170.〇三〇二〇九掃討戦 掃討戦、終了
二二〇三年二月九日 一一〇三 KYT 中層部 居住区
蛇喰達が目標地点である一戸建て跡地には、何の抵抗も受けず、状況の変化も無く配置についた。
唯一の遮蔽物になり得る柱の残骸を盾にしながら、月人を検索する。
お互いが背後を護りながら、油断なくアサルトライフルを構える。
視線と銃身は必ず同一方向を向き、引き金にかけた指にほんの少し力を入れるだけで敵を撃ちのめせる。
だが、余分な力は入っていない。地下洞窟や敵拠点を戦場とする時と同じだ。
緊張感は重要な要素である。しかし、過度な緊張は反応の遅れや迷いに通じるが、古参兵である彼等にはその心配は無かった。油断なく、適度な緊張感で歩みを進める。
苛烈な銃撃により粉砕された建物の複合セラミックスが砂塵となり、現場は灰色の砂場の様な状態と化していた。歩くごとにジャリジャリと砂同士がこすれ合う音が戦場に響く。
それ以外に音は無い。音も重要な要素である。音の種類と大小等によって、敵の配置を知ったり、行動を知ったりすることができる。ゆえに小隊無線は沈黙を保ち、他の分隊も息を潜めていた。
クチナワは、目当ての物を素早く探す。もっとも脅威となる物がここには最低でも二丁ある筈だった。月人の体は、光弾により粉砕されている可能性はあったが、探し物は用途上、光弾によって破壊されるはずは無い。もしも光弾で破壊されるようであれば、耐久性が非常に弱く、実用性が無いことを意味するからだ。
すぐにそれは見つかった。砂の上に浮かぶ様に落ちていた。
クチナワは、それを即座に踏み付け銃口を向ける。右手で銃把を握りしめ、砂に半分埋もれる様にうつ伏せに倒れている兎女の姿があった。クチナワは迷わず、引き金を心臓へ目がけ三点射を行なった。
兎女の背中へ光弾が吸い込まれ、心臓があるべき場所に三つの穴が開く。光弾が撃ち込まれたにもかかわらず兎女は、身じろぎ一つしなかった。すでに死んでいたのであろう。
警戒しつつ、兎女の背中越しに心臓に左手を当てる。銃口は頭部を狙い、何時でも発砲できる。
兎女に触れてみると温かさが野戦手袋越しに伝わって来るが、鼓動や呼吸は感じられなかった。
「クリア。」
クチナワは、目の前の兎女が死亡していると確信し、小隊無線で短く告げた。
背後でも同じ様な動作が行なわれていた。オロチ上等兵だった。
「クリア。」
オロチが同じ様に報告を上げた。
「オロチ、二丁とも回収しろ。」
「了解。」
クチナワが踏み付けていたアサルトライフルをオロチが回収する。その背中には、アサルトライフルが背負われていた。クチナワが指示する前に回収していたらしい。蛇喰が口を挟まなければ、8314分隊の連携は、全く問題無いのだ。
そこへ今回収したアサルトライフルが足され二丁となった。これが831小隊を襲い、菜花を傷つけた光弾の正体だった。月人が日本軍の兵器を鹵獲し、武器として使いこなした初めての事例だった。
今まで月人に使われなかったことの方が不思議だったのだ。今回の件で日本軍は月人への戦略及び戦術を見直すことになるだろう。今頃、総司令部が生中継の画像を見ていれば、頭を抱えていることだろう。見ていなくとも戦闘詳報が手元に届き、その報告に愕然とすることには違いなかった。
「回収。完了。」
これにより、アサルトライフルによる銃撃の可能性は取り除かれた。格闘と投石に気をつければ良いはずだ。どちらも攻撃前に大きな前触れがある。銃撃よりは幾分か安全性が高まったと言えるだろう。
8314分隊は、徐々に兵士達の間隔を広げ、跡地を慎重に調査していく。だが、月人の死体は見つからない。ようやく実用に耐えるようになった温度モニターの表示にもそれらしい物は表示されなかった。恐らく、偏執的な濃密な射撃により粉々に砕かれたと考えられた。
「隊長。周囲に敵影見えず。原型を保った死体は二体しか発見できません。あとは欠片ばかりです。」
クチナワは、蛇喰へ報告を上げた。
「その様ですね。では、小隊長殿に報告をしておいて下さい。」
蛇喰は、クチナワへ丸投げした。これまでのやり取りは小隊無線で流れている。あえて、蛇喰が報告すべきことは無かった。何かしら、蛇喰の昇進に貢献することがあるのであれば、進んで鹿賀山へ報告を入れたであろう。だが、簡単なお使いでは点数稼ぎにならないのだ。
報告を受けた鹿賀山は、831小隊を即座に目標地点へ押し上げた。8314分隊が安全確認を行ったとはいえ、それを完全に信用する程、楽観主義者では無かった。
万が一、砂に埋もれて機会を窺っているかもしれない。
もしくは、天井部に別の月人が潜んでいるかもしれない。
別の建物からこちらをアサルトライフルで狙っているかもしれない。
天井や他の建物に潜む月人は他の部隊の担当なので鹿賀山は、友軍を信じて行動をすれば良いのだが、盲目的に友軍を信じる訳にはいかない。
何事にも例外はある。
鹿賀山は、あらゆる可能性を考え、部隊の集結と小隊での再検索をかけることを選択した。
跡地に831小隊は即座に集合させ再検索後に、総司令部からの命令を実行した。
8311分隊を警戒任務にあて、他の分隊には、砂の中を歩兵用の三つ折り式シャベルでかき分けさせた。この三つ折り式シャベルは、材質は時代と共に変化し、堅牢化と軽量化が進められてきた。しかし、形だけは、二百年以上前に誕生して以来、大きく変わっていなかった。土を掘るだけでなく、鈍器にも、盾にもなる優秀な形状であったのだろう。
時折、月人の死体が掘り出され緊張が走る。だが、大抵それは肉体の一部であった。
何度も繰り返されると、次第に緊張感は薄れ、ただの作業と化してしまった。
鹿賀山もそれを咎めることはしなかった。緊張感を維持したまま、土木作業を維持することが人間には無理なのだ。その分を鹿賀山の8311分隊で補足すれば良いと考えていた。
掘り出された肉片は、シャベルですくい投げられ一ヶ所に集められた。その肉片は、うず高く積み上げられることになった。小隊の中で一番背が低い152センチの鈴蘭と同じ様な高さになった。
肉片の傷口は、アサルトライフルによる高熱で焼きつぶされており、炭化していた。その為か、流血や内臓がはみ出すことなくは一切無く、グロテスクさは影を潜めていた。焼き過ぎた焼肉の様であった。原型を保っているのは、銃を抱えていた二体だけだった。最後まで生き乗った月人が、アサルトライフルを使ったのだろう。
831小隊に下された命令は、月人の排除の確認だった。生き残りや見逃しが無いかを最終確認することだった。
月人の完全排除を確認するには、こうして砂場を掘らなければ分からなかった。地中生活を得意とする月人であれば、この砂の中に身を潜めていても不思議ではない。
シャベルを力一杯突き立てることも敵への攻撃でもあった。息がある月人が居れば攻撃にもなり、居なければ死体を掘り起こすことができる。
そうやって地道な作業を繰り返し、掘るべき場所は無くなった。
積み上げた月人の死体の処理は、他の部隊が引き継ぐことになっている。恐らく立体パズルの様に組み合わせて、復元作業を行うのであろう。これにより、浸透した敵の種類と数が明確になるからだ。
その様な繊細な作業は、831小隊には不向きであった。そのことは、総司令部も理解している様だった。
ゆえに831小隊へ復元作業の命令が下りなかったのであろう。
「8312、捜索完了。終わったよ。」
「8313、捜索完了であります。」
「8314、捜索終了。異常無し。」
各分隊より担当区域の捜索が完了した事が小隊無線に上がった。
「了解。警戒態勢のまま待機。総司令部の指示を待つ。」
鹿賀山は、総司令部に報告を上げると、意外にも撤収命令が即座に下りた。回収部隊の到着を待ち、引き継ぎ業務があるものだと皆が思っていた。
意見具申の必要性も無かった為、鹿賀山は素直に応じた。
「831小隊撤収用意。徒歩にて基地へ帰る。」
鹿賀山が小隊無線で告げると二列縦隊に並んだ。そして、831小隊は基地へと歩き出した。
胸を張った堂々とした行軍ではあったが、覇気は無かった。菜花の負傷が皆の心に暗雲として立ち込めていた。もっとも菜花との付き合いの深さにより、その雲の厚みは大きく違っていた。
当事者である8312分隊では、桔梗と鈴蘭の表情に陰りがハッキリ見えていた。だが、小和泉は無表情であり、その心を読むことを誰にもさせなかった。
カゴは、相変わらず感情を見せない。その様に調整され生まれてきたからだ。
一方で蛇喰の表情は明るかった。部下に被害を出さず、最後の敵陣地の占領までスムースに行なえたことで機嫌が良かった。今回の作戦で一番の功労者であるという自負があった。ただ、小隊の中から重傷者がでている為、表情には出していないつもりであったが漏れていた。
それを諌める者は居ない。蛇喰には何を言っても無駄なのだ。
軍規や法律に違反している訳でもなく、誰かに物理的に迷惑をかけている訳ではない。本人はあれでも自重しているつもりなのだ。ならば、蛇喰を放置し、一刻も早く基地に帰投する方が優先すべきだった。
帰投すれば、作戦は終了。軍務から解放される。
小隊の幾人かは、一秒でも早く基地に帰投し、軍立病院へ早く行きたかったのだ。
蛇喰に関わる時間が惜しかった。
戦闘予報の死傷確率5%の通り、831小隊十六名中一名の重傷者を出し、〇三〇二〇九掃討戦は成功裏に終了した。
後日、行政府より連続殺人事件が解決したと連絡が入り、協力への感謝状が第八大隊へ届けられた。
蛇喰は、それを何度も頬を弛ませ、眺めていた。
他の者は、一切の興味を持たなかった。




