169.〇三〇二〇九掃討戦 蛇喰という愚者
二二〇三年二月九日 一一〇一 KYT 中層部 居住区
小和泉達にとって、悪夢の様な銃撃戦は終わりを迎えようとしていた。
敵からの反撃が沈黙し五分以上経過していた。だが、鹿賀山は念を入れ、執拗な、いや、偏執的ともいえる銃撃を加え続けさせていた。これ以上の損害を許さない為だった。
「撃ち方止め。」
鹿賀山は小隊無線にて冷静な声で命令を下した。即座に眩い閃光が止まり、天井から照らされる照明だけが戦場を映し出した。
目標物は、完全に土埃の中に隠れていた。温度センサーを表示させても全てが高温を示す真っ赤に染まり、個体の識別は不可能であった。中を知る術は、土埃の中へ入るしかなかった。だが、視界ゼロの中へ飛び込む様な無謀を誰も意見具申しなかった。意見具申が有ったとしても、鹿賀山は許可しなかっただろう。
現在は、土埃に隠れている目標を目視する為に、831小隊全員が静かに隠れ、様子を窺っていた。無論いつでも反撃は可能であり、誰一人として油断している者はいない。土埃の中に動く物があれば、即座に射撃を叩き込むつもりであり、月人が攻撃を再開すれば、即座に十字砲火を行う態勢であった。
空中に舞い上がっていた埃は少しずつ床に落ち、視界が徐々に晴れていく。土埃の中から何かの輪郭が見え始め、それが一戸建ての柱の残骸であることが分かった。壁は完全に破壊しつくされ、数本の折れて短くなった柱が地面から生えているだけだった。
十数分前までその場にあった立派な高級士官用の二階建の一戸建ては、面影は無く、完全に消滅していた。正確には砂山と化していた。所々に光が反射するところを見るとガラス化している箇所もあるようだ。かなりの高熱を発したのだろう。
射線上にあった他の建物へも半壊以上の被害を与えていた。周囲の建物は、すべて建て直す必要が有るだろう。責任は831小隊には無い。作戦を立てた総司令部がとるだろう。
831小隊の射撃は、そこまで徹底的だった。特に菜花が銃撃されてからの射撃密度は、通常より濃いものであった。
「鹿賀山少佐、視界が確保されました。戦果確認のため、偵察部隊を出すべきではないでしょうか。」
東條寺は鹿賀山へかすかに震える声で告げた。
東條寺は、菜花が撃たれたことにより動揺していた。親友の心配をしていた。
しかし、戦友であり、ライバルである親友を撃たれても、士官としての振る舞いを徹底的に叩き込まれた日本軍の教育が、東條寺を軍の部品として動き続ける事を求め、休むことを、悲しみに浸ることを許さなかった。
それに仕事へ打ち込む方が、思考を他の事に割く必要がなくなり、一時的に菜花のことを頭の片隅に追いやることができた。
そういう点では、視界確保の時間は、頭を冷やし、正常な判断能力を取り戻すのに十分な時間だった。
そして、副官としての義務を遂行した。
「そうだな。少尉の言う通りだな。偵察には一個分隊が適当か。」
鹿賀山も東條寺の思惑に乗ることにした。小和泉の精神状態が気になるが、この戦闘のけりをつけるまでは、戦闘指揮に専念しなければならない立場だった。ならば、早く状況を終了させればよい。
「少尉、誰を派遣すべきか。」
「普段であれば、小和泉大尉が適任です。恐らく、平常心を取り戻していると思われますが、正常な判断ができない可能性が否定できません。何せ狂犬ですので、行動が読めません。
井守准尉の8313は定員割れと経験不足です。戦力に不安が残ります。
ここは蛇喰少尉の8314が妥当でしょうか。性格に難はありますが、能力が無い訳ではありません。」
「やはり、そうなるか。消去法で選ぶしかないとは困ったものだ。分かった。8314に行かせよう。」
そう言うと鹿賀山は、小隊無線を繋いだ。
「全隊に告ぐ。8314は偵察に向かい、敵の無力化を確認せよ。敵が無力化されていない場合は、即座に無力化せよ。他の隊は、8314の援護だ。以上。」
「8312了解。」
「8313了解。」
「8314了解。」
小隊無線に不必要な言葉は乗らず、必要最小限度の交信で終わった。
蛇喰は鹿賀山に指名されたことにより、優越感を得ていた。それが消去法による選択だとも知らずに。
「ふ、さすが鹿賀山ですね。小和泉より私の方が役に立つと判断しましたか。簡単な仕事ではありますが、きっちりとこなしてみせましょう。皆さん、武装を確認しなさい。不具合はありませんね。」
蛇喰の命令に部下三人は、アサルトライフルのエネルギー残量や戦術ネットワークの情報等の再確認を行った。
「隊長殿、準備完了致しました。」
副官であるクチナワ軍曹が代表して答えた。
「ではクチナワ軍曹とオロチ上等兵は前衛を。カガチ兵長は後衛を。私は、的確な指示を行う為、中衛に入ります。」
8314分隊にとって、通常の隊列だった。蛇喰は前後からの不意打ちを受けない安全地帯に必ず居た。
分隊規模であれ、小隊規模であれ必ず隊列の中央に行くようにしていた。前衛に出たがる小和泉と対極の位置に居た。
軍隊として、指揮官が中衛なり後衛に配置されることはおかしくない。しかし、最小単位である分隊ですら、安全地帯を作り出し、そこに居ようとすることは異常だった。偏執的と言っても差し支えなかった。
小和泉であれば、射線が貫通するような密集隊形はとらず、被害が一人で済む横に等間隔に広がる散開隊形をとったであろう。そして、副長であるクチナワも小和泉と同じ考えを持っていた。
だが、蛇喰は下士官の意見具申は採用しない。聞くことすらしない。
士官学校では、先任下士官の経験と意見を重要視せよと教育を受ける。あの小和泉ですら、先任下士官である桔梗へ意見を求め、隊の行動を決めていた。知識と経験の違いは、生死を分ける程に大きな開きがある。車が急ブレーキを踏めば、身体に大きな力が加わり座席に押し付けられることは知識で知っている。
実際に急ブレーキを踏めば、車はグリップ力を失い、身体が重くハンドルが上手く操作できない状況になることが多い。
グリップを失い、スピンを始めた車を直進させるにはどうすれば良いか。
回転方向と逆にハンドルを適切な角度に微調整し、アクセルの回転力を調節するのが正解とされている。だが、強い力で体が押さえつけられ、ハンドルが回せない。アクセルの微調整も上手くできない。
さらにパニックに陥り視野狭窄を発症し、自車の向きがどちらに向いているか分からなくなることの方が多い。
初見で冷静に対応できる人間は、一握りしかいない。
大半の者が、ハンドル操作を誤り、車の回転を加速させるか、アクセルを踏み過ぎ、車線から大きく飛び出す。または何もできず、硬直したまま、状況に流されるものだ。
そういったを事故を防ぐために、戦闘経験が豊富な先任下士官の意見を重要視せよと士官学校で教わるのだが、蛇喰はその教えに従わなかった。
士官学校で教育を受けていない人間による作戦立案能力を一切信じていなかったのだ。
優秀な成績で士官学校を卒業した自負がその根拠となっていた。首席でないのは、勉学面では鹿賀山、体力面では小和泉が勝っていた為である。なお、その時の首席が誰なのか、蛇喰は覚えていない。鹿賀山と小和泉に対して、劣る面があったことに悔しさを覚えていたからだ。
蛇喰がこの分隊に来てから、クチナワ達は散々思い知らされた。この男への意見具申は無駄であることを。それゆえに誰も反論する意志を失っていた。己の命が危険にならない限りは。
「では、前進。」
蛇喰が命令を下すと8314分隊は、静かに素早く前進を始めた。
アサルトライフルを腰だめに構え、中腰の姿勢で目標へ走り出した。敵に全身を晒した時点で、慎重に動いていては射撃の的になってしまう。
遮蔽物が無い場所では、射撃面積を減らし、全力で走るのが一番安全であった。もちろん、敵に行動を読まれぬ様に一直線に走るのではなく、不規則に折れ曲がり、雷の様に走った。
さらに、味方の射線を妨害しない様にやや迂回気味に進路を取った。
もしも、8314分隊が敵の変化を見落としたり、攻撃を受けても、友軍の援護射撃を期待できるからだ。
これらは、蛇喰の指示ではなく、クチナワの経験上の安全策だった。蛇喰にここまでの指示を求めることは、8314分隊の誰もが期待していなかった。戦場では、クチナワの経験則に従うのが、最も生き残る可能性が高いことを蛇喰ですら理解していた。
だが、それを認めることは、蛇喰の自尊心が許さなかった。ゆえにクチナワの行動を縛らぬ様、裁量権を与える命令を下し、蛇喰の自尊心とクチナワの経験則に折り合いをつけていた。
その点は、誰にも知られていない、気付かれていないと蛇喰は心の奥底から信じていた。
だが、無線内容や分隊の行動を見ていれば、一目瞭然であった。
戦闘経験が豊かな第八大隊の歴戦の兵士達は、士官も含め、皆が真実を理解し、固く沈黙を守っていた。
酒席の様な気楽な場所でもその話は出されなかった。ちなみに士官の中に井守も含まれている。
その事実を知らないのは、蛇喰本人だけだった。
沈黙を守るのは、その方が作戦や戦闘遂行に問題が無いからに過ぎない。あえて口に出して第八大隊の戦力を下げる様な馬鹿な行動を起こす者がいないだけだった。
蛇喰が死傷確率を上げる様な行動をとっていれば、とっくの昔に蛇喰は戦死していたであろう。
クチナワは、味方に損害を与える人間に甘くない。蛇喰が生き残っているのは、クチナワの匙加減一つで決まる危ういものであった。それを己の能力により8314分隊は損害なく、戦闘を継続できていると己惚れているのが、蛇喰という愚者だった。




