意思が無い、いや制約がかかっていることを確信した。
促成種にとって、触れられたくない理か、過去なのだろうと割り切った。
結局、大量増員の謎は明かされなかった。真実を知るのは、総司令部と促成種達のみだった。
第八大隊は大量の新兵を受け入れたものの、菱村中佐と副長は困り果てていた。幸い、士官および下士官の多くは生存していた。その為、指導者は充足している。
とりあえず、完全に破壊された塹壕の復旧を新兵に行わせ、隊の雰囲気に慣れさせると同時に、各個体の個性を見極めることとした。
古参兵が監督し、新兵が塹壕を掘る。士官が欲しい人材に目をつけ、己の隊への編入を上申する。この方法により新兵の各隊への配置を決めていくことになった。あぶれた者は、大隊司令部が欠員のある隊へ適当に放り込むことになる。
「う~ん、副長。どう思う。」
第八大隊司令部の司令部仕様八輪装甲車の中で菱村は唸った。両掌でコーヒーが入ったマグカップを捏ねる様に回していた。もうすでにコーヒーは冷め、湯気は出ていない。
「新兵達の身体能力は高い様ですが、総司令部の言うように戦闘能力、いえ戦闘経験が全く無い様です。恐らく、一度も手を汚していないのでしょう。個性が見えません。正規兵ならば、個々の能力に合わせた体使いを見せるのですが、動きが画一的ですね。」
副長は、装甲車のマルチモニターを見渡しつつ述べた。そこには一生懸命に塹壕を掘る新兵の姿が映し出されていた。
「やはり、童貞か。」
「その様です。」
「面倒じゃねえか。死傷確率が跳ね上がりやがるな。どこまで鍛えられるんだ。」
「実戦でしか鍛えられないでしょう。」
「即本番か。やれやれ、経験がねえのに本番したら、すぐに昇天するんじゃねえか。」
「それを踏まえて、手ほどきをする必要があるでしょう。」
「手とり足とり、穴倉に誘導するのか。面倒なこった。で、敵の動きはあるのかい。」
「幸いにも、目立った月人の襲撃はありません。ケーブル敷設隊と散発的な遭遇戦が時折起こる程度の様です。」
「情報がねえに等しいな。先の戦いで敵も大量の犠牲を出した。あれで全滅したのか、それとも、立て直しを図ってやがるのか、分からんか。これは参った。」
菱村はマグカップを机に置き、背もたれに体重をかけると、腕を組み、静かに無機質な装甲車の天井を見上げた。
「第一、第二の中隊長、小隊長に指導を任せる。訓練中に死者が出ても仕方ねえ。さっさと大人の階段を登らせろ。責任は俺が、いや副長でいいか。」
副長の眼光が薄暗い装甲車の中で一際輝く。
「怒るな。冗談だ。俺の責任だ。無茶をさせろ。形だけでも仕上げてしまえ。戦死させるより訓練で故障退役する方がマシだろう。」
「了解です。各隊隊長と検討します。」
副長は早速第一、第二中隊へ指示を出した。実際に訓練が始まるのは明日以降だろう。隊長連は今頃頭を捻り、困り果てていることだろう。いったい、どうすれば実戦と等しい経験をつめるのかと。新兵を使い物にするにはどうするべきかと。
「落ちていく日本軍か。」
菱村はポツリと呟いた。




