17.〇一一〇〇六作戦 鉄の壁
二二〇一年十月六日 二三五九 作戦区域 洞窟内
小和泉達は、円陣を組んだまま洞窟を少しずつ戻っていた。定数九十名の11中隊は、十五名までに減っていた。先に111小隊の一部は撤退しているため、正しい表現ではない。
しかし、現実として戦力は激減し中隊の態を成していなかった。
爆発から一時間の内に半数になってしまった。誰が生き残っているのか誰も把握できていない。ただ、小和泉の1111分隊は健在であることは確かだった。
円陣を組み射撃によって月人を寄せ付けずに戦っていたが、時折、円陣の内部に飛び込まれ、死者を出していた。飛び込まれる都度、小和泉か菜花が肉弾戦で月人を屠り、陣形を立て直すことの繰り返しだった。
今も皆がアサルトライフルを連射し、月人を撃ち抜いていた。倒した月人の数など無意味だった。ネットワークも繋がっていない為、戦績を元にした戦闘予報も更新されない。戦区モニターに表示されるのは、地図と友軍のマーカー、イワクラムのエネルギー残量、空気フィルターと排泄物パックの使用率、そして時計だけだ。
本来ならば、任意の部隊のライフモニターや司令部よりの作戦要綱や戦闘予報などを自由に表示できるのだが、一切表示されず、視界が普段よりスッキリとしていた。それだけでも異常事態である現実を無情にも突き付けてくる。
そして、ついに戦区モニターの時計が〇〇〇〇を表示した。タイムリミットの二四〇〇だ。
「あぁ。」
「時間か。」
「やはりな。」
中隊無線にタイムリミットに対する嘆息が流れるが、誰も落胆はしていない。すでにタイムリミットに間に合わないことは承知している。
だが、人間は頭で理解していても、心が納得しないことは多々あることだ。今回もそれが思わず声に出たのであろう。
「今のペースならば、一時間半あれば地上に出られる。陸軍は歩くのが仕事だ。歩いて街に帰るぞ。」
と言いながらも、小和泉の気力もかなり落ちている。頑張れなどという軽い言葉は、口が裂けても言えない。
皆が命懸けで頑張っているのは、嫌でも知っている。
帰る希望に繋がる言葉さえ今の小和泉には、思いつかなかった。ありふれた言葉を言うしかなかった。己の無力、人類の無力を全身に叩きつけられていた。
この瞬間も油断はできない。月人一匹が天井より舞い降り、小和泉の脳天を割ろうとする。
小和泉は、右足を一歩下げ半身で長剣を躱し、足を引いた勢いを利用しライフルのストックを月人の顎を横殴りにする。脳震盪を起こし、その場で柳のように揺れる月人の顔面にライフルを連射する。
顔面に無数の風穴を開けた月人が地面にゆっくりと倒れ伏す。レーザー銃の為、貫通と同時に肉や血管を焼き、血はほぼ出ない。もちろん、小和泉は疲れていても射線を考え、味方を誤射することはない。
桔梗が斃れた月人を一瞥し、何も言わなかった。ならば、月人は死亡しているということだ。
桔梗が追撃や警告を行うのであれば、小和泉が仕留め損ねたことになる。
この泥沼の戦闘の中でも桔梗は、律儀にも小和泉の安全確認を続けてきた。
小和泉も最初の内は不要だと言っていたが、ここまで戦闘が続くと、疲労が溜まり、指摘する事も億劫になっていた。
小和泉にも不要な会話や無駄口を叩く気力は無い。口を開く体力も戦闘に回したかった。
二二〇一年十月七日 〇一一〇 作戦区域 洞窟内
先に進むにつれ、月人の圧力が徐々に薄まり、ようやく小休止がとれる状況となった。
何気なく外気温を確認すると三十度を表示していた。
つまり、焼夷攻撃が行われた範囲に近づいている証拠だ。つまり、出口が近いということが言える。
しかし、十五人いた兵士も八人にまで減ってしまった。ここに至る一時間ほどで七人の戦友をさらに失っていた。
中隊は、ついに二個分隊にまで戦力が激減していた。
武装では月人に勝っていたが、文字通りの数の暴力によって中隊は擦り減らされた。
だが、小和泉の思惑通り戦友達を盾とし1111分隊は健在であった。
中隊長達司令部はいつの間にか全滅し、士官は小和泉一人が残る状態だった。
生き残ったのは、促成種の軍曹から一等兵の四人だった。
小和泉にとってこの四人は、顔見知り程度でまともに会話をしたことは無く、名前も知らなかった。というか、今まで興味が無かったのだ。
―1111分隊を生かす盾だ。逆に何も知らぬ方が使いやすいな。いや、逆に好感度を上げ自由に動かせる様にした方が良いか。―
小和泉の中では、1111分隊以外はただの盾だ。もしかすると中隊長も盾として消費したのだろう。だが、小和泉に罪悪感は一切無い。その様な物は、軍に入ると同時に捨てた。
「よく、ここまで耐えてくれた。後三十分で地上に出られる予定だ。皆、知っている様に友軍は地上に居ない。我々は歩いてでも街へ帰還するが、道程は長い。地上に上がった瞬間が、気が弛む一番危険な状態であろう。最悪の想定を言えば、月人に包囲されている可能性も有る。状況は理解したな。」
小和泉は、皆に現状確認を行う。ここで気を弛められると困るからだ。
「了解です。」
「警戒を厳に致します。」
桔梗ともう一人の軍曹が代表して返答する。
「今のうちに自己紹介を簡単にしておこう。私は、少尉の小和泉だ。部下の桔梗軍曹、菜花伍長、鈴蘭一等兵だ。この四人で1111分隊を構成している。」
三人は、小和泉が名前を呼ぶ度に敬礼をしていく。これで名前と顔が一致しただろう。
「あの1111分隊ですか…。」
軍曹が驚愕と納得の表情を浮かべる。上官に対し狂犬部隊とは声に出して言えないのだろう。
軍曹が言わんとすることは分かる。狂犬部隊の名は日本軍では有名だ。ここまでの道程を分隊単位で生き残ったことに納得をしたのであろう。
「失礼致しました。舞軍曹であります。1212分隊所属であります。」
二十代後半の女性だった。階級と年齢を考えれば、それなりの軍歴を持っているだろう。
「愛上等兵です。1444分隊でした。」
「優一等兵であります。1311分隊におりました。」
「ゆあ一等兵であります。1213分隊配属です。」
十代後半から二十代前半の若い女性達だった。階級から軍歴は短いのだろうが、ここまで生き残ったことを考えれば、戦闘センスが高いのだろう。
「舞軍曹。他の三人をまとめて分隊を作れ。とりあえず舞分隊と呼称する。これからは二個分隊で行動を取る。その方が動きやすいだろう。」
「は!分隊長の任、務めさせて頂きます。」
「では、今の内に分隊内の役割を決めて欲しい。十分後に出発だ。」
「少尉殿。了解致しました。」
舞軍曹を中心に生き残りの四人が集まり、話し合いが始まる。今まで所属していた分隊での役割と重なったりするかもしれないが、そんな些細な事まで小和泉は考えたくは無かった。
ただの盾だ。1111分隊の事だけを考えたい為に軍曹に押し付けた。
生き残りの最上位が小和泉なのだ。小和泉がどの様に軍編成を変えようと権限を逸脱した訳ではない、
舞分隊が生還しても何も軍事行動上、当然の編成であり問題は無い。
そのため、軍曹も素直に小和泉の命令を受諾した。問題が発生しても小和泉には責任は求められないはずだ。仮に舞分隊が全滅したとしてでもだ。
それ以前に大隊に見捨てられた時点でどの様な行為を取ろうが、小和泉達が罰せられる可能性は無かったのだが、今の小和泉にそこまで考えが及ぶ余裕は無かった。
「小隊長殿、出発準備完了致しました。」
舞の言葉に小和泉は判断が遅れた。
―小隊長とは誰だ?―
小和泉に疑念が湧く。
「小隊長とは、少尉のことです。」
桔梗が分隊無線で伝えてくる。
定数の半分である二個分隊といえども小隊と言えなくも無い。
舞は、小和泉を小隊長と認めた。小和泉の軍歴を知っており、中隊長や大隊長を務めていてもおかしくない実力の持ち主であることを知っていた。
その軍歴に月人への残虐行為や命令無視などによる問題行為を行い降格処分により昇進と降格の繰り返しが行われ、少尉に留まっている事も知っていた。
―隊長が二人では、判別がつかないか。この軍曹、古株だな。柄ではないが小隊長を演じようか。―
「では、小隊長として命じる。1111分隊が前衛。舞分隊は後衛。臨時小隊前進。」
普段よりぎこちない動きではあるが、軽やかに小和泉を中心に隊列が組まれる。
―促成種は、疲労していてもまだここまで動けるのか。―
軽い衝撃を受けた。ただ一人、自然種である小和泉だけが疲労という枷を感じていた。
小和泉の行軍ペースで臨時小隊は、出口へと一歩一歩近づいて行く。
洞窟の岩の表面は、焼夷攻撃の高温で溶かされて滑らかになっていた。天井付近は真っ黒な煤で覆われ、光を一切反射せず吸収していた。
そして、小和泉達の命綱であった通信ケーブルも無残に焼け焦げていた。
ここが焼夷攻撃の中心地であろう。月人だけでなく、ネズミや蛇などの生物の気配を全く感じない。
岩肌より染み出してくる筈の水の流れすら聞こえない。高熱で水も蒸発してしまった様だ。
何もかも焼き尽くしてしまった。
気温六十度。小和泉は複合装甲の空調が効いている為に問題無いが、促成種達は汗を垂らし、野戦服に汗染みを作りながら、洞窟のなだらかな斜面を黙々と登っていく。
―生き残れば、褒美に全員を温泉にでも連れて行こうか。―
ふと小和泉の脳裏によぎる。それが失敗だった。一瞬の油断だ。
「ぐばぁ。」
背後から押し潰されたかの低い悲鳴が小隊無線に響く。
小和泉は、重たい身体を無理やり振り向かせると仁王立ちする一匹の月人を見た。
通常の狼男より一回り大きく、筋肉は無駄な脂肪をそぎ落とし通常の月人より強靭そうだった。毛並みは灰色ではなく、にぶい鉄色をし全身もれなく獣毛に包まれていた。
狼男の右足は、地面に俯きに倒れたゆあの背中に潜り込んでいた。
ゆあは、腰のあたりで背骨と内臓を踏み潰され、痙攣していた。すでに悲鳴は途切れている。恐らく死亡しているだろう。痙攣しているのは、脊髄反射のためだろう。
ゆあの大量の鮮血が、洞窟の傾斜に沿って川となって流れていく。
―駄目だ。油断したのは俺だ。ここまで接近を許すだと。普段ならば有り得ない。―
思考と同時にアサルトライフルの引き金を引くが、狼男の獣毛を貫くことが出来ない。獣毛に微かに煤がつく程度だった。
「この野郎!」
狼男の一番近くに居た優が銃剣で心臓を貫く。しかし、同じ様に獣毛によって弾かれる。
力を入れ過ぎていた優はバランスを崩し、狼男に捕まった。
狼男はすぐに優の頭を両手で挟み、ギリギリと力を入れていく。
優のヘルメットがギシギシと嫌な音を発し始め、ヒビが入る。
「放せ!放しやがれ!この獣野郎!」
優は逃れるべく、無数のパンチや蹴りを入れるが、狼男は全く動じない。
この間、皆も見ているだけではない。周囲を取り囲み、銃剣を関節の裏や腹部など比較的柔らかそうなところを突くが全て跳ね返される。
有効な攻撃が決まらない。
狼男は攻撃など無視し、両手に力をこめていく。腕の筋肉に血が送り込まれ、腕が太くなる。ヘルメットのヒビがさらに広がり、一瞬で割れた。その後は、一瞬だった。
優の頭蓋骨は、ヘルメットよりも柔らかい。狼男の圧力に耐えることなどできない。
ポンと簡単に弾けて脳漿が飛び散り、狼男の顔面を濡らす。
狼男は、地面に優を投げ捨てると口角を上げた。
優の頭の厚みは、五センチ程になってしまい、面影は無くなっていた。
我々の弱さを笑っているのだろうか。
二人始末した事で悦に浸っているのだろうか。
それともこれから起こす惨劇に思いをはせているのだろうか。
人類に月人の感情を読み取る術は持っていない。
「全員下れ。敵に背を見せず、ゆっくり地上へ向え。戦闘は避けよ。」
小和泉が指示を出すとすぐに狼男から離れ、ゆっくりと後退を始める。
―この様な化け物に促成種が敵う訳がない。無駄な戦闘は不要だ。
逃げられるものならば、逃げるべきだ。
だが、洞窟を出たところで鉄の様な狼男が見逃すとは思えない。
見逃す気が有れば、ここで追い打ちをかける必要性は無い。
ならば、この鉄狼は斃さなければならない。
銃も剣も効かない化け物相手に勝つしか、生き残る方法が無いと言うのか。
面倒なことになった。
洞窟の出口まで目の前と言っていい。ここまで生き残ったのだ。
この硬い鉄の壁を乗り越えるにはどうすれば良いのだ。―
小和泉の脳は疲労を無理やり押さえつけ、生き残る方策を捻り出そうと回り始めた。




