156.戦闘詳報
二二〇三年二月五日 一六〇一 KYT 第八大隊詰所
第八大隊詰所において鹿賀山を中心に8311分隊が、今回の戦闘に関する第八大隊戦闘詳報をまとめていた。
本来は、菱村の大隊司令部小隊が行なう業務である。しかし、今回は大隊の半数を失った事後処理に振り回され、戦闘詳報にまで手が回らない。そこで次席士官である鹿賀山に白羽の矢が立ったというか、菱村が押し付けた。
「なぁ、鹿賀山。手前、机仕事は得意だったな。」
菱村は鹿賀山の肩に手を回し、耳元でがなる。鹿賀山の耳がキーンと唸るが、上官に対し苦情は言えない。
「はい、得意です。それが何か。」
「よしよし、大隊の戦闘詳報の取りまとめを命じよう。後は頼む。俺も副長も自分のケツを拭くので精一杯なんだわ。全部任せる。やってくれ。」
「は、小官がですか。それは自分の職責を越えているかと判断します。」
「細けえことはいいんだよ。どうせ、小隊の戦闘詳報で書き慣れているだろ。量が多いか少ないかの違いだけだ。どうせ俺の名で提出されるんだ。間違っていても俺は気にしねえよ。いつもの事だからな。
そうだ。何なら狂犬を顎で使えばいいじゃねえか。どうせ、戦闘しか役に立たねえんだ。清書ぐらいは出来るだろう。」
「はあ、了解致しました。ただ、小和泉大尉では効率が落ちます。代わりに愛兵長を使いたいです。」
「戦友に厳しい評価だねぇ。いや、正しい評価と言うべきか。俺は任せるって言っただろう。使える物は何でも使え。じゃ、後は頼んだぜ。」
そう言うと菱村は鹿賀山を解放し、慌ただしくしている大隊司令部へと戻っていった。あとには大声による耳鳴りとこれからの仕事に対する疲労感が残された。
菱村を取り巻く状況を理解している鹿賀山には断ることができなかった。
第八大隊の半数が損耗し、早急に立て直さなければならない。補充があるのか、解体吸収されるのか、どの様になるか今は分からない。
だが、出撃命令が下れば即座に出撃しなければならない。出撃準備を整えつつ、大隊の再編成を行うのは苦労する事だろう。
幸い、鹿賀山の831小隊に被害は無かった。奇跡や偶然としか言いようが無かった。その為、中隊長級で余裕があるのは鹿賀山であった。こちらは、消耗品の発注と小隊の戦闘詳報を提出するだけで済んでいた。
戦闘詳報を作成するには、本当はもう一人、8311分隊員である舞曹長も投入したかった。現在は、NS基地攻防戦時の腰椎負傷による入院中であった。ゆえに、取りまとめ業務に呼べなかった。
「さて、菱村中佐より戦闘詳報をまとめる命令が下りた。ここに来てもらった東條寺少尉と愛兵長、そして私の三名で行う。要領は小隊での戦闘詳報の規模が大隊規模に変わっただけだ。質問はあるか。」
鹿賀山は言いつつ、目の前に立つ野戦服に身を包む二人を見比べた。
東條寺はクールビューティに見える着痩せ型、対して愛は鹿賀山より頭二つ分以上背が小さく幼く中学生の様な顔立ちをしているのだが、二十歳だったはずだ。それよりも目に入ったのが、隣の東條寺よりも大きな胸が強調されていた。野戦服があまりにも窮屈そうであったのだ。
―小和泉曰く、ロリ巨乳だったかな。奴なら、東條寺よりも愛の方が好みだと思っていたのだが、さっぱり分からん。なぜ、東條寺に手を出し、愛には全く手を出さなかったのだろう。
奴は何を基準に恋人を選んでいるのだろうか。大人びた雰囲気が良いのか。
だが、それでは鈴蘭の幼い容姿を選んだ理由にならないな。
胸の大きさか。いや、菜花と愛では格段の差は無い。これは関係ないな。それに桔梗はスレンダーだったな。―
と、声には出せない意味の無い疑問を抱えていた。
「少佐、三名では人員不足ではないでしょうか。桔梗か、ゴホン。桔梗准尉か鈴蘭上等兵を招集するのは如何でしょうか。この二人は事務にも秀でております。」
東條寺は慌てて桔梗の名前を言い直した。
―どうやら、東條寺の精神は小和泉に汚染されつつあるようだ。まぁ、人の事は言えぬか。―
「人員の増員は考えたが、今回は私も初めてのことだ。要領が得ないことや人が多ければ私の目が届かぬ可能性がある。まずはこの三人で試したい。仕事の分担が可能と判断できれば、随時増員ではどうだろうか。招集する人選に問題は無いと判断する。」
「了解しました。」
「小隊長殿。情報端末の使用権限は、どこまで許可されておりますか。」
愛が業務上に必要なことを聞いてきたのだが、その眼は大きく開き、輝きに満ちていた。
「いや、聞いていない。現状では私の少佐権限までは可能だ。必要であれば、菱村中佐にかけあい中佐権限を貰って来よう。」
「はい。了解しました。では、少佐権限にて情報端末を操作する許可をお願い致します。ぜひともに。」
胸の前で左右の指を絡めて祈るような姿勢で見上げてきた。
「やる気があるのは良いことだ。その権限の違いは業務の効率化に直結するのか。愛兵長の権限では無理なのか。」
「兵長級の開示情報では無いに等しいです。尉官級でまともな情報を得ることができます。
プログラムを組み、抽出と並び替えを繰り返し、戦闘詳報の骨子まで仕上げてみせます。ゆえに少佐権限の許可をお願い致します。」
愛のやる気はますます上がり、鹿賀山に顔を近づけていく。体重を預けるかのように爪先立ちのまま、胸を押し付ける形になった。まるで色仕掛けの様にしか見えない。
―恐らく本人には自覚は無いのだろうな。小和泉が選ばなかった理由が何となく分かった。
確かに小和泉の好みの性格ではないな。私も苦手な方か。いや、婚約者である薫子と家政婦のウネメの落ち着いた性格が心地良く感じるためか。―
もちろん鹿賀山が不愉快に感じている事は、表情や声色には出さない。全ての男が喜ぶとは限らないのだ。この程度の色香に惑わされない。
人には言えない快楽を得る方法を小和泉によって身体に教え込まれているというのも事実だが。
鹿賀山は自然な感じで、愛を身体から引きはがした。
「いいだろう。許可しよう。そこまで仕上げるのには、どの位でできる。」
「はい、今からフローチャートを考えます。明朝〇九〇〇プログラミングをスタートし、翌〇九〇〇に自動書き出しにて完了できると思われます。」
「それまでは私と東條寺は待機でよいのか。」
「はい。少佐のお考え通りです。」
「わかった。任せよう。疲れているだろうから今夜は休め。十分睡眠をとれ。急ぐ仕事ではない。」
「了解しました。愛兵長、作業に掛かります。」
というと情報端末に早速とりついた。休めと言ったが、聞いていない様だ。情報端末をいじるのが好きらしい。いや、趣味と言っても良いのだろう。鹿賀山は、定時になるまで制止するのを諦めた。
二二〇三年二月七日 一五〇一 KYT 第八大隊詰所
愛兵長は、実験部隊の時にコンピュータプログラムが得意である事を示しており、鹿賀山もその能力を高く買っていた。
その腕を揮い、総司令部のサーバーに保管されている通信記録やデータリンクにより収集された有象無象の情報の塊から抽出条件の設定、並び替え、グループ化等を自動処理で行い、戦闘詳報の骨子をすぐに作成した。
情報端末に表示された骨子は、時系列に様々な状況が簡潔に記され、このまま提出しても問題は無かった。しかし、総司令部が求めているのは事実の羅列ではなく、現場ではどの様な状況で何を考え、何を必要としたか、そして、どの様な判断を下し、行動し、結果がどうなったかが知りたいのだ。
それらの情報が今後の日本軍の作戦や装備に反映され、各隊に情報共有される。情報は何物にも勝る武器であり防具であった。
鹿賀山達は、骨子に付随すべき情報を付け足していく。これらは個人の脳に記憶されている物であり、情報端末には記録されていない。手作業になる部分だった。その時に起きた状況を元に記憶を掘り返し、考えたこと、反省点、改善点を付け足していく。
鹿賀山は小隊の戦闘詳報をいつも作成しているが、大隊規模の戦闘詳報の作成は初めてであった。規模が数倍に膨れ上がる為、いつも以上の労苦と時間を消費すると思われた。
だが、その予測は外れ、意外にも早く、楽に仕上げられ、菱村に提出できた。
受け取った菱村も早さ、正確さ、詳細さに驚き、副長も『次回からもお願いしましょう。』と言う程であった。
戦闘詳報は問題無く受領され、鹿賀山達に休暇が命ぜられた。簡単に仕上げられたのは、愛の技術力のおかげだった。
戦闘詳報には、小和泉の活動と活躍が多く詳細に載った。事実、小和泉が防衛戦で一番働いたのであるから仕方がないのであろう。それに他の隊の詳細までは知らないのだから当然の結果かもしれない。
今までの戦闘詳報は、ここまで詳しくなかった様な気はした。
しかし、詳しい分には問題無いと鹿賀山は判断し、提出を済ませたのだった。それに今回、小和泉は悪さをしていない。
―誤魔化す必要性が全く無かったのも早く提出できた理由の一つか。いつもならば、月人への虐待行為や独断専行をどうやって揉み消すかに腐心しているというのに。それが全く無いだけで、ここまで戦闘詳報が書きやすくなるとは思いもよらなかったな。それに司令部へ小和泉に対する良い印象を植え付けることが期待できるだろう。―
鹿賀山は、そう頭に浮かべた。
「では、御苦労だった。特に愛兵長の活躍が大きかった。今後も頼んでも良いか。」
「はっ。いつでもお声掛け下さい。情報端末が触れるのならば、何の不満も不都合もございません。」
どうやら根っからの情報端末好きの様だ。
「そうか。では、何かあれば頼むことにしよう。定時より早いが休暇に入れ。許可は貰っている。」
「了解。東條寺少尉および愛兵長。休暇に入ります。」
東條寺の返答に合わせ、二人が敬礼を行い、鹿賀山は答礼を行なった。二人は詰所から楽しそうにシャワーに浴びに行こうなどと言いながら出ていき、鹿賀山だけが残された。
ようやく鹿賀山の休暇が始まり、一息つけるはずだった。




