162.〇三〇二〇九掃討戦 副長の誘導
二二〇三年二月九日 〇九一四 KYT 日本軍総司令部 小会議室
「てめらの話しは要点を得ねえんだよ。単純明快に話すか、理路整然と話せや。」
菱村の声は苛立っていた。一般人の回りくどい説明に嫌気がさしたのだ。
「では本官が引き継ぎ、作戦説明を行います。」
副長は聴衆席から立ち上がると演壇に立ち、柴井から端末を乱暴に奪いとった。
副長も柴井の要領を得ない説明に苛立ちを感じていたのだった。
「待て。何をする。」
柴井は抗議の声を上げたが、副長の一睨みで沈黙した。数千匹以上の月人を屠ってきた古強者の殺意に耐えられる警備官は一人を除いて存在しない。
その場で腰砕けになった柴井を無視し、副長は端末をしばし見つめ、ページを次々にめくっていった。捜査報告書を読み解きながら、作戦を組み立てていく。何も難しい話ではなかった。よくある掃討戦だった。副長は、柴井の説明能力に呆れるしかなかった。
「傾注。」
静かで感情を消した力強い副長の一声が、弛緩していた場の空気を一瞬で引き締めた。
隊員の姿勢は正され、規律が戻る。
「作戦を伝える。
敵は先の戦闘における生き残り、討ち漏らしだと推定される。これを殲滅する。
出撃部隊は831小隊である。大隊司令部の直接指揮は、この会議までとし、以後、小隊長である鹿賀山少佐へ指揮権を委譲する。
831小隊は一〇〇〇に通常野戦装備にて出撃。なお、装甲車は改装中により使用できない。よって徒歩行軍を行い、一〇三〇までに作戦地区へ到着せよ。
目標に対し、8311・8312は正面の住居、8313・8314は右翼の住居に展開。十字砲火陣を形成せよ。
なお、敵勢力は一個分隊から二個分隊であると推定される。月人が人類を生かす理由は無い。よって住人は死亡認定する。人質は存在しない。
付近の一般人の避難は済んでいる。武装の自由使用を許可する。
一〇四五、攻撃開始。なお、行政府より当該建造物の破壊許可は下りている。
なお、突入は禁止する。外部からの銃撃にて敵を殲滅せよ。繰り返す、突撃は厳禁である。」
副長はそこで言葉を区切り、小和泉を見つめた。
「特に小和泉大尉、貴官のことです。突撃しても銃撃は止めません。鹿賀山少佐、銃撃の中断は許可しません。そして、桔梗准尉は、狂犬の紐をしっかり握れ。」
「了解。いかなる状況でも射撃を継続します。」
鹿賀山は涼しい顔で答えた。
「了解。8312分隊は一致団結し、分隊長の独断専行を抑えます。」
桔梗は、副長の命令を予期していたのだろう。淀みなく答えた。
「はい、副長殿。了解致しました。」
小和泉は、副長に名指しで釘を刺され、肩をすくめた。
同時に恨めし気な視線を桔梗に送るが、にこやかな笑顔で受け止められた。次に菜花、鈴蘭にも同意を求める視線を送るが、桔梗と同じくそれぞれの笑顔で受け止められた。
―はい、大人しくしますよ。―
小和泉は全身の力を抜き、椅子の背もたれへ体重をかけた。
「では、続ける。敵がどの階、どの部屋にいるかは不明である。よって、建物は完全粉砕する。流れ弾を気にするな。隣家に当たろうが軍は感知しない。責任は司法府及び行政府にとらせる。思う存分撃ち込め。遠慮はするな。
家ごと、月人を挽き肉にしてやれ。絶対に取り逃がすな。
なお、我が方の人的被害は一切許容しない。
作戦名は〇三〇二〇九掃討戦と呼称する。以上。質問は有るか。」
副長は、軍らしく簡潔明瞭に作戦を説明し、小会議室の兵士達を見回した。
誰も質問は無いようであった。
―相変わらず、日本軍らしいひねりの無い作戦名だね。年月日に掃討戦とつけただけか。まあ、分かりやすいのは事実だけどね。詳細は、戦術ネットワークを見れば良いか。
どれどれ。建物ごと蜂の巣にしてしまえと。わざわざ危険を冒して室内戦を行う必要は無いよと。
そうだよね。月人が人類を生かしておくなんてないよね。思ったより単純な作戦で良かったよ。
でも、これって掃討戦より殲滅戦と言った方が正しいよね。
あぁ、外聞的配慮か。記録に残すのに少しでも柔らかい印象にしたい軍の意向が働いているのかな。別にどうでもいいだろうにね。―
小和泉は、どんな無理難題を押し付けられるかと思っていたが、副長の説明を聞き一安心していた。
しかし、戦闘には予測できない事が往々にして起こる物である。油断をしている訳ではなかった。
作戦に対し、皆が適度に緊張感を高めていた。軽い緊張感が無ければ、周囲への注意力が散漫になる傾向があるからだ。
しかし、警備部の柴井の言葉により水が差された
「ま、待って欲しい。人質の救出をお願いする。人命尊重だと総司令部に依頼している筈だ。」
副長の説明に面喰った柴井が、慌てて訂正を入れる。
「はい、人命尊重の作戦です。日本軍に被害は出しません。何か問題でも。」
副長は表情を変えることなく、柴井に向き直った。無表情に見えたが、副長との付き合いの長い第八大隊の人間は、副長の不快感を感じ取っていた。
「この作戦では、人質の命が守られていないではないか。」
「そんな者は存在しない。」
副長の口調は、敬体から常体へと変化していた。柴井を完全に見切ったのだ。
「いや、住人三名の在宅を確認している。保護を頼む。」
「生存を正確に確認したのか。」
「いや、周囲の聞き込みによる調査結果だ。そこに住んでいる三人は、外出していない。家に居る。」
「ならば、すでに死んでいる。月人は人類を生かさない。認識と同時に殺す。」
「人質の死亡を確認したのかね。していないだろう。勝手に殺すな。」
「確認の必要は一切ない。貴様は月人と対峙した事はあるか。」
「いや、無い。」
「そうか。では分かりやすく説明する。
奴らは獣だ。それも知性を持った野獣だ。
人類は殺す。本能で殺す。効率良く殺す。感覚で殺す。数で殺す。力で殺す。爪で殺す。牙で殺す。拳で殺す。剣で殺す。石で殺す。罠で殺す。あらゆる方法で殺す。
人類を殺せるならば、手段を選ばない。効率を考えない。後先も考えない。
ゆえに、月人を先に殺さなければ、殺されるのはこちらになる。分かったか。」
「しかし、狼だって家畜化して犬にできた。月人に知性があるのであれば、分かりあえるだろう。この状況だ。地下都市を脱出する為には、人質の重要性に気が付くだろう。」
「はぁ。貴様は夢想家なのか。現実を知らないだけなのか。聞きかじった知識を振りかざす馬鹿なのか。
それとも全てか。いやどうでも良い。貴様の理念なぞ知ったものか。
オオカミ科がイヌ科に進化するのに何年かかったのか知っているのか。百年から千年単位だぞ。それを数分から数時間の説得で期待しろというのか。
それに月人が襲来する数十年前までは、人類同士が戦争及び紛争を行っていたことを知っているのか。説得で解決するならば、数千年前、いや知性を持つと同時に人類から戦争は根絶しているはずだ。何せ、理性があるだけでなく、言葉が通じるのだからな。」
「それは詭弁だ。やってみなければ、答えは出ない。そうだ、実行するべきだ。救出作戦を行うべきだ。」
「ならば、貴様が水中に素潜りし、一時間後に無事だったならば、救出作戦を実行しても構わん。」
「無茶を言うな。人間がそんな長時間無呼吸でいられる訳が無い。常識的な提案をしてくれ。」
「貴様がそれを言うか。貴様の提案が常識外れであり、本官の提案以上の無謀であると理解しろ。貴様の理解力にはうんざりだ。」
副長は、一度開きかけた口を閉じ、額に手を当てた。何か思いついた様だった。
「柴井警備官。君の希望と願望を最優先しよう。君が月人と直接交渉したまえ。我々は、邪魔をしない。月人を刺激しない様に、遠くから見守っていよう。」
にこやかに優しく柴井へ副長は語り掛けた。兵士達は知っている。あれは優しさでは無い。真の怒りが全身を覆っている。
副長が、第八大隊の中で最も穏健で常識人であることは、兵士達は知っている。ゆえに菱村の大胆不敵な考えを実務レベルに落としこみ、第八大隊の作戦成功率を上げ、死傷率を下げてきた。
その為、兵士達からは菱村の次に敬愛されてきた。その副長が怒りに身を焦がすのを初めて見た。
突然の副長の提案に柴井は硬直した。さすがに警備部にて勤務しているだけのことはあり、交渉の意味を取り違えなかった。
「月人と丸腰で話し合えと。どうやって家に近づく。どうやって危害を加えないと表現する。」
「それは貴様に任せる。交渉方法があるから、我々に求めるのだろう。ならば、それを己の身をもって実行すれば良い。何か問題でも。」
「未知の生物と意思の疎通など本官の領分を超えている。科学者の領分だ。」
「その通り。日本軍に、いや、人類にできるはずが無い。それが、貴様が我々へ求めたことだ。ようやく理解したか。」
「しかし、人質は助けたい。我々には助ける義務があるのだ。」
「まだ言うか。人質は存在しない。生存者はいないのだ。
これ以上は、水掛け論になるな。
貴様の目で見に行けば良ろしい。人質が居れば報告をしてくれ給え。作戦を再考しよう。」
「住居の中は覗けぬ。我々に覗く方法は無い。」
「本官は与り知らぬ。方法は任せる。」
「人質の安否確認も出来ぬのに、報告は無理だ。確認できない。つまり、人質は居ない。」
「最初から本官はそう言っている。同意、ありがとう。言質は貰った。」
副長の言葉に柴井は奥歯を強く噛みしめ、黙り込んでしまった。
柴井自身が人質の存在を否定した瞬間だった。それに気付き言葉を失った。
副長に誘導されてしまったのだ。舌戦は副長の完全勝利に終わった。




