160.休暇にならぬ休暇
二二〇三年二月八日 〇七〇二 KYT 士官寮
東條寺は優しく肩を揺すられた。
「奏さん、おはようございます。起きて下さい。朝食の準備ができました。」
涼やかな声が東條寺の耳に入った。
その声を切っ掛けに弾ける様に上半身を起こした。いつしか、東條寺はダイニングテーブルに伏せる様に眠っていた。過労により眠ってしまった様だった。
東條寺は、状況把握をする為、周囲を見渡すと正面に菜花、左隣に鈴蘭、その斜め奥に小和泉が椅子に座っていた。ちなみに小和泉と菜花の間は空席になっていた。恐らく桔梗の席なのだろう。
テーブルの上には、トーストとハムエッグとフレッシュサラダが各自の前に並べられ、焼けたハムから食欲をそそる薫りが満ちていた。東條寺の前にも同じ物が用意されている。
声をかけたのは桔梗だった。皆、それぞれの個性を反映した部屋着を身に着け、東條寺へ視線を送っていた。
「おはよう、奏。事務仕事は終わったのかい。」
「おはようっす。いや、来るのが遅かったと言うべきすっか。」
「少尉、お早うです。今日は、来ないかと。」
と小和泉、菜花、鈴蘭が順々に声をかけてくる。
「みんな、おはよう。仕事が終わったので、すぐに来たのよ。婚約者ですからね。」
と東條寺が返す。特に最後の部分に力が籠っていた。
「ははは、浮かれてるっすね。いいっすよ。そういうのは。俺達、立場とか気にしないっすから。いちいち気にしていたら隊長に付いて行けねえしな。」
菜花は笑顔で答える。
「これは隊長の日常。早く慣れるべき。でないと、精神がもたない。」
相変わらず、鈴蘭は管制官の様な口調で話す。
「そんなの、そんなの分かってるもん。錬太郎が人間のクズだって知ってるもん。でも、私が仕事中にみんなで楽しむなんてズルい。私だって。」
東條寺は素の自分をさらけ出していた。普段は士官として、そして副分隊長としての振る舞いを心掛けていたが、正式に婚約者になったことにより、心の鎧が剥がれた様だった。
「奏さん。失礼、この呼び方でよろしいですか。それとも、小和泉准尉の方が良かったですか。ふふふ。」
桔梗の目は笑っていた。東條寺をからかっているのだ。
「え、桔梗ってそんな茶目っ気あったの。」
からかわれている事に気付いた東條寺は思わず、大きな声を上げた。
「ありますよ。公務と私事では使い分けます。もっとも、他の三人はいつも同じ態度ですが。」
「そうなんだ。私の知らないこと、いっぱいあるのだろうな。
あ、奏がいい。いずれ小和泉の名字にするにしても、みんなには奏って呼んで欲しいかな。だって、その、か、家族に、なるのでしょう。」
東條寺の顔に見る見る血が上り、赤面していく。
「改めまして、奏さん。よろしくです。」
「了解。奏と呼称する。」
「硬てえよ。もっと気楽にいこうぜ。なぁ、奏ちゃん。」
「生まれて数年の年下に呼び捨てとちゃんづけされるのね。私、二十四歳なのに。」
「へぇ、隊長の一個上だったのか。まぁ、細けえことはどうでもいいや。促成種に年齢なんて意味ねえしよ。どうせ、俺達は先に寿命で死ぬんだからよ。それに家族なら、俺達が先輩だろ。籍を入れても第一夫人の座は譲らないぜ。第四夫人さん。」
「菜花、第一夫人は私ですよ。間違えないで下さいね。本当に無頓着なのですから。」
「私、第三夫人確定。よろしく。」
「いいや、同居しているからって譲らねえ。俺が最古参だぞ。」
「年数ではありません。密度です。」
「私、婚約者なんだけど。」
「錬太郎様は、法律なぞ気になされません。私達の間では無意味な物ですよ。」
と女性間で順位争いが突如勃発したのであった。
小和泉は、こういうことには興味が無かった。誰が一番とか順位をつけることに意味が無いことを知っているからだ。
―やれやれ。人に順位は要らないのに競争が好きだよね。それぞれ個性があって、同じじゃないから好きになるのにね。まあ、僕が口を出すとややこしくなるかな。沈黙は金ってね。当事者で決めてもらおう。僕が誓うことは、平等に愛することだからね。さてと、話し合いが終わるまでニュースでも読みますか。―
小和泉は、女性陣の話し合いが終わるまでの暇つぶしにA4サイズ程の情報端末の板を手に取り、ニュースページを表示させた。
小和泉は世捨て人では無い。きちんと時事情報を仕入れ、自分自身の周囲がどの様な状況に置かれているかの判断材料の収拾に余念は無かった。どの様な情報が、自分達の命を守り、危険にさらすかは分からないからだ。
『連続殺人事件か。七人目の被害者発見。』
それが一番に表示された見出しだった。それは小和泉の興味を引く記事だった。
―この地下都市で殺人事件が起こるとは珍しいね。この閉鎖空間では逃げる場所など無いし、凶悪犯を長期拘留するような設備も無い。
基本、殺人、誘拐、放火等の重犯罪は即死刑だ。この資源の無い閉鎖空間では、凶悪犯を生かし更生させる余裕は無いから、即、資源化だよね。激情に任せてなら有り得ないでもないけど、連続殺人はおかしいよね。―
地下都市で重犯罪に手を染める者は皆無だった。なのに連続殺人が起きている。今までに聞いたことが無い話だった。怒りや嫉妬等のストレスを感じた場合、病院に行けば、自然種であれば薬で解消される。促成種であれば育成筒に入り、再調整を受ければ済む。閉鎖空間に住む者には、それは誰もが知る常識であり、簡単なストレス発散方法だった。
ゆえに犯罪とは、ほぼ無縁な街だった。それが脅かされることは異常事態だった。
―まぁ、司法府の警備官に頑張ってもらいましょう。軍の仕事じゃないからね。この子達はしばらく集団で動いてもらおうかな。一人歩きは危なそうだな。でも、犯人を返り討ちにしてしまうのが、この子達だよね。―
と、まだ姦しく騒ぐ女性陣を温かい目で小和泉は眺めていた。
もちろん、東條寺が珍しくリップをしていることに気付いていたが、今は褒めるタイミングではないと判断した。ここで褒めると順位へ影響することは間違いなかった。
後刻、東條寺の耳元で囁き、赤面させ、小和泉は東條寺の変化を楽しんでいた。
二二〇三年二月九日 〇〇〇九 KYT 士官寮
小和泉は、またもや寝室に居た。身には何も纏わず、ベッドの上で胡坐をかき、ぬるくなったコーヒーで喉の渇きを誤魔化していた。額や背中には汗の弾が浮き、肌は赤く火照っていた。若干、呼吸も荒くなっている。腿の筋肉は軽く痙攣し、立ち上がるには、しばしの休息が必要だった。
ベッドの上には四人の女性が静かな寝息を立てている。午前中から組み合い始め、ようやく四人を陥落させたところだった。一人目を満足させ、二人目を落とす。続いて三人目を崩し、四人目を昇天させる。そこで終わるかと思えば、すでに一人目が復活し、四人目の痴態を見て攻撃態勢へ入っている。
そのローテーションを今日一日の間、何度繰り返したことだろうか。その間、小和泉は快感に達するが、一度も果てることはなかった。
体力のある小和泉でもどこかで果てると撃沈されてしまう。男はその点が大きな弱点であり、房中術の様に果てずに快楽を得ることが長期戦における必勝法だった。
男が果てる瞬間は、ほんの数秒であるが、一点に意識が集中し無防備になる。その為、錺流閨術では房中術の一部を取り入れ、快感だけを得、己自身は果て無い方法を小和泉は会得していた。
―練習相手であった愛玩種の子は、どうしているのだろうね。―
ふと小和泉は、十年程前に初めて交わった女性の事を思い出した。練習の為、小和泉が一年程、繁華街へ通い詰めたお気に入りの商売女だ。もう顔を思い出す事も無い。綺麗な人だったことは覚えている。もっとも愛玩種は遺伝子操作で外見は多人数の好みに合う様に設計されており、どうしても愛玩種全体の外見は、数種類に偏ってくる。今会っても、悲しいことに区別がつかないだろう。
中には、自分専用の愛玩種の為、遺伝子設計の時点で買い取り、自分好みの人間に作る者もいた。
丁度、鹿賀山の女中であるウネメがそれにあたる。鹿賀山の父親が息子への贈り物として、創作された者であった。
小和泉は、初めての女性へ秘伝書に書かれた錺流閨術を試す為に様々な寝技を披露した。もっとも最初の頃は、玄人の技にしてやられ、小和泉は惨敗し、連敗の日々であった。知識と実践は、全く違う物だと思い知らされた。
小和泉の初めての挫折と言っても良いだろう。
だが、女体に慣れるにつれ、小和泉が果てることは無くなるようになり、技は成った。
今、こうして複数の女性と閨を共にしても果てることが無いのは、あの時の商売女のおかげだった。
―そう言えば、あの一年間は姉弟子の機嫌が悪かったね。何でだろう。ばれている筈は無いのにね。
しかし、肋骨や鎖骨が折れていた時、あの子は僕が怪我している事に気付いてなかったね。そうじゃないと、あんな体位を仕掛けてくる訳ないよね。―
と、しみじみと様々なアクロバティックな体位を思い出していた。
ようやく、小和泉の脳にも疲労感が漂い始め、眠気がやってきた。
―さてと明日、いや今日になったのか。今日の休暇は何をしようか。―
そんなことを考えながら、睡魔に取り込まれていった。
その休暇が、すでに総司令部により取り消されている事を小和泉達は知らなかった。




