172.葬儀
二二〇三年二月一〇日 一〇五八 KYT 軍立病院 促成種集中治療室
菜花は目を覚ました。身体に痛みは感じない。浮遊感が全身を包み込む。
体を締め付けるプロテクターの圧迫感や首にかかるヘルメットの重みを感じなかった。
周囲を確認しようと目を凝らすが、ピントが合わず、視力が回復しない。ぼんやりと形を捉えるだけだった。
そして、思考もゆっくりとし、今にも闇の中へ堕ちそうだった。
そんなぼんやりした意識でもようやく自分が置かれている状況をようやく把握できた。
―そっか。俺、撃たれたのか。ここは育成筒の中か。―
腹に開いている銃創を右手で触れ、何が起きたのかを思い出したのだ。
菜花は育成筒の中で治療を受けていた。全裸で育成液の中に浮かんでいた。額の情報接続端子に接続されたケーブルから肉体情報が外部へ読み出され、その情報に合わせて鎮痛物質を分泌する電気信号を脳は受信していた。薬を使用するよりも体内で生成される物質を利用した方が、体への負担が少ないためだ。あと、貴重な医薬品を使用せずに済むという利点もあった。
呼吸を維持する為、顔には鼻と口を密着して覆う透明なマスクが装着され、マスクに接続されたチューブより医療用空気が供給されていた。排気は、マスクの排気口から育成筒を満たす育成液へと泡と共に吐き出されていた。育成液は、育成筒から濾過タンクへ流れ、そこで不純物の除去と同時に消毒され、育成筒へ循環していた。
左手には栄養補給と薬液及び血液注入用のチューブが刺さっていた。
菜花の月人に撃たれた傷口は、保護フィルムは剥され、鈴蘭が施した応急処置のままだった。手の施しようが無かったためだ。
菜花の視界に白く動くものが入ってきた。そして正面で止まった。
「菜花、意識を戻したか。動くのも苦しいだろう。だが、諾ならば頷け。重要な事だ。」
若い女の声だった。育成筒の外部マイクが声を拾い、内部の水中スピーカーが再現する。
その声に聞き覚えはあったが、水中の為、焦点が合わず、混濁する意識では、それが誰なのか認識できなかった。
相手が誰か分からないが、信用するしかない菜花は頷いた。
「よろしい。今から大切な話をする。選択肢を与える。自分で選べ。分かったか。」
菜花は頷いた。
「菜花、君の身体、内臓が破壊され、機能不全を起こしている。臓器移植も検討されたが幾つもの多臓器の同時移植は、今の医学では不可能だ。それはゆえに君の命は消えようとしている。
唯一、人として生き残る方法は、頭部移植だけかもしれない。幸いにも頭部を破壊されただけの戦死者ならば幾らでもいる。近接戦型促成種ならドナーも多いだろう。
だが、頭部移植した君は、君自身なのか。それともドナーとなった人間なのか。そこにいる人間は、菜花であった別人だといえるかもしれない。
心がどこにあるのかは未だに解明されていない。こればかりは実際に移植しなければ、分からない。
だが、臓器移植によるドナーの意識との同期。つまり、知りえないドナーの記憶や感情を持つことが稀に発生している。つまり、心は脳に宿るのではなく、肉体の隅々に宿っていると考えることもできる。恐らく頭部移植を実施した場合、命は助かるだろう。だが、全身の大部分がドナーの肉体と置き換わることにより、記憶と感情が取り込まれ、逆に菜花の心は、文字通り切り捨てることになるだろう。ゆえに、菜花の心は消滅する。それは誰も望まない結果になるだろう。
ここまで理解できたか。」
菜花は、理解できなかった。だが、本能的に自分が人生の終焉を迎えようとしていることは感じていた。
菜花は顎を引くしかなかった。
「では、選択肢を与える。良いと思う選択肢で頷け。途中で頷いても選択肢は最後まで説明する。良ければ再度頷いても構わん。その後、頷いた選択肢の中からもう一度たずねる。一度目と答えが違っても構わん。良いと思うものを選べ。では、言うぞ。」
若い女は、一呼吸置いた。死の宣告に躊躇いを感じたのだろう。
「一、安楽死をする。」
菜花は首を横に振った。
「二、緩和ケアをしつつ、死を待つ。」
菜花は首を横に振った。
「三、頭部移植を行う。人格が保てるかは賭けだ。成功する見込みも無い。」
菜花は、首を横に振った。
意識が遠のいてきた。恐らく、意識が戻るのはこれが最後だと菜花は何となく自覚し、己の命運がまもなく尽きることを悟った。
「四、最後の選択肢だ。これは勧められない。実証実験はまだだ。机上実験しかしていない。成功する保証は無い。今回が初の人体実験となる。成功すれば、菜花にとって最良の結果をもたらすだろう。それは。」
そこで菜花の意識はさらに混濁した。白い服を着た若い女性が何を言っているか、良く聞こえない。だが、本能的に頷いた。
「説明は終わっていないが、これ以上はもちそうにもないな。そうか。第四の選択肢か。では、準備を始めよう。また後でな。成功すればだが。」
菜花の意識はそこで途絶えた。女性は身を翻し、育成筒が幾つも並ぶ促成種集中治療室から出ていった。
二二〇三年二月一一日 一三〇〇 KYT 下層 葬儀場
そこは、四方の壁と天井と床の全てが灰色の強化セラミックスで囲まれていた。大きさは、士官学校の体育館とほぼ変わらない。体育館と違うのは、バスケットゴールや舞台等が無いところだろう。
舞台があるべきところには、人一人が収まる透明のチューブが床と水平に壁から生えていた。そのチューブは二十本均等に並んでいた。そのチューブの列に合わせるかの様に、簡易寝台に寝かせられた兵士達が数珠つなぎの様に並ばされていた。
寝かされている兵士達は、一人の例外も無く、日本軍の略式制服を着せられ、静かに身じろぎもせず瞼を閉じていた。
皆、青白い顔をし、所々包帯を巻いていた。また、制服の一部が凹んだり、平らであったりもした。
死者の列だ。昨日、死亡した百人近い日本軍の兵士だった。
ここは、地下都市KYTの下層部にある葬儀場の一つだった。
死者の両脇には、略式礼服や喪服を着ている老若男女が立っていた。ある者は唇を噛みしめ、ある者は目に涙を溜め、ある者は感情を失い無表情で、ある者は涙も枯れ目を赤く腫らし、ある者は「馬鹿野郎」と何度も何度も呟き、ある者は「眼を開けて」と繰り返し、ある者は死者に縋り付いて泣きじゃくり、様々な人間模様を織りなしていた。
その中に、小和泉、桔梗、鈴蘭、東條寺が居た。
この葬儀に参列できるのは、四名までと定められていた。葬儀場の大きさの関係だった。戦死者が少なければ、人数制限がかかることも無かっただろう。
831小隊の皆で相談した結果、このメンバーとなった。
葬儀に参加できない者は、昨日の内に入れ代わり、立ち代わりに別れの挨拶に菜花の部屋に来てくれた。
その場には、桔梗と鈴蘭が立ち会い対応をしてくれた。
昨晩、小和泉は不謹慎と理解しつつも、鬱屈した心を自室で東條寺を相手に晴らし続けていた。そうでもしないと、力を暴発させてしまいそうだった。
東條寺も小和泉の哀しみを受け止めたかった。普段は許さない行いもその日は全身全霊で小和泉を受け止めた。少しでも小和泉の心が癒されるのであればと己の体と心を捧げ、包み込んだ。
東條寺の献身の結果、小和泉はようやく心の平衡を保つことに成功した。小和泉は東條寺に大きな借りを作ったと考えていた。もっとも東條寺は貸しだとは一欠けらも思っていない。逆に小和泉を慰めることが出来たことに安堵していた。
葬儀が始まり、軍の上層部の人間が弔辞を読み上げ始めた。
弔辞を読み、故人に最後の挨拶をし、命の水へと還る。それが現代の葬儀だった。
宗教というものは、月人の襲来と天変地異により完全に廃れた。
地表は完全に荒廃し、人類の大半が滅亡したと考えられている。
神仏がいれば、信者は助かったはずだろう。しかし、生き残った者は善人だけでは無かった。犯罪者や人殺しをしてきた軍人、生物の遺伝子を様々に改変した科学者などの悪人とされる者も含まれていた。
神仏が許さない筈の人種が生き残っていた。生活が苦しくなるにつれ、神仏という概念が希薄となり、日々を生き残ることで精一杯だった。ようやく、KYTの地下都市が秩序を取り戻し、生活が安定するころには、完全に宗教は過去の文化となった。結婚のお披露目と葬儀の別れの儀式がかろうじて残った。どちらも人の縁の出会いと別れについての儀式であり、そこに宗教が入り込む余地は無くなっていた。
葬儀は淡々と進む。
桔梗、鈴蘭、東條寺が菜花に取り付く様に悲嘆にくれる中、菜花の青白い顔を見下ろしながら、小和泉は昨日の通知書を受け取った時のことを思い出していた。




